高校球界の鬼が語る。「今の子は、すぐに結果を求めたがる」
横浜高校の名参謀・小倉清一郎の人生(3)
今年の夏まで、横浜高校でコーチを務めた小倉清一郎は身長170センチながら、体重は110キロを超える。でっぷりと腹は出ているが、ひとたびグラウンドに立てばノックバットを振り回し、歯に衣着せぬ厳しい物言いで球児たちと接してきた。
しかし指導者人生の晩年、その左目は若き日に打球が当たったことによる網膜剥離と、老年になって患った糖尿病や緑内障の合併症でほとんど見えていない。
「そもそも眼鏡をかけているようでは、選手を指導するにしても、対戦相手を視察するにしても、選手の特徴を完全に把握するには心許ないよね」
高校時代の松坂大輔の語り草となっているのが、小倉のアメリカンノックだ。ライトポールから松坂を走らせ、小倉がレフト線へノックを打つ。フェンス際を走って松坂が捕球すると、今度はライト線へ放つ。松坂だけでなく、プロに進んだ横浜高校の投手陣が必ず通ってきた地獄のような時間だが、ノッカーを務める小倉も、ちょうど捕球できるかどうかのタイミングでライン際へ正確な打球を打たなければならないため、技術が求められるのだ。
しかし"鬼"と呼ばれた小倉の代名詞たるノックバットも握らなくなってしまった。片目ではどうしても距離感がずれてミートが難しく、力強く正確なノックが打てないのだ。それもこの夏で引退を決めた大きな理由だった。
「ノックも打てない指導者なんて、指導者じゃないよな。悔しいですよ。最近の選手と接していて思うことは、とにかく言うことを聞かなくなった。それに我慢ができない。打てない選手に、新しいスイングを指導する。取り組み始めてすぐに結果なんか出ませんよ。打てるようになるには、それだけの練習と時間が必要です。だけど、最近の選手は教えたら、すぐに打てるようになると思っている。しばらく打てないと、また元のスイングに戻してしまう。それでは上達していきません」
これまで幾度か他校から監督就任の依頼があったが、小倉はそれをすべて断り、横浜高校の監督を務める渡辺元智の参謀役であり続けた。昨年、タイのナショナルチームの監督就任の依頼もあったが、「麻雀ができない」という理由で断った。横浜高校のコーチを退任した今、監督就任あるいは特定の高校のコーチ就任の依頼があったとしても、固辞する。
「私は川上哲治監督でいうところの牧野茂さん(巨人V9時のヘッドコーチで戦術を担当)に憧れた。かっこつけた言い方だけど、ナンバー2で終わる人生もいいじゃないですか?」
9月の東大野球部視察を皮切りに、全国の高校を回って野球指導するのも、あくまで「生活のため」と言ってはばからない。「野球に未練はないんです」とも話す。
ところが。今年の神奈川県予選準決勝で、横浜高校が東海大相模に敗れ、勇退した3日後に小倉に電話を入れると、背後から球児の声が聞こえてきた。どこにいるのかと問うて返ってきた言葉に、思わず苦笑してしまった。
「うん? 横浜高校のグラウンドだよ。今、練習を見てんだよ」
結局、高校野球のグラウンドが小倉の居場所であり、死に場なのだ。
柳川悠二●取材・文text by Yanagawa Yuji