北京五輪の事前取材のために、たびたび現地に足を運んでいる。先日も、マラソン、シンクロ、バスケットボールなどのプレ大会を取材観戦してきた。
 何より驚かされるのは先進的な競技施設だ。例えば、開閉会式やサッカー競技の決勝が行われるメイン会場の「鳥の巣」は、収容人員9万人のビッグスタジアムながら、見やすさ抜群。水泳会場も、バスケットボール会場も、フェンシング会場も、入場しただけでお金を払いたくなる、建築の粋を集めた超モダンな快適空間に仕上がっている。
 
 会場間の距離が近いこと。それぞれが北京市内に集中していることも魅力の一つだ。中国の各都市で行われるサッカーなど、一部の競技を除いた競技施設は、北京の市街地の中にすっぽりと収まっている。街の中心に位置する天安門広場から最も遠いソフトボール会場でさえ、東京で言えば、せいぜい皇居から味スタまでの距離になる。間もなく地下鉄の新線も開通するので、会場間の移動は楽だ。アクセスはとても優秀だ。
 
 大気汚染も一頃ほどではなくなっているので、政治的な問題を抜きにすれば、良いオリンピックになる条件は整っていると、つい言いたくなる。少なくともハード面に関しては問題なしだと思うが、いっぽうのソフト面には懐疑的にならざるを得ない。
 具体的に言えば会場係員の対応だ。僕が観戦したプレ大会には、おびただしい数の係員が、各会場に配置されていた。警備スタッフもその中に含まれるのだが、そのほとんどには、ホスピタリティの精神が決定的に欠けていた。外来者を丁重にお迎えする精神というヤツを備えた係員には、ほとんどお目にかかることができなかった。
 
 概してフレンドリーではない。愛想笑いさえできないのだ。こちらが「ニーハオ」と言っても無反応。表情一つ変えず、淡々と任務に就いている。こちらが日本人で、彼らがすべて反日主義者というわけでもなさそうだというのに、だ。嘘でもニコッとしたい僕のようなタイプにとって、これは扱いにくい。
 
 これまでに僕は、この手のビッグイベントを何十回と取材してきたが、これは例外中の例外。初めてのケースだ。欧州ではホスピタリティの精神に乏しいといわれるドイツ人でさえ、2006年のW杯では笑顔をふんだんに振りまいていた。荷物チェックの警備スタッフでさえ「ハロー」と言いながら笑顔で接してきたものだ。
 
 中国人は外国人との接し方に疎いのだと思う。基本的に言葉は通じない。流暢な英語を喋るのは、メディアセンター内のインフォメーションにいる北京大学のアルバイトスタッフぐらいで、あとは中国語オンリー。で、中国には日本で言うところの「カタカナ英語」もない。つまり共有しあえる言葉が、ほとんど存在しないのである。
 
 外国に旅行へ行ったことのある人の絶対数も少ないので、旅行者の気持ちが分かりにくいのだろう。それにメディアが流す情報に制限が加えられているという政治的な問題も加わる。彼らは生まれてこのかた、ある意味で閉ざされた世界の中で暮らしてきたわけだ。外国人を思いやる気持ちが、湧かなかったとしても不思議はない。
 
 2006年W杯で、ドイツ人が優しいドイツ人に変身した理由は、外の評判が常日頃から耳に入っていたからだ。自覚症状を持っていたドイツ人と中国人は正反対の関係にある。
 現地で中国人と一緒に五輪関連の仕事に就いているある日本人は嘆くようにこういった。「外の常識を知らないということは、不幸なことだ」と。
 
 来る北京五輪では、そんな中国に50〜60万人の外国人が訪れると言われている。人口1千万人の北京市民の20人に1人は、嫌でも何らかの形で外国人と接することになる。その接触を通して、自分自身についてアレッと疑問を抱く人はどれほどいるだろうか。北京を訪れた50〜60万人の外国人のほとんどは、違和感を抱くことになるだろうが、そのことにハッと気がつく北京人は、どれほどいるだろうか。
 お節介なようだが、北京五輪の持つ意義は、そこにあるような気がしてならない。
 いずれにしても、北京五輪を観戦に行く人は、現地でイライラしないことだ。違和感もまた楽しからずやと思って行動した方が得策。「ニーハオ」と言ったら「ニーハオ」と言い返してほしいものだけれど……。

杉山茂樹
1959年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、サッカーを中心とするスポーツのフリーライターとして多数の雑誌に寄稿するほか、サッカー解説者としても活躍。1年の半分以上をヨーロッパなどの海外で過ごし、精力的に取材を続けている。著書には、『史上最大サッカーランキング』 (廣済堂刊)『4−2−3−1』(光文社)など多数。
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