異様な若作り姿で見る者を慄然とさせた

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「超女子力オバサン」が拘置所で綴った「だから私は愛される」(上)

 架空の投資話で金を騙し取ったとして詐欺罪に問われた山辺節子(63)。ついに判決が言い渡されるこのタイミングで「超女子力オバサン」が本誌(「週刊新潮」)に寄せた手記には、ジェットコースターのごとき彼女の生い立ち、そして、「男性に好かれる術」が詳細に綴られていた。

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 4月19日の判決公判の約1週間前、熊本県熊本市にある京町拘置支所――。

 面会室に現れた山辺節子の容貌は、事件が世を騒がせていた当時のそれとは全く異なっていた。松田聖子風のヘアスタイルやオフショルダーのトップスなど、人々の脳裏に強烈な印象を残した若作り姿の痕跡はなく、髪の毛は真っ白で化粧気もない。ただし、その白髪をただ伸びるがままにするのではなく、三つ編みにして左側に垂らすあたりに、変わらぬ「女子力」が感じられた。

異様な若作り姿で見る者を慄然とさせた

 山辺が熊本県警に出資法違反容疑で逮捕されたのは2017年4月。大企業の名前を出し、“つなぎ融資”の名目で彼女が集めた金は実に20億円以上にのぼったが、それより何より、肩や太ももを露わにした異様な若作り姿で注目されたことは前述した通りである。また、集めた金をフィリピン人のホストやタイ人の若いツバメに注ぎ込む、還暦過ぎとはとても思えないその「精力」も人々を驚かせた。

 そんな山辺の手記が手元にある。400字詰め原稿用紙177枚。逮捕後、留置場や拘置所で、自らの生い立ちから事件の背景までを詳細に綴ったその手記のタイトルは、〈砂風(さふう)〉だ。

 拘置支所の面会室で山辺はタイトルの由来についてこう述べた。

「自分の人生は何も残らない砂だった、ということから、手記を書き始める前に〈砂風〉と付けました」

 手記の中で、彼女は幼い頃から長きに亘って自分を支配してきたものをこう表現している。“生き物”。例えば、こんな具合だ。

〈幼い時から、それらの生き物はノックすることなく私の中に入って来た。いやノックしたかも知れない。しかし残念ながら気付くことはなかった。私以外の人は、この生き物の正体を知っていたと思う。なぜなら私は、友達がひとりもいなかった。それは現在まで。いつもひとりだった〉

 一体、“生き物”とは何なのか。その正体は手記の半ばで明かされることになる。ここでは、その構成通り、途中までは“生き物”の正体は不明としたまま、手記の中身を紹介していく。

男を操る術

 山辺は1955年の3月3日に熊本県益城町で生まれている。父親はバス会社勤務で、母親は専業主婦。一人っ子だった。

 幼い頃から、彼女にはある“能力”が備わっていた。考えずとも、男性に好かれる術が身についていたというのである。

〈先生から叱られると、じいっと相手の目を見てまばたきせず、涙をつうっと一粒流す。ほとんどの先生は許してくれる。男性先生だけに通用する技だ。反比例するように女子や女性からは、どんどん嫌われていく。両親ですら父は私を異常に可愛がりいつも一緒だった。反対に母は、私がある年令にさしかかってからは、私の事が嫌いであったはずだ。少女時代を過ぎたあたりから、母から嫌われていることを自覚した〉

 彼女を溺愛した父は脳出血で49歳の若さで死去。

〈私はひとりになった。20歳だった。婿養子をもらい、母と3人で生活した。でも私の家族はずっと父だけ。だから私はいつもひとり。家族と本心で語ることも心を溶かすこともなかった。今日まで〉

〈誰とも心を交わさなくてもいい。なぜなら私はあの得体の知れない生き物と一緒だから〉

〈生き物無しでは一分たりとも私は、生きられなかったのだから。どんな場所でもどんな時も、誰よりも美しく誰よりも品の良い宝石を指に胸元に光らせ、一番目立っていなければならない。そのうえ、羨望の視線を受けなければならないのだ。嫉妬のささやきや嫌味が聞こえてくると生き物と私の満足度は一気に満たされ幸福感がやってくる〉

 夫との間に1男1女をもうけ、30歳の頃まで専業主婦をした後に離婚。以降、彼女は男を操る術を巧みに使い、次々と「支援者」を得ていく。例えば、ゴルフ練習場で初めて会った40歳くらいの男性を“落とす”場面はこうだ。

〈私が恥らいの笑顔を向けると、それが合図のように男性は、打席の私に、立ち方、クラブの持ち方、バックスイングのとり方、顔の向き方、まるでコーチのように初心者向けの指導をしてくれる。私は無邪気なしぐさでうなずく。これは得意技のひとつだ。たまに真っすぐ飛んだだけで、大げさに拍手してくれる。私はまたここで技を出す。弾むように小さくジャンプして相手の目を見たまま小首をかしげにっこりする。この数分間で彼は私の意のままになると確信する〉

〈生き物と2人で新しいシナリオを考えながら眠りについた。眠りの中でも生き物は、蛇のようにぬるぬると蠢き脳を支配する力を決してゆるめない。新しく創作するシナリオに沿って次々と男性達を思い通りに動かしていった〉

憤慨させる出来事が

〈ハモンドオルガンの生演奏が流れるスナックや会員制クラブ。二つの店を手に入れた。33才の私はしばらく水商売を楽しんだ〉

「スナック・アゲイン」と「メンバーズクラブ・ブルーレイン」。それが彼女の店の名前だった。

〈ひとたび店に入ると、「ママ」「ママ」と声がかかる。美人の若いホステス達が色あせる瞬間が快感だった。売り上げ勘定よりいかに自分が男性に好まれるか、シナリオ通りの男性の目にとまるかだ〉

〈私は元来の美人ではないことを知っている。装いと誰にも負けない雰囲気作り、表情、声、話し方、しぐさこれらを細かく分析し、相手や場所に合わせてまるで一枚のパズル絵のように仕上げていく〉

 ママとしての暮らしに飽きると、さっさと店を売り飛ばし、“生き物”と共に次のシナリオを考える。

〈私は30代後半になっていた。男性から頂く贈り物の額もどんどん高価な品になっていった。宝石ひとつとっても、安い物で200万、気に入って買ってもらった600万円のピンクダイアモンドなど、欲しい物は何でも手に入れることが出来ていた。この頃、私は中堅クラスの会社社長と付き合っていた〉

 彼女を憤慨させる出来事が起こったのは、その社長の金で贅沢三昧をする生活に飽きてきた頃だった。何のことはない、男に浮気されてしまったのだが、その相手が、自分とは正反対の素朴な美人だったのだ。

〈努力して一代で社長になった彼は、彼女の飾らない美しさに惹かれたのだ。今から彼女が作る夕食を食べる。きっと心を込めて作るのであろう。手料理のひとつも作らず外食で金を使う私とは大違いだ。彼の中にも彼女の中にもあの生き物は住んでいない。生き物と私は新たなシナリオを書きあげた。着飾ったり雅びだったりどんな花になっても無理なら、大きく変更する必要がある。他の女性に出来ないことをしなければ彼女に勝てない〉

歌人としてデビュー

 その“新たなシナリオ”とは「歌人としてデビューする」というもので、写真と和歌を組み合わせた写歌集を出版した。

〈ペンネーム原菜つ子。彼の財力によっていろんな形で販売促進の宣伝を行なった。歌人生活というイメージビデオ作成、週刊誌見開き2ページのコマーシャル、地元書店入り口平積み販売、デパートでは原菜つ子の世界と銘打ってフェアーとサイン会開催〉

 冗談のような話だが、彼女の足跡は地元紙にしっかりと刻まれていた。

【熊本市で原菜つ子短歌展】

 そんな見出しの記事が掲載されたのは、98年5月21日付の熊本日日新聞の朝刊である。

【原菜つ子短歌展 20日、手取本町の鶴屋で始まった。26日まで。原さん(43)=水前寺=は熊本市生まれ。独学で和歌を始め、5月、写真と歌を組み合わせた写歌集「別れ際」(郁朋社)を出版した】

 手記に彼女はこう記している。

〈生き物と私の新しいシナリオは成功した。達成感に酔った。彼は私の所へ戻って来た。しかし彼とはここで終る。目的を達成したのだから。生き物と私は次なる大舞台へとシナリオを書き進める。次なるステージは会社社長になること〉

 クラブのママ、歌人、そして会社社長。何ともめまぐるしいことだが、彼女はまたしても支援者を得て、会社社長になるという目的をあっさり達成してしまう。

〈46才になっていた。生き物と寄りそい人生の全てを共に生きていた。この異常さに気付くことなく、シナリオは続いていく。金はいつも何とかなっていく。必ず誰かが資金を調達してくれる。深く考えることはなかった。だから貯えることなど無縁だ。あればあるだけ使う。財力のある男は無限だと思った〉

 しかし、このあたりを“頂点”として、山辺の数奇な人生は下降線を辿り始める。

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(下)へつづく

「週刊新潮」2018年4月26日号 掲載