日本人が食べているのは、本当に美味しいイベリコ豚なのか『イベリコ豚を買いに』
その脂は甘く、ナッツのような風味がある、と言われている。
私の家の近所では、イベリコ豚のメンチカツを2個500円くらいで売っている。普通のメンチカツなら1個50円で手に入る店もあるから、やはり希少なものであることにはちがいない。だが今や大衆居酒屋を始め、回転寿しチェーンなどでもお目にかかることができる。
「幻の豚」などと称されてはいるが、はたしていかなる豚なのか。
『イベリコ豚を買いに』は、動いている姿を直接見てみたいと思った著者が、なりゆきで新商品を開発するに至る始終を記したルポルタージュ。著者の野地秩嘉は『東京オリンピック物語』や『高倉健インタヴューズ』などを上梓してきたノンフィクション作家である。
スペインの首都マドリードから南西へ150キロ離れた放牧場。東京ディズニーリゾートの約20倍の面積を持った樫の森のなかに、その豚はいた。約600匹が放し飼いにされている。体長は2メートル未満、体重は180キロから200キロと比較的大きい。
そもそもイベリコ豚とは、5500年前のイベリア半島をルーツに持つ、分類学上でいうイベリカ種の血が50パーセント以上流れている品種を指す。
通常、豚の飼料はとうもろこしや雑穀などだが、イベリコ豚は放牧場に落ちているどんぐりやハーブも摂取する。日本でどんぐりというと椎の実のだが、食べるのは樫の実。渋みが少なく、生のカシューナッツのような味がするという。
興味深いのは、日本でのイベリコ豚ブームに関する記述だ。
日本でイベリコ豚ブームが起きたのは、2005年から2006年である。2000年前後から世界的問題となっていたBSE(通称狂牛病)。2001年には日本でも発症した牛が確認されたことで、和牛の輸出、外国産牛肉の輸入規制など、食肉業界に甚大な影響を与えていた。吉野家が牛丼の代わりに豚丼を提供していた時期とも重なる。
そこで牛肉にかわる高級食肉として脚光を浴びたのがイベリコ豚だった。だが流行の要因としては、その味よりも「どんぐりを食べる豚」というキャッチーなふれこみがマスコミにとりあげられたことが大きい。
私がイベリコ豚を初めて食べたのもちょうどその頃だ。
レストランでアルバイトをしていた私は、しばしばイベリコ豚のステーキを味見したものだった。しかし正直にいったところ、おいしいといえばおいしいが、同価格帯の国産豚と比べ劇的な違いがあるとは思えなかった。特徴とされるナッツの風味も特に感じられない。
そのことがずっと頭の隅にあった。だから、本書を読んで合点がいった。間違っていたのは私のほうだったようだ。
実は、どんぐり(樫の木の実)を食べるイベリコ豚は全体の10パーセント前後しかいない。そのベジョータ(bellota=スペイン語でどんぐりの意)と呼ばれるものだけが最高級のイベリコ豚なのである。
生後3ヶ月の時点で発育がよいものを選抜。最初は餌をやらず痩せた状態で放牧する。腹をすかせた豚たちは、どんぐりやハーブをたらふく食べて太る。一頭のイベリコ豚を育てるには1トン以上のどんぐりと2から3ヘクタールの樫の森が必要だという。
イベリコ豚の母豚は、一般の豚の約半数程度の子どもしか生まない。しかも成長が遅く、飼料の効率もよくない。そのうえで選び抜かれたものがベジョータなのだから、まさに伝統とこだわりのエリート豚である。
日本に輸入されるイベリコ豚の多くは、セボと呼ばれるどんぐりを飼料としないものだ。ベジョータは、ブームのときも現在も非常に少ないという。
どんぐりを食べて育っていなければ、当然、ナッツの風味はしない。
野地のスペイン滞在中に通訳を勤め、新製品開発のパートナーとなる吉岡大輔の発言は、核心をついているように思われた。
「数年前のイベリコ豚ブームのとき、様々な会社が純血種ではないイベリコ豚をたくさん輸入したんです。ところが、舌の肥えた日本人にとってみれば、グレードの低いイベリコ豚はナッツの香りもしないし、まったく期待はずれの商品でした。そこで、『イベリコ豚はおいしいと言われていたけれど、食べてみたら、日本の黒豚よりもまずいじゃないか』となってしまったのです」
次第にイベリコ豚の人気が下火となり、業者が安値で叩き売るようになったこともあって、イベリコ豚は安価でさほどおいしくないというイメージがついてしまったのだという。ここには、食品のブームとその終焉を巡るシビアな現実がある。
今となっては確かめようもないが、私が2006年に食べたイベリコ豚は、ベジョータではなかったのかもしれない。
私はその真の味を確かめるため、都心の高級スーパーへ向かった。ハム売り場には、豚の足のかたちをした物体が二本。一方には「ハモン・セラーノ」と書かれている。もう一方には値札がついていない。
「ベジョータっていうやつありますよね、どれですか?」恐る恐る売り場担当者に訊ねてみると、すぐに値札を持ってきてくれた。
「ハモンイベリコ・ディ・ベジョータ」。スペイン語を知らなくとも何となく分かる。ベジョータのイベリコ(生)ハム……これだ。
担当者の話によれば、日本で手に入る最高峰のものらしい。
その価格、なんと100グラムで5000円。普段スーパーで128円の肩ロースを買っている私からすれば異次元の価格である。
最小20グラムから切ってくれるというので、きっかり20グラム注文。木の葉ほどの大きさの薄〜い肉片が7枚。これで1000円だ。
帰宅し、一番高そうな皿を選んで、生ハムを並べる。赤褐色の表面に脂が浮いて光る。しばらく放置するだけで、テーブルの上に存在感のある濃厚な香りが。
「噛み締めれば噛み締めるほどナッツの香りが口のなかに広がる気がした」と、本書にはあった。
本当だ。口にいれた途端に理解できる。ミックスされたナッツのような、複雑な風味。溶けた油は確かに甘く、その舌触りは質のよいオリーブオイルに似ている。
端的に言うと、めっちゃうまい。ビビるほどうまい。
本書の後半では、銀座のフランス料理店「マルディグラ」の和知徹を監修に置き、いよいよ仕入れたイベリコ豚を新製品として市場に出す挑戦が始まる。野地が考案したのは、本来生ハムに使われるベジョータの前足を使用した、日本で初めてのスモークハムだ。
ハムづくりにたいする男たちの熱き思い。重ねた試作と改良。そうして2013年に完成したのが、マルディグラハムである。
『イベリコ豚を買いに』を読んで得られるのは、イベリコ豚についての知識、食肉の流通事情、そしてプロとしての心得。しかしなにより私にとって嬉しかったのは、ベジョータとの出会いだ。この本を読んでいなければ、もしかすると一生、誤解したままだったかもしれない。
イベリコ豚のベジョータは、異次元にうまい。
(HK 吉岡命・遠藤譲)
『イベリコ豚を買いに』の著者、野地秩嘉さんが企画したマルディグラハムは、株式会社グルメミートワールドの通販ページで購入できます。
※マルディグラハム【250グラム】3333円(税別)
※マルディグラハム【ギフトセット】7619円(税別)
私の家の近所では、イベリコ豚のメンチカツを2個500円くらいで売っている。普通のメンチカツなら1個50円で手に入る店もあるから、やはり希少なものであることにはちがいない。だが今や大衆居酒屋を始め、回転寿しチェーンなどでもお目にかかることができる。
「幻の豚」などと称されてはいるが、はたしていかなる豚なのか。
スペインの首都マドリードから南西へ150キロ離れた放牧場。東京ディズニーリゾートの約20倍の面積を持った樫の森のなかに、その豚はいた。約600匹が放し飼いにされている。体長は2メートル未満、体重は180キロから200キロと比較的大きい。
そもそもイベリコ豚とは、5500年前のイベリア半島をルーツに持つ、分類学上でいうイベリカ種の血が50パーセント以上流れている品種を指す。
通常、豚の飼料はとうもろこしや雑穀などだが、イベリコ豚は放牧場に落ちているどんぐりやハーブも摂取する。日本でどんぐりというと椎の実のだが、食べるのは樫の実。渋みが少なく、生のカシューナッツのような味がするという。
興味深いのは、日本でのイベリコ豚ブームに関する記述だ。
日本でイベリコ豚ブームが起きたのは、2005年から2006年である。2000年前後から世界的問題となっていたBSE(通称狂牛病)。2001年には日本でも発症した牛が確認されたことで、和牛の輸出、外国産牛肉の輸入規制など、食肉業界に甚大な影響を与えていた。吉野家が牛丼の代わりに豚丼を提供していた時期とも重なる。
そこで牛肉にかわる高級食肉として脚光を浴びたのがイベリコ豚だった。だが流行の要因としては、その味よりも「どんぐりを食べる豚」というキャッチーなふれこみがマスコミにとりあげられたことが大きい。
私がイベリコ豚を初めて食べたのもちょうどその頃だ。
レストランでアルバイトをしていた私は、しばしばイベリコ豚のステーキを味見したものだった。しかし正直にいったところ、おいしいといえばおいしいが、同価格帯の国産豚と比べ劇的な違いがあるとは思えなかった。特徴とされるナッツの風味も特に感じられない。
そのことがずっと頭の隅にあった。だから、本書を読んで合点がいった。間違っていたのは私のほうだったようだ。
実は、どんぐり(樫の木の実)を食べるイベリコ豚は全体の10パーセント前後しかいない。そのベジョータ(bellota=スペイン語でどんぐりの意)と呼ばれるものだけが最高級のイベリコ豚なのである。
生後3ヶ月の時点で発育がよいものを選抜。最初は餌をやらず痩せた状態で放牧する。腹をすかせた豚たちは、どんぐりやハーブをたらふく食べて太る。一頭のイベリコ豚を育てるには1トン以上のどんぐりと2から3ヘクタールの樫の森が必要だという。
イベリコ豚の母豚は、一般の豚の約半数程度の子どもしか生まない。しかも成長が遅く、飼料の効率もよくない。そのうえで選び抜かれたものがベジョータなのだから、まさに伝統とこだわりのエリート豚である。
日本に輸入されるイベリコ豚の多くは、セボと呼ばれるどんぐりを飼料としないものだ。ベジョータは、ブームのときも現在も非常に少ないという。
どんぐりを食べて育っていなければ、当然、ナッツの風味はしない。
野地のスペイン滞在中に通訳を勤め、新製品開発のパートナーとなる吉岡大輔の発言は、核心をついているように思われた。
「数年前のイベリコ豚ブームのとき、様々な会社が純血種ではないイベリコ豚をたくさん輸入したんです。ところが、舌の肥えた日本人にとってみれば、グレードの低いイベリコ豚はナッツの香りもしないし、まったく期待はずれの商品でした。そこで、『イベリコ豚はおいしいと言われていたけれど、食べてみたら、日本の黒豚よりもまずいじゃないか』となってしまったのです」
次第にイベリコ豚の人気が下火となり、業者が安値で叩き売るようになったこともあって、イベリコ豚は安価でさほどおいしくないというイメージがついてしまったのだという。ここには、食品のブームとその終焉を巡るシビアな現実がある。
今となっては確かめようもないが、私が2006年に食べたイベリコ豚は、ベジョータではなかったのかもしれない。
私はその真の味を確かめるため、都心の高級スーパーへ向かった。ハム売り場には、豚の足のかたちをした物体が二本。一方には「ハモン・セラーノ」と書かれている。もう一方には値札がついていない。
「ベジョータっていうやつありますよね、どれですか?」恐る恐る売り場担当者に訊ねてみると、すぐに値札を持ってきてくれた。
「ハモンイベリコ・ディ・ベジョータ」。スペイン語を知らなくとも何となく分かる。ベジョータのイベリコ(生)ハム……これだ。
担当者の話によれば、日本で手に入る最高峰のものらしい。
その価格、なんと100グラムで5000円。普段スーパーで128円の肩ロースを買っている私からすれば異次元の価格である。
最小20グラムから切ってくれるというので、きっかり20グラム注文。木の葉ほどの大きさの薄〜い肉片が7枚。これで1000円だ。
帰宅し、一番高そうな皿を選んで、生ハムを並べる。赤褐色の表面に脂が浮いて光る。しばらく放置するだけで、テーブルの上に存在感のある濃厚な香りが。
「噛み締めれば噛み締めるほどナッツの香りが口のなかに広がる気がした」と、本書にはあった。
本当だ。口にいれた途端に理解できる。ミックスされたナッツのような、複雑な風味。溶けた油は確かに甘く、その舌触りは質のよいオリーブオイルに似ている。
端的に言うと、めっちゃうまい。ビビるほどうまい。
本書の後半では、銀座のフランス料理店「マルディグラ」の和知徹を監修に置き、いよいよ仕入れたイベリコ豚を新製品として市場に出す挑戦が始まる。野地が考案したのは、本来生ハムに使われるベジョータの前足を使用した、日本で初めてのスモークハムだ。
ハムづくりにたいする男たちの熱き思い。重ねた試作と改良。そうして2013年に完成したのが、マルディグラハムである。
『イベリコ豚を買いに』を読んで得られるのは、イベリコ豚についての知識、食肉の流通事情、そしてプロとしての心得。しかしなにより私にとって嬉しかったのは、ベジョータとの出会いだ。この本を読んでいなければ、もしかすると一生、誤解したままだったかもしれない。
イベリコ豚のベジョータは、異次元にうまい。
(HK 吉岡命・遠藤譲)
『イベリコ豚を買いに』の著者、野地秩嘉さんが企画したマルディグラハムは、株式会社グルメミートワールドの通販ページで購入できます。
※マルディグラハム【250グラム】3333円(税別)
※マルディグラハム【ギフトセット】7619円(税別)