自分自身が「ガラパゴス」「ガラパゴス化」などといった言葉を使いすぎていたのではないかと反省を込めて。ガラパゴス化異論。

1.「ガラパゴス化」「ガラパゴス」という言葉を止めよう

「ガラパゴス商品」が批判されるということは、逆に「ガラパゴスではない商品」とは何かについて定義されている必要がある。しかし、「ガラパゴスではない商品」とは何か明確な定義を教えてくれたひとがいない。

世界中で売れているもの? それならば単に「ヒット商品」と呼ぶのではないか。

2.日本だけがそんなに特殊か?

家電とか携帯電話とかだけを取り上げて、「日本はガラパゴス化が進んでいる」と言えるのかどうか。アジア諸国では、道ばたで販売されている食品とか日用品とかは、すべて自国内消費を目的としている。これってガラパゴスなの? 

日本が特殊であると証明するためには、各国の販売商品数とユニバーサルユース化した比率を調べねばならない。しかし、これまで印象論を脱するものを見たことがない。ほんとうは、アメリカやヨーロッパの大半の商品はガラパゴスではないのか? 大半はガラパゴスで、数点のみ世界で「販売できている」だけではないか。

「メイド・イン・ジャパン」商品は世界で売れているものが少ないんだよ、というのであれば、(日本商品が特に海外に受け入れられていないという)その数的データがあるのか? 比率データがあるのか。

3.「ガラパゴス化」「ガラパゴス」は結果論ではないか

ほとんどの商品は、目の前のひとや、あるいは自分が使ってみたいと願った商品・サービスを具現化したものだ。ということは、原理的にすべての商品はガラパゴス化要素がある。だって、見たこともない他国のひとが使って喜ぶシーンを想像できないでしょ(マーケット・リサーチとか、そんな話をしているのではない)。もっと根源的な商品開発の情熱は、身近なひとを喜ばせたい衝動に源泉がある。

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