「ロリコン扱い」男性保育士が直面した壁
※本稿は、河合薫『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)の第3章「なぜ、女はセクハラにノー!と言えないのか?」を再編集したものです。
■念願の保育士になるも2年で退職
「いちばん堪えたのはロリコン呼ばわりされたことです。“保育園落ちた日本死ね”以来、子どもを預ける側の問題や、保育士の賃金問題はクローズアップされたけど、僕たちには声を出す自由すら与えられていないんです」
こう告白するのは、ある男性保育士です。彼がしきりに訴えたのは、男性保育士への「保護者のまなざし」でした。
サカイさん(仮名/35歳)は子どもが好きで、親戚が保育園を経営していたこともあり保育士を目指しました。念願の保育士になるも2年で退職し、現在は一般企業に勤務しています。
「保育園が女性の職場だってことは承知していたけど、更衣室やロッカーに男性用がないのは、ホントに困りました。でも、慣れればなんとかなったし、子どもたちがなついてくれたので、仕事は楽しかったです。ところが半年ほど経ったときに保護者から『おむつ交換の場に私がいるのが嫌だ』とクレームがあった。そういうクレームがあるとは聞いていたし、『プールに一緒に入れたくない』と言われて辞めた人もいるという話も聞いていたので、『来たか』って感じでした。でもね、やっぱり実際に言われるとショックで。私はそんなに危険人物だと思われているのかなぁって。保育士という仕事にも疑問を持つようになっていました」
■「小学校教師ならば言われないのに」
「そんなとき、ヘビー級のパンチをくらう事件が起きた。保護者たちの間で、私がロリコンだとウワサになってると園長に言われたんです。いや〜、あれは堪えましたね。小学校の教師が男性でも何も言われないのに、なぜ、保育士だとロリコンと言われてしまうのか。そんな風にしか見られていないのかと思うと、悔しくて悔しくて……。それで踏ん切りがついて辞めたんです。ただ、辞めた自分が言うのもなんですけど、男性保育士はいろいろな意味で貴重な存在です。もっと増えたほうがいい。ただし、保護者の偏見はきついので、それに耐えるほどの情熱を捧げる男性がどれだけいるのか? というと正直、疑問です」
保護者の理解――。これこそがジェンダー・ブラインド。無意識の性差別です。男性保育士に関する文献や調査は極めて少ないのですが、限られた情報の中には、子どもへの性被害を懸念するだけではなく、女性の保育士と食事をしただけで「子どもの教育に悪い」、母親の相談にのっただけで「○○さんとあやしい」など、保護者のまなざしの露骨さが暴露されています。
■「男性保育士=体育指導」もステレオタイプ
2017年に千葉市が策定した、男性保育士が働きやすい環境を年計画で実施する「市立保育所男性保育士活躍推進プラン」をめぐり、激しい議論になりました。きっかけは熊谷俊人市長のツイッターです。
保護者たちは「うちの子の着替え」という文言にいっせいに噛み付き、瞬く間に炎上。幼女は性的な被害者になりやすい、女の子にも羞恥心がある、男女差別と性的区別を混同している……などなど、批判が相次ぎました。
中には男性保育士に期待する保護者もいましたが、男性保育士に体育の指導を率先してやってもらいたい、子どもに運動・遊びの技能を習得させてほしいなど、男性=身体能力が高い、男性=運動好き、男性=外で遊ぶのが得意、というジェンダー・ステレオタイプに基づいていたのです。
女性の場合には「お茶を入れる」のを求めるだけでセクハラになるのに、男性の場合は「男らしさ」を求める声が「期待」になる。女性であれば「そりゃ。問題だ!」と周りも騒ぐが、男性の場合は「まぁ、うまくやれよ」と諭されるのがオチ。オトナの男性たちもまた、ジェンダー・ブラインドのプレッシャーにさらされていました。
■「性役割」を押し付けられる男のしんどさ
男でいることの生きづらさは「男性問題」と呼ばれています。私の男関係のいざこざではありません。ジェンダー・ステレオタイプや性役割に起因する男性差別です。以前、都議会で「早く結婚しろ」「女は子どもを産んで当たり前」といったヤジを男性議員が飛ばし問題になったことがありました。私はそれをコラムで取り上げ、
「こういった性役割を平然と言う人は、男性にも『保育園の迎えで会社を早退するなんて、真面目に働いてない証拠』『40過ぎて女房ひとり探してくることができないなんて、親が泣くぞ!』などと、終身雇用、年功序列、専業主婦が当たり前だった時代の男の価値観を刃にする」
と書いたところ、男性たちから「よくぞ書いてくれた!」と想像をはるかに超えるサンクスメールをもらいました。
■「イケメンに職場活性効果あり」はスルーされる
とどのつまり男社会は、女性だけではなく男性の生きづらさも助長する。そして、男性問題に悩む男性は「面倒くさい」と思われたくないから口を閉ざします。
男性問題は、声にならない悲鳴です。
女性たちは女性の生きづらさばかり訴えますが、男性たちの声に耳を傾けているでしょうか? 私はその認識のなさがまた、「女は○○」というまなざしを生んでいるように思えてなりません。「イケメンに職場活性効果アリ?」とのアンケート調査の記事が公開され、男性たちからいっせいにブーイングが起きたことがありました。
※対象は「社内にイケメンがいる」という20〜49歳の女性会社員600人。
83.7%の女性が「社内にイケメンは必要」と答え、49.8%が「イケメンがいると、仕事のモチベーションが上がる」と回答したというのです。身もふたもない回答の連続に唖然というか、笑うしかありません。「男性には、これくらい言っても大丈夫」「男性は、こんなことは気にしない」「男性は強くて当たり前」「男性は心が広くて当たり前」……。イケメンを美人に置き換えて男性にアンケートしたらセクハラとバッシングされるのに、なぜか女性には許される現実が、ここに存在するのです。
■日本の男性は幸せじゃない?
内閣府の「男女共同参画白書」の平成年版で、発行以来初めて男性特集が組まれ、ニッポンの男性たちの苦悩が明らかにされました。
・共働き世帯は年々増加傾向にある一方で、男性の長時間労働は改善されていない
・非正規雇用の男性の未婚率は、30〜34歳が84.5%、35〜39歳が70.5%、40〜44歳では57.6%
・週60時間以上就業している者の割合は、就業形態を問わず女性より男性のほうが多い
・平均所得は女性で増加傾向、男性では正規・非正規など雇用形態や学歴を問わず減少
・「現在、幸せである」とする女性の割合が、男性の割合を上回った・「現在、幸せである」とした割合を、世帯収入別に見ると、男性は300〜450万円未満がピークであるのに対し、女性は世帯収入が高くなるほど幸福度が高い
・妻が「自営業主・家族従業者」の場合に夫の幸福度が最も高く、妻が「主婦」の場合に、妻の幸福度は高いが夫は低い
……お父さんたちの慎ましやかな生活を垣間見ることができる結果です。おそらくこれらをまとめた役人の方たちも、お父さんたちの「悲哀」を世間に訴えたくて、「男性特集」を組んだはずです。ところが、メディアの反応は薄かった。「男性特集」の内容を報じた大手メディアは、当時私が調べた限り毎日新聞と日本経済新聞だけ。取り上げたテレビ番組は見当たりませんでした。
欧州に比べて男女格差が根深い米国でも男性問題は注目されていて、「男性学」を専門とする修士課程が、2015年にニューヨーク州立大学ストーニーブルック校に開設され話題になりました。
男性学とは「男性性研究(masculinitystudies)」と呼ばれることもある学問で、男性ゆえに抱えるさまざまな問題を研究する学問です。
「女性学(women’sstudies)」は1960年代のアメリカで、女性解放運動と大学改革運動が結ビつき大きく発展しましたが、男性学は1991年に米国男性学協会が設立されたのをきっかけに、関心が高まりました。女性が社会進出し、女性の社会的・経済的地位が上がったことで、男性でいることの難しさを味わっている男性が増えたことが背景にあります。女性の社会進出が男性の悲鳴につながるとは、なんとも皮肉です。
■男性も「男に生まれるのではなく、男になる」
「男だから」弱音を吐かず、長時間労働に耐え、競争社会に翻弄される。「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」とはシモーヌ・ド・ヴォーヴォワールの有名な言葉ですが、男もまた「男に生まれるのではなく、男になる」。女性たちが「女」を演じきれず「女らしくない」と批判される悔しさを、「男」たちも味わっています。
私は何も女性たちに、「自分たちの苦悩ばかり言うな!」と言っているわけではありません。男性たちの声にならない声にも気づく、しなやかさを持ってほしいのです。と同時に、男女二分法のジェンダー・ステレオタイプは、性的マイノリティーの人たちの生きづらさをもたらしていることも、忘れないでほしいです。
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健康社会学者
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輪に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。
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(健康社会学者 河合 薫)