NASAが公開している衛星軌道からのハイエンの姿。巨大な雲が渦を巻いているところがはっきり分かります。

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2013年11月4日午前9時頃、トラック諸島近海で発生した平成25年台風第30号(アジア名:ハイエン、フィリピン名:ヨランダ)は、8日早朝にフィリピン中部に上陸した。11月14日までのフィリピン政府の発表によると、死者は2300人を超え、被災者は約950万人。これは全人口の約1割で、経済損失は少なくても総額10億円以上と推定されている。

ハイエンの直撃を受けたレイテ島タクロバン市では家屋や建築物の70%〜80%が倒壊してインフラが壊滅、水も食糧も医療品も無い状況が続いている。物資を求めて詰めかける生存者と、武装して自衛する商店の対立によって、治安が急激に悪化しているとの報告もある。

被災者の証言もすさまじい。家に隠れていたら屋根が吹き飛んで、車庫に逃げたら根こそぎ流されて、何とか泳いで助かったと話す住民。水の中に、橋の上に、道ばたに、あらゆる場所に死体があったと話す赤十字職員。暴風がうなりガラスが割れる音が鳴り響くなか、それよりも大きな人の悲鳴が聞こえてきて、頭がおかしくなりそうだったと話す記者。

ただ、地震とは異なり台風の接近は数日前から予測できる。ましてやハイエンは宇宙からでもハッキリ見えるほど大きい台風だった。もう少し準備はできなかったのだろうか?

もちろん準備は万全だった。学校などの公共施設は休業、漁師の船は係留が命じられた。ハイエンが上陸する前日、11月7日の未明までには直撃が予測されていたタクロバン市の住民の大半が避難場所に移動していた。それでも被害を防ぐことはできなかった。

理由はいくつかある。まず、ハイエンは規格外に強大な台風だった。風速87.5メートル、最大風速105メートルで、これは上陸した台風の中では観測史上最強だ。今年10月に日本に上陸して今年最大と言われた平成25年台風第27号は、風速55メートル。首都圏でも傘が吹っ飛んだり電車が止まったりしていたが、あの台風の1.5倍〜2倍の風ということになる。

世界中の台風やハリケーンを追いかけることを生業にしているストームチェイサーというジャーナリストや写真家、いわば台風のソムリエみたいな人たちも直撃したときにフィリピンに居たのだが、ハイエンはケタ違い、まさに怪物級だったと口を揃えている。

さらにそこに、台風による高波が加わった。日本人であれば、ネットにあふれている写真や動画をみれば気が付くと思う。打ち上げられた船、裏返しになった車、一面がれきの山になった街。どれも震災の被災地を思い出させる。動画や被災者の証言をみていても、水や泥が凄い勢いで押し寄せてきた、というものが多い。

気象専門家は、台風による高潮「気象津波」が発生していたのでは、と分析している。台風の中心は気圧が低いため、周囲の海水を吸い上げる。そこに強い風が吹き付けることで、さらに海面が上がる。そして風に向かって開いている湾があれば、地形によって収束されて高い波になる。

タクロバン市は湾の奥に位置していたため、低気圧と暴風と地形の相乗効果によって、4〜5メートルにまで達した高波の直撃を受けてしまったのだ。誰も経験したことがない暴風雨と建物を根こそぎ倒壊させるような高波。二つが同時に襲ってきたら、完全な対策なんて取りようがないだろう。

この被害をふまえ、今月11日からポーランドの首都ワルシャワで始まったCOP19(国連気候変動枠組み条約第19回締約国会議)で、フィリピン政府代表団のイェブ・サノは涙ながらにハイエンと温暖化の関連を訴え、温暖化対策に関して意義のある結果が出るまで自発的に断食すると宣言した。会場では1分近いスタンディング・オベーションが起きた。

動画を観ると、スピーチが終わると共に鳴り響く拍手、次々に立ち上がる人々、もらい泣きする人、会場が一体になった感動的な光景だった。

ただ一つ気になるのは、サノ代表は去年ドーハで開催されていた前回の会議でも、同じように涙ぐみながら温暖化対策の重要性を訴えていて、そのときも会場は拍手に包まれていたことだ(当時はボーファという台風がフィリピンに上陸して約600人の死者が出ていた)。それから約一年が経過しているが、被害はまだ大きくなっている。(tk_zombie)