19日、テレビ朝日「報道ステーション」では、「けがと挫折 乗り越えて…"新しい香川真司"」と題し、同局アナウンサー・宇賀なつみが先月仙台での復興支援活動に参加をした香川のもとを訪ねた。

中学時代は親元を離れて仙台でサッカー留学をしていた香川。インタビューの冒頭、この頃を振り返ると「小学校6年生でよく決断したなと、今思うところはあるんですけど。Jリーガーになりたい、楽しいところでプレーがしたいってなった時に当時の小学校の監督を通じて、このチーム(FCみやぎバルセロナ)を紹介して頂いて、それが自分のプレースタイル、考え方にもあった(中略)ドリブルの練習しかしなかったですし、個性を伸ばす。それがチームのスタイルであったのでここが原点」と語る。

また、1月のアジアカップ準決勝、右足小指を骨折し苦しい一年となった2011年については、「それが僕にとって一番の誤算というか、後半戦の結果次第では色んな可能性があったと思うんですけど・・・」と話し、「あんなに長く離脱したことはなかった。プレーヤーとして5カ月も6カ月もプレーできないとかなりのブランクがあるなと感じました。そういう意味でも難しい精神状態でした」と当時の様子を明かす。

その上、復帰後も思うような結果を残せなかった香川。昨年10月にはスタメンから外れ、チームも低迷した。「やっぱりマークだったり、ドルトムントに対する相手チームからの厳しさっていうのはすごい変わってきた」と振り返った。

しかし、転機となった11月のヴォルフスブルク戦では、ワンタッチのパスや、針の穴に糸を通すようなスルーパスでアシストを決めるなど新たな引き出しを見せた香川は、「チャンスメイクという意味でアシストが増えることは決して悪いことではないのでプレーの幅が広がっているというのは感じます。ラストパスもスルーパスだったりというのも持てたら更に驚異になるのでは」と手ごたえを掴んだ様子をうかがわせた。

そして、将来の夢を訊かれると、「もちろん、ビッグクラブでプレーすることは常に夢ではあります」と切り出した香川は「バルセロナでプレーしたいという夢はあります。誰もが思うとこですし、バルセロナでプレーしたいなんて思わない選手はいないと思うくらい、全てのサッカープレーヤーが憧れている。結果を残して1%でも近付けたら」と前を向いた。