サガン鳥栖のFW豊田陽平は、敵ゴール近くで傑出した存在感を見せる。

 星稜高校時代のスポーツテストで、あの松井秀喜を上回ったという身体能力は伊達ではない。身長185cm、体重79kgの大柄な体躯、異常に発達したふくらはぎと屈強な背筋は驚異的な跳躍を生み出し、体幹が強いことで当たられてもビクともせず。巨漢のわりには動きが軽快でダッシュ力に長け、またプレッシングでは“二度追い”できる持久力も兼ね備える。

 なにより、得点への執着と狡猾さは特筆に値するだろう。覇気を漲(みなぎ)らせてゴール前に飛び込んだかと思えば、するりとマーカーの視野から外れてから入れ替わり、シュートチャンスを作ってしまう。実はパワーやスピードよりも、マークを外す緻密な動きが彼のゴールを生み出している。

 3月に開幕したJリーグ、豊田は5節終了現在で6得点を記録。右足、左足、ヘディング、体のすべての部位を使ってボールをゴールネットに放り込み、横浜F・マリノスのFWマルキーニョスと並んでゴールランキング首位に立っている。戦力的に恵まれているとは言えない鳥栖において、昨季の19得点(J1得点ランキング2位)に続くゴール量産は瞠目に値する。

「自分は、ひとつのクラブに在籍したのは3シーズンが最高で、4シーズン以上は今季が初めてのことなんです。だからこそ、“お世話になった鳥栖をもっと強くしたい”というのはありますよ。このクラブは過去に消滅しかけたこともあるし、その歴史の中で自分も生きている。それは常に忘れず思っていますからね」

 鳥栖のストライカーとしての矜持を、豊田は語っている。

 豊田が初めて全国的に注目されたのは、2008年に行なわれた北京五輪の前だった。平山相太など並み居るFWを退け、本大会に滑り込むようにして五輪メンバー入り。結局、チームは惨敗したものの、豊田はナイジェリア戦でゴールを決め、この大会での日本代表唯一の得点者になり、ストライカーとして才能の片鱗を感じさせた。

 しかし、その翌シーズンに移籍した当時J1の京都サンガでは不遇を囲い、2010シーズンからJ2にいた鳥栖に新天地を求めている。その一方で北京世代の本田圭佑長友佑都、岡崎慎司らは南アフリカW杯を戦い、堂々と世界へ勇躍していった。

「不甲斐なさはありましたよ、当然ですけど」

 彼は唇を噛むようにして、ここまで這い上がってきた。2011シーズンにはJ2で得点王に輝いて鳥栖を自らJ1に導き、2012シーズンは昇格チームとしては快挙に等しい5位躍進に貢献している。

「気持ちの部分で変わったとは思いますね」

 豊田はそう変化を説明する。

「昔、J1(京都)でプレイしたときは、それまでJ2(山形)でやっていたことができなくなってしまった。もっと落ち着けばいいところで、やたらと焦っていたと思います。でも、鳥栖に来てゴールという結果を出し続けることで視野が広がり、周りを使いながら、自分も使ってもらえるようになった。能力的なモノはあまり変わっていないんです。不安や思いこみが、判断や読みを狂わせるんだと思いますね。経験を積むことで、状況に合わせて対処ができるようになりました」

 豊田を日本代表に、という気運は静かに高まっている。

 先日のヨルダン戦でも、本田が不在の日本攻撃陣はゴール前で得点力の乏しさを感じさせた。FWをポスト役やおとりに使う、というのもひとつの考え方だろうが、世界と戦うには、最前線で圧倒的な圧力をかけ、守備の砦を崩せる豊田のようなFWが求められる。そもそもアルベルト・ザッケローニ監督は、過去、ウディネーゼとミラン時代にオリバー・ビアホフのような大型で破壊力のあるセンターフォワードを重用しているのだ。