アジア大会。地元中国の強さに、日本は完全に煽られている。例えば競泳では、アジアNo.1のポジションを明け渡すハメになった。13億の人口を誇り、GDPでまもなく日本を抜き世界2位になろうとしているのだから、当然と言えば当然の帰結かもしれないが、理由はそれだけではないと思う。

アジア大会に出場している日本の選手は、普段から国民の声援を受けているだろうか。僕はノーだと思う。彼らが普段のスポーツニュースに登場する機会はごく僅か。スポーツ新聞も同様。メディアに露出するのはせいぜい五輪が迫ってきた頃だ。知る人ぞ知る選手。実力の割に知名度は低い。
 
いわゆる五輪競技は、日本ではかなり冷遇されている。マイナー競技とほぼ同義語として扱われている。大きく扱ったところで反響が低い。訴求力が低い。それこそがメディアの言い分だろうが、では訴求力の高いメジャー競技は、日本にいくつあるだろうか。プロ野球、サッカー……。サッカーも日本代表はメジャーだが、Jリーグは危ない。ゴルフも競技人口こそ増えているが、知られている選手の数は数人だ。で、残るは相撲、格闘技ぐらい。その他はほぼマイナーだ。
 
何よりスポーツで食べていける選手の絶対数が足りないのだ。各競技団体の努力不足も手伝い、満足な報酬をもらうことができない苦しい環境の中で、頑張っている選手が多すぎる。そして、そうした選手に日本のスポーツ界は支えられている。日本の五輪選手団は、僕に言わせれば、ある意味で哀れな集団だ。メダル候補がメダルを逃せば、国民は「情けない」と嘆く。中国に先を越されれば肩を落とす。当然の帰結だとは誰も言わない。
 
不成績に「喝!」を入れられるべき選手は、ごく僅かだ。喝を入れる資格のある国民もまたごく僅かだ。普段から、その競技の観戦に熱心に出かけているファンに限られる。いや、国の税金を少しでも使っている以上、国民には喝を入れる権利があるという人も、きっといるに違いないが、そうした人は僕に言わせれば鬼だ。だったら最初からマイナー競技なんかやらなければ良かったじゃないか。自業自得だと言う人も同様。

「人間には自由にスポーツをする権利がある。自分にあった競技を選択する自由がある。我々にはマイナーといわれる競技を育てていく必要性があるのだ」

以前、FCバルセロナの事務局長に、なぜ総合スポーツクラブなのか? 僕は訊ねたことがあるが、そこで返ってきた言葉がこれだ。サッカー、バスケットボール、ハンドボール以外の競技は、赤字だと事務局長は言った。だから、訊ねてみたわけだが、かれはそこで神様のような言葉を口にした。マイナー競技が出した赤字は、サッカーの儲けで補填しているのだそうだ。「バルサ」が地元カタルーニャ人のシンボルとして通る理由でもある。
 
「育てていく必要がある」とは、ドイツ、イタリア、フランスのメディア関係者からも聞かされたことがある。「サッカー以外のスポーツも、積極的に報じていかななければならない」と、彼らは真面目な顔でキッパリ言った。欧州各国のスポーツニュースや、スポーツ新聞は、日本とは比較にならないほどバラエティに富んでいる。そのサッカー人気は、日本のプロ野球の比ではないほど高い。にもかかわらず、サッカー以外についてもしっかり時間と紙面を割いている。五輪競技が日本ほどマイナーではない理由だ。
 
スポーツそのものの地位が高いのだ。いわゆる「スポーツ好き」は、日本より圧倒的に多い。中国もしかり。彼らは概して運動好き。代表チームの成績はサッパリ振るわないのに、サッカー好きも目茶苦茶いる。割合は日本人より圧倒的に多い。欧州サッカーへの関心も日本人以上に高い。そこに中国と日本の差を感じる。人口が多いから。もうすぐGDPが世界2位になるから。中国がアジア大会で日本を凌駕する理由はそれだけではない。スポーツ好きのパワーで日本は世界の各国に劣る。僕はそう思うのだ。