書きたかったのは、悪というより人生の迷子。映画「フィルス」原作者アーヴィン・ウェルシュを直撃
鬼警部どころか鬼畜警部来襲!
11/16公開映画『フィルス』の主人公、ブルース・ロバートソンは、史上最高の悪徳警官キャラクターだ。昇進のためなら同僚を罠にはめるぐらいのことは平気でする。刑務所にブチ込むことをネタに被疑者をゆする。他人の妻は寝取る。友人の妻には卑猥なイタズラ電話をかける。コカインの取引には手を出す。股間には湿疹ができていてヤバイ病気も持っている。
しかし、それらの欠点を補って有り余るほど有能な、スーパーコップでもあるのだ。
この魅力的なキャラクターを創造したのは、映画化されたヒット作『トレインスポッティング』の作者アーヴィン・ウェルシュ。そう、ユアン・マクレガーやロバート・カーライルの出世作になった、アレですよ、アレ。
今回そのフィルスが、ジョン・S・ベアード監督によって映画化された。先日公開された『トランス』(監督は『トレインスポッティング』と同じダニー・ボイル)でも主演を務めたジェームズ・マカヴォイが鬼畜警官ブルースを演じる。「え、あのタムナスさんが!」、そうそう、『ナルニア国物語』のバイプレイヤー、タムナスの演でその名を知られることになったマカヴォイが、最高の演技を見せるのがこの映画なのだ。
来日したアーヴィン・ウェルシュとジョン・S・ベアードに原作及び映画についてインタビューを行ったので、ぜひ読んでください。
───原作者から見て、ジェームズ・マカヴォイのブルースはいかがでしたでしょうか。
ウェルシュ ベアードと2人で最初にジェームズと会ったとき、ダメだ、と思ったんだ。見かけは10代の子供で、イメージとはかけ離れていた。しかし、用事で10分ほど席を外し、戻ってきたとき、ジェームズは完全に変って見えた。そこには私の考えるブルース・ロバートソンがいた。わずかな時間で、ジェームズは役に入りこんでしまったんだ。『トレイン・スポッティング』でユアン・マクレガーやロバート・カーライルがレントンやベグビーを演じたときは、彼らの熱演によってキャラクターはそういう顔だったんだな、と後から思えるようになってきた。しかし、ジェームズは違う。彼の演じるキャラクターは私の思うブルース・ロバートソンそのものだ。痩せていて、フケ性の髪が乱れていて、いつも二日酔いのせいで蒼白い顔をしている。まさに小説のキャラクターそのものなんだ。
───ウェルシュさんは、最初『トレインスポッティング』など、高すぎる失業率の中で未来が見出せず、ドラッグやクラブ・カルチャーに救いを見出す若者たちの群像劇を書いて評価されました。そのあなたが権力の側にいる警察官、しかも悪徳警官を主人公にした小説を書いたと知って、発表当時は衝撃を受けたものです。
ウェルシュ 書きたかったのは「悪」というより「人生の迷子」だった。作家になる前に私は、市役所で働いていたことがある。そのころ大きな構造改革があり、縦型のヒエラルキーが破壊されて、横型のチームワークを重視するものへと組織が生まれ変わったんだ。当然ながら旧いタイプの人間の中には、その変化に対応できずに自分を見失ってしまう者が続出した。そうした形で、社会の変化の中で人生の迷子になる者を書こうとしたとき、市役所よりもさらに保守的で、より強い壁に守られている組織は何かと考えて、警察を思いついた。
───社会の変化に巻き込まれた人生の迷子という意味では『トレインスポッティング』の失業者たちと共通する点がありますね。
ウェルシュ そうだね。今、あなたが悪徳警官と言ったけど、ブルースは有能でもあり、生き残るための策をさまざまに弄していく。しかし、そうした身を守るためのツール自体が、彼を迷わせ、深みにはまらせてしまっているわけなんだ。
───なるほど、納得です。今度はベアード監督にお聞きしたいのですが、映画は原作のエッセンスを見事に集約したものになっています。ブルースの策謀をはじめ、重要な事件はすべて描かれていますし、冒頭から結末に至るまで、見事な『フィルス』になっています。
原作小説から脚本への移し変えを行った際に、もっとも配慮された点は何でしょうか。
ベアード アーヴィンの作品の中で最も好きなものが『フィルス』です。これは彼のすべての作品に共通することですが、ダーク・コメディの色彩がある。映像化の際には、その点を見失ってはいけないと思いました。犯罪というダークな要素に引っぱられすぎて、コメディであることを忘れないようにする。そのために必要なことは、登場人物たちにきちんと心を持たせることでした。どんな場面でもキャラクターたちの心の働きが見える。それを怠ったとき、映画はダークすぎて観るに耐えないものになるだろうと思いました。
───ダーク・コメディというご指摘は非常に納得です。私もおおいに笑わせていただきました。一つお聞きしたいのは、映画から聴こえてくる音楽の問題です。原作版の『フィルス』はどちらかというと荒々しいヘヴィメタのイメージです。しかし映画版ではどちらかというとソウル・ミュージックやもう少しソフトなポップスをBGMとし、特にデイヴィッド・ソウル(日本では「刑事スタスキー&ハッチ」のハッチ役で有名)のSilver Ladyが、登場人物の内面を表現する曲として象徴的に使われています。これは今おっしゃったことと関連した演出ですか?
ベアード ああ、通訳していただかなくてもあなたがBGMのことを言いたいのだとわかりました(笑)。言われるとおりで、最初に設定していたBGMはやはりヘヴィメタだったのですが、それでは少しダークすぎるかな、と考えてソウル・ミュージックが欲しいと思ったのです。デイヴィッド・ソウルに思い至ったときアーヴィンに話してみたら「ああ、彼なら知っている」と。その場で電話をしてもらい、すぐに話が決まりました(重要な一場面でカメオ出演している)。
ウェルシュ 小説でもブルースはマーヴィン・ゲイを聴いたりしてるんだけどね。
───もう一つがサナダムシの問題です。サナダムシは『フィルス』小説版の重要な登場人物で、寄生虫の意識がときおりブルースの語りを侵食していくというのが、タイポグラフィ(特殊な文字組み)を駆使した文章で書かれています。これは到底映画化不可能と思っていたのですが、ベアード監督は見事な方策で切り抜けられていますね。
ベアード 聞かれるとは思っていました(笑)。サナダムシは、ブルース・ロバートソンの内面の良心を表しているのだと思います。小説版の『フィルス』は、物語の表面でブルースの肉体の崩壊が描かれると同時にサナダムシを介して内面吐露が行われます。その部分をもちろん表現しなければいけない。そこで映画版では精神科医をブルースの聞き役として登場させました(ジム・ブロードベンド)他では語られないブルースの過去や内面の問題が彼との絡みでは描かれることになる。これでようやくサナダムシ問題は解決できました。
───ちゃんとサナダムシも出てきますしね。もう1つ、日本人としてお聞きしたいことがあるのですが、ブルースが捜査することになる殺人事件の被害者は原作ではアフリカ系の人物ですが、本作では日本人旅行者の青年に変えられています。この変更にはどういう意味があるのでしょうか。
ベアード 物語後半でやはりアフリカ系の登場人物が出てくるので、その意味がくっつきすぎてしまうと、もしかすると観客は混乱してしまうのではないか、と考えました。そこで日本人に差し替えてみたところ、冒頭でまず日本語が聞えてくることになり、イギリス一国に収まらない広がりが映画にも出てきたと思います。あの犠牲者を演じたのはザック・ニイザトという俳優なのですが、たいへん素晴らしい才能の持ち主なのでぜひ出演してもらいたいと考えていました。しかしエディンバラの物語なので、当然日本人の出番はない。そこであそこに彼を当てはめた、というのがもう一つの理由ですね。
───もう一度ウェルシュさんにお聞きしたいのですが、これまであなたの作品は、『トレインスポッティング』『アシッドハウス』『エクスタシー』(日本未公開)と3作が映画化されています。今回が4作目になるのですが、映画を観ての率直な感想を教えてください。
ウェルシュ 前の3作もそれぞれに良かったのだけど、今回は本当に脚本が素晴らしかったと思います。もちろん映画を成功させる要因は脚本だけではないが、まあまあの脚本からはそこそこの作品しか生まれない。私も演劇の脚本などを手がけているので、そのことは痛感しています。映画化の話があったとき、ベアードが私に見せてくれた脚本はたいへんに素晴らしいものでした。そのために映画はいいものになったと思うし、興行的にも大きな成功を収めることができた(歴代イギリス映画ではベストテンに入るヒットで、英国インディペント映画賞でも5部門にノミネートされている)。非常によかったと思います。
───最後に、ウェルシュさんの現在について伺いたいと思います。あなたの商業媒体でのデビューは93年の『トレインスポッティング』ですが、それ以前にコピー誌で自作を配布していたものが編集者の目にとまったのがきっかけであったと聞いています……。
ウェルシュ コピー?
───はい?
ウェルシュ (通訳から説明を受け)ああ、びっくりした。映画ではブルースがコピー機を使ってとんでもないイタズラをするので(注:観ればわかりますが、とんでもないです)、そのことについて聞こうとしているのかと思ったんだ(笑)。
───(笑)続けます。デビュー当時のあなたは、自身がイングランド文壇の「辺境」にいると主張しておられましたが、その状況は今でも同じでしょうか。それともデビューから時間が経過し、やはり立場も変わってきましたか?
ウェルシュ ああ、たしかに自分は有名大学を出たというような学歴がなくて、しかも文壇になんのコネもなかったものだから、出発点はやはりアウトサイダーであり、辺境にいるという意識はありました。ただ、20年間作家活動を続けてくれば、なんらかのコミュニティはできてきて、単純なアウトサイダーということでもなくなってくるでしょう。しかし、作家は本質的にはアウトサイダーなのだと思っています。それは、純粋に一人でものを作り続けるという職業だからです。作家と画家、そして彫刻家は本質的にはそうでしょう。キャリアは積みましたが、自身がそういう意味のアウトサイダーであるという意識は、私の中ではずっと変わらずにありますね。
映画『フィルス』は11月16日(土)公開。絶対に見逃すな。ブルース・ロバートソンの魂の叫びを綴った小説『フィルス』も改訳版が絶賛刊行中です。
(杉江松恋)
11/16公開映画『フィルス』の主人公、ブルース・ロバートソンは、史上最高の悪徳警官キャラクターだ。昇進のためなら同僚を罠にはめるぐらいのことは平気でする。刑務所にブチ込むことをネタに被疑者をゆする。他人の妻は寝取る。友人の妻には卑猥なイタズラ電話をかける。コカインの取引には手を出す。股間には湿疹ができていてヤバイ病気も持っている。
しかし、それらの欠点を補って有り余るほど有能な、スーパーコップでもあるのだ。
今回そのフィルスが、ジョン・S・ベアード監督によって映画化された。先日公開された『トランス』(監督は『トレインスポッティング』と同じダニー・ボイル)でも主演を務めたジェームズ・マカヴォイが鬼畜警官ブルースを演じる。「え、あのタムナスさんが!」、そうそう、『ナルニア国物語』のバイプレイヤー、タムナスの演でその名を知られることになったマカヴォイが、最高の演技を見せるのがこの映画なのだ。
来日したアーヴィン・ウェルシュとジョン・S・ベアードに原作及び映画についてインタビューを行ったので、ぜひ読んでください。
───原作者から見て、ジェームズ・マカヴォイのブルースはいかがでしたでしょうか。
ウェルシュ ベアードと2人で最初にジェームズと会ったとき、ダメだ、と思ったんだ。見かけは10代の子供で、イメージとはかけ離れていた。しかし、用事で10分ほど席を外し、戻ってきたとき、ジェームズは完全に変って見えた。そこには私の考えるブルース・ロバートソンがいた。わずかな時間で、ジェームズは役に入りこんでしまったんだ。『トレイン・スポッティング』でユアン・マクレガーやロバート・カーライルがレントンやベグビーを演じたときは、彼らの熱演によってキャラクターはそういう顔だったんだな、と後から思えるようになってきた。しかし、ジェームズは違う。彼の演じるキャラクターは私の思うブルース・ロバートソンそのものだ。痩せていて、フケ性の髪が乱れていて、いつも二日酔いのせいで蒼白い顔をしている。まさに小説のキャラクターそのものなんだ。
───ウェルシュさんは、最初『トレインスポッティング』など、高すぎる失業率の中で未来が見出せず、ドラッグやクラブ・カルチャーに救いを見出す若者たちの群像劇を書いて評価されました。そのあなたが権力の側にいる警察官、しかも悪徳警官を主人公にした小説を書いたと知って、発表当時は衝撃を受けたものです。
ウェルシュ 書きたかったのは「悪」というより「人生の迷子」だった。作家になる前に私は、市役所で働いていたことがある。そのころ大きな構造改革があり、縦型のヒエラルキーが破壊されて、横型のチームワークを重視するものへと組織が生まれ変わったんだ。当然ながら旧いタイプの人間の中には、その変化に対応できずに自分を見失ってしまう者が続出した。そうした形で、社会の変化の中で人生の迷子になる者を書こうとしたとき、市役所よりもさらに保守的で、より強い壁に守られている組織は何かと考えて、警察を思いついた。
───社会の変化に巻き込まれた人生の迷子という意味では『トレインスポッティング』の失業者たちと共通する点がありますね。
ウェルシュ そうだね。今、あなたが悪徳警官と言ったけど、ブルースは有能でもあり、生き残るための策をさまざまに弄していく。しかし、そうした身を守るためのツール自体が、彼を迷わせ、深みにはまらせてしまっているわけなんだ。
───なるほど、納得です。今度はベアード監督にお聞きしたいのですが、映画は原作のエッセンスを見事に集約したものになっています。ブルースの策謀をはじめ、重要な事件はすべて描かれていますし、冒頭から結末に至るまで、見事な『フィルス』になっています。
原作小説から脚本への移し変えを行った際に、もっとも配慮された点は何でしょうか。
ベアード アーヴィンの作品の中で最も好きなものが『フィルス』です。これは彼のすべての作品に共通することですが、ダーク・コメディの色彩がある。映像化の際には、その点を見失ってはいけないと思いました。犯罪というダークな要素に引っぱられすぎて、コメディであることを忘れないようにする。そのために必要なことは、登場人物たちにきちんと心を持たせることでした。どんな場面でもキャラクターたちの心の働きが見える。それを怠ったとき、映画はダークすぎて観るに耐えないものになるだろうと思いました。
───ダーク・コメディというご指摘は非常に納得です。私もおおいに笑わせていただきました。一つお聞きしたいのは、映画から聴こえてくる音楽の問題です。原作版の『フィルス』はどちらかというと荒々しいヘヴィメタのイメージです。しかし映画版ではどちらかというとソウル・ミュージックやもう少しソフトなポップスをBGMとし、特にデイヴィッド・ソウル(日本では「刑事スタスキー&ハッチ」のハッチ役で有名)のSilver Ladyが、登場人物の内面を表現する曲として象徴的に使われています。これは今おっしゃったことと関連した演出ですか?
ベアード ああ、通訳していただかなくてもあなたがBGMのことを言いたいのだとわかりました(笑)。言われるとおりで、最初に設定していたBGMはやはりヘヴィメタだったのですが、それでは少しダークすぎるかな、と考えてソウル・ミュージックが欲しいと思ったのです。デイヴィッド・ソウルに思い至ったときアーヴィンに話してみたら「ああ、彼なら知っている」と。その場で電話をしてもらい、すぐに話が決まりました(重要な一場面でカメオ出演している)。
ウェルシュ 小説でもブルースはマーヴィン・ゲイを聴いたりしてるんだけどね。
───もう一つがサナダムシの問題です。サナダムシは『フィルス』小説版の重要な登場人物で、寄生虫の意識がときおりブルースの語りを侵食していくというのが、タイポグラフィ(特殊な文字組み)を駆使した文章で書かれています。これは到底映画化不可能と思っていたのですが、ベアード監督は見事な方策で切り抜けられていますね。
ベアード 聞かれるとは思っていました(笑)。サナダムシは、ブルース・ロバートソンの内面の良心を表しているのだと思います。小説版の『フィルス』は、物語の表面でブルースの肉体の崩壊が描かれると同時にサナダムシを介して内面吐露が行われます。その部分をもちろん表現しなければいけない。そこで映画版では精神科医をブルースの聞き役として登場させました(ジム・ブロードベンド)他では語られないブルースの過去や内面の問題が彼との絡みでは描かれることになる。これでようやくサナダムシ問題は解決できました。
───ちゃんとサナダムシも出てきますしね。もう1つ、日本人としてお聞きしたいことがあるのですが、ブルースが捜査することになる殺人事件の被害者は原作ではアフリカ系の人物ですが、本作では日本人旅行者の青年に変えられています。この変更にはどういう意味があるのでしょうか。
ベアード 物語後半でやはりアフリカ系の登場人物が出てくるので、その意味がくっつきすぎてしまうと、もしかすると観客は混乱してしまうのではないか、と考えました。そこで日本人に差し替えてみたところ、冒頭でまず日本語が聞えてくることになり、イギリス一国に収まらない広がりが映画にも出てきたと思います。あの犠牲者を演じたのはザック・ニイザトという俳優なのですが、たいへん素晴らしい才能の持ち主なのでぜひ出演してもらいたいと考えていました。しかしエディンバラの物語なので、当然日本人の出番はない。そこであそこに彼を当てはめた、というのがもう一つの理由ですね。
───もう一度ウェルシュさんにお聞きしたいのですが、これまであなたの作品は、『トレインスポッティング』『アシッドハウス』『エクスタシー』(日本未公開)と3作が映画化されています。今回が4作目になるのですが、映画を観ての率直な感想を教えてください。
ウェルシュ 前の3作もそれぞれに良かったのだけど、今回は本当に脚本が素晴らしかったと思います。もちろん映画を成功させる要因は脚本だけではないが、まあまあの脚本からはそこそこの作品しか生まれない。私も演劇の脚本などを手がけているので、そのことは痛感しています。映画化の話があったとき、ベアードが私に見せてくれた脚本はたいへんに素晴らしいものでした。そのために映画はいいものになったと思うし、興行的にも大きな成功を収めることができた(歴代イギリス映画ではベストテンに入るヒットで、英国インディペント映画賞でも5部門にノミネートされている)。非常によかったと思います。
───最後に、ウェルシュさんの現在について伺いたいと思います。あなたの商業媒体でのデビューは93年の『トレインスポッティング』ですが、それ以前にコピー誌で自作を配布していたものが編集者の目にとまったのがきっかけであったと聞いています……。
ウェルシュ コピー?
───はい?
ウェルシュ (通訳から説明を受け)ああ、びっくりした。映画ではブルースがコピー機を使ってとんでもないイタズラをするので(注:観ればわかりますが、とんでもないです)、そのことについて聞こうとしているのかと思ったんだ(笑)。
───(笑)続けます。デビュー当時のあなたは、自身がイングランド文壇の「辺境」にいると主張しておられましたが、その状況は今でも同じでしょうか。それともデビューから時間が経過し、やはり立場も変わってきましたか?
ウェルシュ ああ、たしかに自分は有名大学を出たというような学歴がなくて、しかも文壇になんのコネもなかったものだから、出発点はやはりアウトサイダーであり、辺境にいるという意識はありました。ただ、20年間作家活動を続けてくれば、なんらかのコミュニティはできてきて、単純なアウトサイダーということでもなくなってくるでしょう。しかし、作家は本質的にはアウトサイダーなのだと思っています。それは、純粋に一人でものを作り続けるという職業だからです。作家と画家、そして彫刻家は本質的にはそうでしょう。キャリアは積みましたが、自身がそういう意味のアウトサイダーであるという意識は、私の中ではずっと変わらずにありますね。
映画『フィルス』は11月16日(土)公開。絶対に見逃すな。ブルース・ロバートソンの魂の叫びを綴った小説『フィルス』も改訳版が絶賛刊行中です。
(杉江松恋)