『叙情と闘争 - 辻井喬+堤清二回顧録』辻井喬/中公文庫

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先々週(2013年11月末)、セゾングループ創設者・堤清二の訃報を聞いた。
詩人・小説家の「辻井喬」としてもよく知られている人だった。

『叙情と闘争 辻井喬+堤清二回顧録』(中公文庫)には、こういうことが書いてある。
〈作家にとって、経営者であるかどうかは、彼が魚屋か理髪店主か駅前の不動産斡旋業者かと同じようなひとつの与件にすぎず、さらに言えば鹿児島県生まれか埼玉県生まれかというのと重要性の点では変わらない環境のひとつなのだ〉。
辻井喬=堤清二はここで、作家以外の生業の種類や出身地がまったくどうでもいい、という話をしているのではない。それは重要だけど、その重要さは、経営者である作家と、魚屋である作家とのあいだで、当人たちにとっては本質的に違わないのではないか、ということを言っている。

当たり前といえば当たり前の話かもしれないけれど、このことを彼は、戦前の明治生命(のちの明治安田生命)創業者の四男で専務にまで登り詰めた小説家・水上瀧太郎が書いたものを読むことで発見し、安心したのだという。
逆に言えば、それだけ何を書いても「西武の御曹司」としか見てくれない人が多かったと、彼はそのころまで感じていて、それを気に病んでいた、とは言わないまでも、あまりおもしろく思ってはいなかっただろうということがわかる。

『叙情と闘争』には、昭和の日本を挟んでいた三大国のトップ級の公人(中国共産党「四人組」のひとり姚文元、ソ連共産党中央委員コワレンコ、アイゼンハワー大統領)から、日本政財界のビッグネーム、文学者や芸術家、芸能人(ザ・ピーナッツ、ダークダックス)まで、派手な名前がたくさん出てくる。昭和・平成の新聞雑誌のスターたちが入れ替わり立ち替わり登場する、華やかな近過去絵巻だ。
頼まれて三島由紀夫の楯の会の制服を作ったために、同会の決起と市ヶ谷での三島の切腹のあと、三島の父・平岡梓(もと農林省水産局長)から
〈あんたのところであんな制服を作るから倅〔せがれ〕は死んでしまった〉
と言われたこととか、安部公房スタジオ立ち上げ前後に堤清二と安部が武満徹に会ったとき、シンセサイザーいじりに夢中だった安部が武満にシンセのおもしろさについて熱弁を震い、武満が
〈ああいうものが出来ると皆が音楽家になっちゃうんじゃないかな〉
と苦笑したこととか、文化系の挿話にはこと欠かない。

でも一番おもしろいのは、経営者「堤清二」が父・康次郎や阪急電鉄の小林一三、ホンダの本田宗一郎など、企業経営の先達を語った部分と、それから後半になって比重を増してくる、堤清二自身の事業(劇場・美術館・出版・無印良品・セゾンカード)にかんする記述だ。
消費社会において、文化コンテンツにはどういう役割があるのか、ということについて、考えたことがある人は多いだろう。堤清二はそれをじっさいに実験して、東京の風景を変えるにいたった。

この回顧録と、それから『伝統の創造力』(岩波新書)という直球の文学論は、みずからも先陣切って日本にもたらした、後戻りできないほどの変容の、作用も副作用も踏まえて書かれている。
『伝統の創造力』での提言は重い。伝統という概念が戦時中には国家主義者によって、平成期には「保守」を自称する政治勢力の論客の一部によって、空疎な形で悪用されてきた事情を説き明かしつつ、日本文化(とくに詩歌)が置かれた状況を冷静に分析し、日本文化がつぎのステップをどう踏み出せばよいかということについて、スケールの大きな議論を展開している。

『叙情と闘争』と並んで読むとおもしろいのは、1952年の「血のメーデー事件」にいたる学生時代までを綴った青春小説『彷徨の季節の中で』(中公文庫)、経営者としての組織内の戦いを描く『いつもと同じ春』(同。糸井重里をモデルにした人物も出てくる)、歌人である母・大伴道子の一生をモデルとした『暗夜遍歴』(講談社文芸文庫)という一連の自伝的ファミリーロマンスだろう。
また戦後すぐの、住友常務理事であり歌会始選者でもあった歌人・川田順と、歌人・鈴鹿俊子(当時京大教授と結婚していた)とのいわゆる「老いらくの恋」を小説化した『虹の岬』(中公文庫。谷崎賞)は、三國連太郎・原田美枝子の主演で映画化された。
さらに連作集『変身譚』(増補版、ハルキ文庫)では、古典から連合赤軍山岳ベース事件にまで幅広く題材をとって、SF的だったり寓話的だったりパロディ的だったりする変身物語を集めている。

私は詩歌に疎く、詩人としての「辻井喬」は知らないのだけど、詩歌入門書『詩が生まれるとき 私の現代詩入門』(講談社現代新書)の前では、そういう私のような者が詩にたいしてめずらしく素直になっていることに自分で気づく。

『叙情と闘争』のあとがきを読むと、社会主義革命に失望した若き堤清二は、だからといって自由経済社会が理想社会たりうるなどと夢見たことはないと明言し、革命への失望が自分を文化芸術に向かわせたのかもしれない、と述べたあとで、こう続けている。
〈しかし、それには一定の美意識とでも言うべきものの裏付けが必要だと思うのだが、この点になると、僕はお手上げに近いのだ。というのは、ほとんど大抵のものに感心してしまうからである〉。

美意識などというものは、当人の我でしかない。資本主義社会において、美意識はもっとも醜悪なものである可能性もある。
堤清二が美意識なんてものを標榜しない人、〈ほとんど大抵のものに感心してしまう〉人でよかったなーと思うのだ。〈ほとんど大抵のものに感心してしまう〉ためには、教養も智慧も必要だからだ。
(千野帽子)