『世界屠畜紀行』『飼い喰い〜三匹の豚とわたし』の著者が自らの断捨離生活を綴った
『捨てる女』(内澤旬子/本の雑誌社)。

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本も物もなにもかも捨てられない。それどころか、古着や骨董、がらくたやゴミを買ったり拾ったりするのが大好き! という人が一転、”捨て暮らし”を始めるとどうなるか。
ルポライター/イラストレーターの内澤旬子は著書『捨てる女』のなかで、こう語っている。
“仕事場の本や道具やがらくたのカオスすべてが、いつのまにか反吐が出るほど見たくないものとなってしまったのである。自分でもちょっと怖いんだが、どうにもならない。”

きっかけは乳がんの治療。突如として、仕事場の本や道具、がらくたのカオスすべてに嫌悪感を抱くようになる。"モノはなけりゃないほどいいし、隠せるもんなら全部隠してつるっぺたにしたい。したいったらしたいんじゃあっ!!”という発作に襲われる。

そして、「まだまだ使えそうなものもなんもかんも、捨てまくる」「三年以内に着手できないもの使わないものは、いらん」というライフスタイルに向けて、大きく舵を切る。

まず、戸棚や冷蔵庫に巣食う保存食を必死に喰いつくすところからのスタート。実家から送られてきた、乾燥もずくと乾燥プルーンがそれぞれ30袋以上。1998年にサハリン取材でもらった”バラ科の「なにか」の実でできたジャム”に、著者が20代の頃、居候していた下宿屋のおばあさんが漬けていた梅酒の梅(著者は現在、40代半ばである)。「亜麦茶」と名付けるほどまずい麦茶も捨てられず、必死に飲む。

序盤では「捨てる女」と言いつつも、それほど捨てていないように見える。

靴を捨てては「ふわっと身体が浮くように軽くなり、そしてすこし寂しくなった」としんみり。20代の頃に買ったウインドブレーカーと腰痛サポーターを捨てては「ああ、あたしの中の昭和が死んでゆくなあ」としみじみ。くどいようだが、著者は現在、40代半ばである。

“捨て”に拍車がかかるのは、豚を飼い育てるために、千葉県のはずれにある「元居酒屋の廃屋」に移り住んでからだ。調理器具や壊れた冷蔵庫、こたつ布団、五月人形(!)に至るまで、捨てに捨てまくる。そして、豚を飼い終えた著者は、夫(当時)と別れ、マンションを手放し、大量の蔵書を処分することを決意する。

さらには、東日本震災の折り、トイレットペーパー買い占め騒動に腹を立て、「尻を紙でぬぐう」という生活習慣を捨てることを決める。えー!

離婚のくだりは数ページで終わるのに、トイレットペーパーとの別れは20ページ以上に及ぶ。100円ショップで買った霧吹きで尻に水を吹き付けるが役に立たず、荒物屋で購入した小さめの水差しを金のこで削る。イラン人にならって「アーフターベ」という尻洗器を作るという。

“何回か練習するうちに、だいたいのコツがつかめてきた。(中略)五回もやれば誰でもできるようになる。断言してもよい。なんたって地球上で億単位の人々が造作もなくやってきたことなのだ。そしてこれになれるともう紙に戻れない。”
尻を洗う話はこんなにも楽しそうに語られているのに、ものを捨てる話に戻ると、途端に逡巡の色が濃くなる。

“今の自分の、捨てまくりたくてたまらん心境の先にあるものが、幸福(当社比)だとは、まるで思えない”
“恐るべし、断捨離。威勢よく捨てまくっているうちに、どうやら人生を楽しむ力まで捨ててしまったようなのである。”
“本も、製本のためにそろえたあれこれも、そして枯れた鉢植えも。実際に捨てるまでには数年かかったんだけど、まさか配偶者まで要らなくなるとは思っていなかったんだがな。”

捨て暮らしを始めて6年。すっからかんになった部屋で、著者は多肉植物を育て始める。
”気がついたら、多肉の新入りが四鉢もいる。それからふつうの観葉植物がえーと五鉢ぐらい? いきなり室内とベランダ緑化に走り始めたのである。今狙っているのはオリーブの大鉢。それと睡蓮もいいな。”

人生を楽しむ力は早々捨てられるものではないらしい。

*『捨てる女』(内澤旬子/本の雑誌社)
*『世界屠畜紀行』(内澤旬子/角川書店)
*『飼い喰い〜三匹の豚とわたし』(内澤旬子/岩波書店)

(島影真奈美)