筑波大学 篠原 涼選手【前編】 「甲子園に出るまでには地元に帰らないと決めた1年春」
まさにファイターだ。2015年選抜優勝の敦賀気比の主将を務めただけではなく、さらにU-18でも主将に抜擢され個性の強い選手をまとめ上げ、準優勝に貢献したザ・キャプテン、篠原 涼。そんな篠原選手に自身の高校時代を振り返っていただくとともに、有益な高校野球生活を送るためのアドバイスをいただきました。
まずは上級生との勝負に勝つことがスタートだった篠原 涼選手(筑波大学)
インタビューを通して感じたことは、志が非常に高く、高いところに意識が向いている選手だということだ。静岡県の富士宮シニアに在籍していた篠原がなぜ敦賀気比に進んだのかというと、当時所属していた富士宮シニアのコーチと敦賀気比の関係者が知り合いだったということもあり、敦賀気比に行ってみないかという誘いがあったのだという。最初は行くつもりではなかった篠原だったが、「甲子園に近いとなれば、やっぱり敦賀気比なんだなと思って進学を決意しました」
そして敦賀気比に入学した篠原だが、ここで苦労したことは、1年生にありがちな雑用についてではない。敦賀気比は、グラウンド整備などといった雑用は3学年一緒にやるのがルールなのでそういう苦労はなかったが、チームメイトとの競争に勝つことに一番苦労したという。篠原は競争相手として同級生ではなく、上級生に目を向けていた。「3年生は選抜ベスト4入り(2013年)した先輩でしたから。先輩たちはレベルが高かったです。2年生も人数が多くて、レベルが高かったですし、先輩たちに勝たないとベンチ入りはできないと思っていました」
どうしても同級生との競争に目を向けがちだが、篠原はこのとき既に上級生との勝負に勝つことを考えていたのである。敦賀気比は寮生活。学校、グラウンド、寮を往復する生活に、ホームシックになる選手も多く、以前野球部を訪問した際にも、選手たちがそのつらさを語っていた。篠原もそうだったのかと聞くと、「自分はそれは全くなかったですね」と否定した。その理由を伺ってみると、「僕は甲子園に出るために地元を出ているのですから、その目標を達成するまで地元に帰りたくないと思っていました。帰ろうと思ったら、甲子園に出場できるまでですね。いわゆる凱旋ですよ(笑) 。それで堂々と地元に戻ってやろうと思っていました」
寂しさから地元に帰りたいではなく、自分の目標を達成してから、堂々と戻ろうと考えていたのだ。その志を持ち続けるのは簡単なことではない。だが篠原はその思いを貫き通せる意志の強さがあった。目標とするレギュラー入りへ、篠原は出られるポジションならばどこでも挑戦した。中学時代、篠原は遊撃手だったが、試合に出場するために一塁、二塁、三塁も守った。そして篠原が最も強化したのは打撃。「やっぱり打てないと目立てませんから、僕は自主練習では打撃練習が殆どでしたね。ティーバッティングが基本で、数多く打ち続けた記憶があります」
レギュラー入りするために来る日も来る日も打ち続けた。そして1年秋に一塁手としてベンチ入り。2年春にレギュラーを獲得し、2年夏、悲願の甲子園出場を果たす。篠原が目標としていた甲子園出場を果たしたのであった。甲子園に出るまで地元に戻るつもりはない。まさに有言実行を果たしたのであった。
[page_break:前チームよりも厳しい雰囲気にしなければ全国制覇はできない]前チームよりも厳しい雰囲気にしなければ全国制覇はできない篠原 涼選手(筑波大学)
2年夏、1回戦の坂出商戦で本塁打を放つなど4安打の活躍。この活躍には篠原自身も驚きだった。「公式戦の本塁打は初めてでしたし、あんなに打球が飛ぶのかと驚きました」しかし、この活躍によりにもっと活躍しなければならない、もっと打たないといけないと重圧になったのか、以降の試合は活躍できずに終わった。篠原は「自分自身で活躍しなければならないと重圧をかけたのが要因だと思います。とはいえ、甲子園で5試合戦って、本当に良い経験ができたと思います」と振り返った。
そして夏が終わって、篠原は主将に就任。小中学からキャプテンで、入学してからも同級生を引っ張る役割だった篠原が主将に就任するのは自然の流れだった。「僕は1年の時から、上級生と一緒に交じって練習をしていましたし、その経験を同学年、下級生たちに伝えるのは当然だと思っていました」
だが大所帯のチームをまとめるのは苦労があった。一番意識したのは本気で全国制覇したいという気持ちを持たせることだった。そのため選手に対して厳しく接した。前キャプテンだった浅井 洸耶(現・青学大<インタビュー>)は、下級生に気持ち良くプレーさせることを心掛けていた。篠原は、「浅井さんのおかげで集中してプレーできました。でも、僕は厳しくしましたね。浅井さんと同じままだったら、甲子園ベスト4止まり。何か変化をさせないといけないですし、全国制覇するには、浅井さんのスタイルを維持しつつ、野球の姿勢、私生活の面で厳しく見ていきました」
まさに先を見据えている発言。篠原はナインに本気で全国制覇することを促したが、北信越大会で優勝しても、ナインの全国制覇したい気持ちは漠然としたものだった。変わったきっかけは、明治神宮大会で九州学院に敗れたことがきっかけだった。「あの試合、平沼 翔太(インタビュー)が投げていないんですよ。現状は平沼が投げないと勝てないということを痛感した試合でした。自分たちは平沼が投げなくても勝てる打線になろうと、冬場はしっかりと打撃を強化していこう、本気で全国制覇を目指していこうという気持ちになっていきました」
神宮大会後に気持ちを切り替えて臨んだ敦賀気比ナイン。特にミーティングすることなく、練習に真剣に取り組む中で、全国制覇したい気持ちは強くなっていた。迎えた選抜では初戦から好投手・坂口 大誠擁する奈良大附と対戦。3対0で勝利し、2回戦は仙台育英、準々決勝では静岡、準決勝では大阪桐蔭とどこも強豪ばかりで、「とにかく苦労した思いしかありませんでした」と振り返るように苦しみながらも決勝へ進出。
そして決勝戦の東海大四戦では、松本 哲幣の決勝本塁打で試合を決め、初の全国制覇を決めた。「あの時、全く優勝した実感がなくて、ふわふわした気持ちで敦賀に戻りましたが、福井は凄い騒ぎでした」
47都道府県で1つしか得られない栄光の優勝旗。それが初めて福井県で持たされることになれば大騒ぎになるのも当然である。自分たちが成し遂げたことがどれだけ大きいかは敦賀に戻って実感することになる。
前編では選抜優勝までの過程を振り返りました。後編では最後の夏の甲子園やU-18でのエピソード、また新入生へ向けてメッセージをいただきました。
(文=河嶋 宗一)
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