『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』(川崎宗則/文藝春秋)

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オープン戦での、とあるコメント。
「きのう悔しい三振をして2分ぐらいしか寝てないんで、それが良かった」
どこのミサワだよ、と思ったら川崎宗則でした。

これ以外にも「アイム、ジャパニーーーーーズ」などの発言で、アメリカにおいて「面白外国人」扱いをされているムネリンこと川崎宗則。
だが、一部の現象・発言だけを切り取って論じるのはフェアじゃないと思っていた。
そこで発売されたのが、川崎宗則初の自書『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』。

読後の感想はひと言。やっぱりムネリン、面白いわ!

本書は、メジャー挑戦とマイナーでの苦闘の日々の中で川崎が何を考え、どう行動してきたのか。
さらには野球とイチローに出会った少年時代、無名の高校時代からのまさかのプロ入りと挫折、そして憧れのイチローと共に挑んだWBCへと展開する、まさに自伝的一冊だ。

まず読んでいて心地いいのは、ポジティブな発言内容がテンポのいい語り口で綴られていること。
《マイナー? 9人いるぜ。相手もいるぜ。審判もいるぜ。グラウンドもあるぜ。それって、いったいどれだけ恵まれた環境なんだよ》
《言葉は通じない、地球の裏側で育った納豆も食えない人間と一緒に野球ができる。不思議だよね。野球というスポーツでこんなふうにつながることができるんだから》
《2014年もアメリカでプレーすることにした。好きよ、トロント。ちなみに、トロントはカナダだけど。好きよ、ブルージェイズ。ちなみに、マイナー契約だけど》

そんな天真爛漫で期待どおりのムネリン像が描かれる一方で、日々妄想にひたることで何とか生き延びることができた、痛ましいまでの現実も綴られている。
そのコントラストが、メジャーに挑戦するということの過酷さを物語っている。

《アメリカでは誰も返してくれない。チェストって言っても、シーンとしちゃう。だから妄想する。おれ、妄想癖があるんだよ。チェストって言うと、ウッチー(内川聖一)やらポンちゃん(本多雄一)がチェストって返してくれる。妄想の世界では》
《今のおれは、野球ができる体さえあればそれでいい。欲しいものも、買いたいものもない。何が一番、欲しいかって訊かれたら、野球が上手くなる薬がほしい。そんなものがあるんなら、借金してでも買うよ》

振り返ってみれば、メジャーに挑戦する以前、日本での野球人生においても、川崎はいつも壁にぶつかり、どん底まで落ち込むことばかりだった。
そんな真っ暗な現実の中でも川崎はわずかな光を見つけ、その光を頼りに前進を続ける。
《小ちゃい光が見えた。 真っ暗だったのが、光がちょこっと見える。具体的に言えないんだけど、光の見える方向がわかったら、あとはそこに向かって、犬掻きだろうがクロールだろうが、匍匐前進だろうが、進むだけ》

野球人生における最大の光が、中学時代に見たイチローだった。
《打てなくて、野球がおもしろくなくなってた。そんなとき、イチローが現れた。おれの中に、火がついた。イチロー選手が、おれの中の光だった。あの出逢いがなかったら、野球をつづけてなかったかもしれない。イチロー選手のおかげで、プロ野球選手になれるかもしれないっておれが思った》

だからこそ、川崎はアメリカにまでイチローを追いかけていく。
「ムネ、頑張ったもんな」と初めて褒められた、メジャー昇格の瞬間。
逆に、イチローのヤンキースへの電撃トレードの際には、川崎の携帯にイチローからの不在着信が何度も届いていたという。それだけで、2人の深い関係性が浮かび上がる。
《おれにとってのイチローさんは、あこがれ、目標、ライバル、全部。中学のときから変わってない。彼のような選手になりたい、彼に負けたくない、彼が頑張ってるんだからおれも負けるわけにはいかない》

川崎に限らず、少年時代には誰だって憧れのヒーローがいるものだ。
でもほとんどの場合、そのヒーローの影響は年を経るとともに薄れ、やがて自分でもその存在を忘れてしまう時がくる。
でも、川崎は違った。
ヒーローに出会い、ヒーローを追いかけることで、自分だけの光を見つけていく。
むしろそんなことができる川崎自身こそ、現代におけるリアルヒーローなんじゃないだろうか。

だからだろうか。川崎は、ヒーローになるための練習をしていた。
メジャー1年目のオフ、川崎は奥さんと2人で英会話教室へ通う。その目的は、英会話の練習をするためではなく、ヒーローになるための練習。ヒーローインタビューの練習をするためだけが目的だったのだ。そんな川崎のために勉強したことを整理して、きれいにまとめてくれる奥さんへの感謝も忘れない。

そんな川崎のアメリカ生活(トロントだけど)3年目となる今年、トロント・ブルージェイズ傘下のマイナー契約選手として、メジャーへの昇格を目指す日々を送る。
《アメリカへ行ってよかった。見るべきものがたくさんあったし、学んだことがたくさんあった。こんなにたくさん、まだできていないことがある。だったらおれは、もっともっと上手くなれる》。
(オグマナオト)