『芥虫』桔梗素子(角川書店/KADOKAWA)

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4月ですね。新社会人、大学新入生のみなさん、通勤通学お疲れさまです。

これまで乗らなかった時間に、これまで乗らなかった路線の満員電車で、どうにかスマートフォンくらいはいじれる、という環境でこの記事を読んでくれている人がいるかもしれない。
満員電車で頭に来る犯罪と言えばスリと痴漢。痴漢は女の敵である。また、周防正行監督『それでもボクはやってない』(2007)に描かれたように、痴漢は男の敵である。
その痴漢をやらかして捕まった男の末路ってヤツを、ちょっと見てみませんか? 怖いよ。

桔梗素子のデビュー作『芥虫〔あくたむし〕』(角川書店/KADOKAWA)。
〈俺〉(35)は貴金属工場で、ワックス検品係としてアルバイトしている。寡黙で、職場では自分のことは語らない。語れない。痴漢の前科があるのだ。
5年前はそこそこ優秀な高校教師だった。もう結婚していた。娘は当時は乳児だった。ほんとうに魔が差したとしか言いようがない。
罰金刑を受けた〈俺〉を、勤務先は謹慎で済ませようとしたが、〈俺〉は耐えられず依願退職。転居し、妻の勧めでもあって改名した(1字だけ。音は同じ)。
妻は、夫の過去を知られぬように神経を尖らせている。幼い娘はなにかに怯えるように泣きやまない。
まじめで優秀な仕事ぶりがよかったのだろう。事件からもう5年、その〈俺〉に、正社員登用の打診を受けた。
ふつうなら、家族に大喜びで報告し、この話を受けるところだ。けれど〈俺〉には、妻にこの話をできないわけがある。正社員登用に必要なもの、それは印鑑と、住民票。住民票には改名の記録が残ってしまうのだ。僕はこれ、この小説を読んで初めて知りました。
〈「知られないこと、知らせないこと」を最重要課題にして暮らしている〉妻が、職場への住民票提出を認めるわけがない。
このあたり、じつにうまい。改名を勧めたのも妻なら、正社員登用に危機感を抱くのも妻なのだ。夫が罪を後悔しているように、妻も自分の選択を後悔しているかもしれない。

以下、この小説はプロットの現在時で、現在の職場である工場の社長や同僚との関係を、また回想では前の職場である高校の同僚との関係、そして主人公の、恵まれていたとは言いがたい少年期の、母との関係を、少しずつ語っていく。怖いだけでなく、切ない。
切ないというのは、主人公も妻も、なんとかやり直そうと一所懸命なんだけど、絶妙な感じでこの「世間」と噛み合わないのだ。
どころか、主人公と妻のあいだにも、うまく共闘しづらいズレがある。おまけに主人公は、こういう状況下でも、相変らず自分の旺盛な性欲を持て余し気味だったりする。しょうがないんだけど。
なにより皮肉なのは、主人公を追いつめるのが必ずしも周囲の悪意ではなく、しばしば周囲の善意のほうだということ。
善意自体にはなんの毒もないはずなのだが、それが現在の息苦しい日本社会のなかで発動すると、それによって身動きが取れなくなってしまう。そういう社会なのだ日本は。
このばあいだと、過ちを犯して家族以外のすべてを失った男が、素性を隠して再起を誓ったわけですよね?
再起を誓うといっても、だれに誓うの? 神?

ドストエフスキーのロシアと違って日本には、罰する「神」がない。
ということは、許す「神」もないのだ。
日本にあるのは「神」ではなくて、「世間」。世間は許さない。
一神教の「神」は、罰したり許したりするけれど、日本の「世間」は、追いつめるか忘れるか、だけ。
だからこの『芥虫』は、そういう日本の「世間」の一側面を書ききった怖くて切ない小説なのだ。

主人公は痴漢をやらかした。だから読んでいて、その前歴を見ると、べつに同情に値しないよ、という気にもなる。
でもいっぽうで、作中のどんな犯罪者や悪人にも寄り添うのが、小説の読者の仕事というような部分もある。これはべつに、読者が視点人物に肩入れしなければならないとか、味方しなければならないとか、そういうことではない。
小説というものは、視点人物(語り手キャラを含む)というものを、たとえそいつがどんなに生理的に受けつけない人物であろうとも、どんなに道義的に許しがたい人物であろうとも、とりあえずは「そのまま受け容れる」(放置する)ことによってしか、その先1行たりとも読み進めることができない。そういう形式のコンテンツなのだ。

あたりまえすぎてつい忘れがちなその事実を、『芥虫』を読んでいると、強烈に突きつけられる。この語り手兼主人公を、責めるでもなく、かばうでもなく、ただそのままで彼にそこに「居てもらう」こと。これが『芥虫』を読むという経験なのだと思う。

ところでこの『芥虫』は、第1回角川Twitter小説コンテストの最優秀賞受賞作だ。作品の公式サイトはこちら。
Twitterは、1回最高140字でいったん句切って送信する。そして、途中で人(他のユーザ)が反応を返すこともある。しかもそれが、まったく知らない人であることも多い。使いようによっては、対話的なツールともなりうるSNSだ。
じっさい、連続ツイート(連ツイ)がひとつの読みものになっている人もいる。連ツイをまとめてブログエントリにしているライターもいる。
理屈から言えば、小説を最高140字ずつ句切ってツイートすることで、衆人環視の環境で小説まるまる一本を見せていくこともできる。角川Twitter小説コンテストは、この形式でエントリする公募小説賞だ。
ふつうの公募小説新人賞や懸賞小説は、作品完成のあとに応募するものだが、角川Twitter小説コンテストだと、エントリしてから作品を完成させることもできるということ?

作者・桔梗素子( @kikyo_riu )は、2013年4月22日22時41分から7月15日8時24分までの3か月弱の848ツイートで、この小説を書ききった。こちらで小説の全文が読める。でも、できたら紙で読んだほうがいい。
(千野帽子)