その美学が通用するのは10年前の出版界だ。大ヒットマンガ『重版出来!』衝撃の展開
出版業界に身を置く者なら、誰しもが好きな言葉が「重版」だ。これは間違いない。重版がかかれば、重版印税が手に入る著者だけでなく、出版社も、書店も潤う。かくいう筆者も、米光一成さんとともに「どうすれば重版するのか?」という重版を研究したトークイベントを開くほどの重版好きである。このイベントの書き起こしは電子書籍化されているので、ご興味ある方はこちら(itunes「電書カプセル」)からぜひ。
それはともかく。マンガ雑誌「バイブス」の編集部を舞台に、そのものズバリ「重版」をテーマにしているのが、松田奈緒子のコミック『重版出来!』だ。タイトルは出版業界の用語で「じゅうはんしゅったい」と読む。1巻が発売された当時、大きな話題を巻き起こしたので、この読み方を覚えてしまった人も多いだろう。
1巻のキモになっていたのは、地味ながら良質なコミック『タンポポ鉄道』をベストセラーにしていく物語だ。出版社の営業部と編集部による初刷部数の攻防戦から、営業部による「仕掛けていく」という決断、書店への地道な営業が重版という形で花開くまで、リアルな重版ストーリーが展開されていく。
「売れた」んじゃない。俺たちが――売ったんだよ!!!
と、出版社の営業部員たちと書店員たちがドン! と見開きで見栄を切っているページはかなりのインパクトだ。実際、書店員にこのマンガのファンは多く、話題に火がついたのも出版業界人と書店員らのツイッターからだった。関係者に多くの取材を積み重ねたとあって、出版業界・書店業界に足を踏み入れたことのある人なら、「ああ、重版するときはこういう展開になるよね」と共感できる内容だったはずだ。
また、主人公たちのひたむきな仕事ぶりに感化され、巻き込まれた人々が、次第に『タンポポ鉄道』の重版に向けて一致団結していく様子は、多くの働く人たちの胸を打ち、『重版出来!』そのものもめでたく重版と相成った。
編集者はおもしろい本さえ作っていればいいのか?
そして先月、待望の2巻が刊行された。今回はなんと重版がテーマではない。主人公の新米女性編集者・黒沢の奮闘により力点を置いた物語になっている。
2巻は大きくわけると次の3つのエピソードになる。
・デビュー作がヒットして10年描き続けている漫画家が、他誌からの引き抜きに遭う話。
・SNSを使ったパブリシティに抵抗を感じるマンガ雑誌の編集者の話。
・コミックの電子書籍化を進めていたら、過去のヒット作を描いた作者が「消えたマンガ家」になっていたという話。
この中では、2番目のSNSに抵抗を感じる編集者の話は、編集者の役割がここ最近、大きく変化したことを端的に表していて興味深い。
「バイブス」編集部の壬生は、「編集者は、黒子でこそ華!!!」という編集者としての美学を持っている男だ。雑誌の売り上げ回復のため、SNSを使ったパブリシティを命じられたことを不満に思っている。「宣伝とかは、営業部や宣伝部に任せとけよ」「おもしろい漫画が雑誌に載ってることが一番の宣伝なんだ」というのだ。
壬生の考えは、どれも正論のように思える。実際、そう考えていた編集者も多かったのではないだろうか――10年前の出版界では。
2012年の書籍の新刊点数は8万2000点を超えたと報じられた(出版ニュース社『出版年鑑2013』より)。1日200点以上、コミックやムック、雑誌を加えると、さらに多くの点数が書店に流れこんでいることになる。書店のスペースは有限であり、書店自体の数も減っている。つまり、読者の目に触れないまま返本されてしまう本が圧倒的に増えたということだ。
となると、編集者の「おもしろい漫画(本)さえ作っていれば、必ず売れる」という考えは否定される。編集者としておもしろい本を作ることは大前提であるが、それだけでは済まなくなっているのだ。
壬生の言うとおり、本を売るのは営業の仕事である。しかし、出版社の営業は一人で多くの担当書籍を抱え、なおかつジャンルがバラバラだったりもするので、すべてに効果的なパブリシティを行うことが難しい。それなら、その本のことを隅々まで知っている編集者がパブリシティを行ったほうが効果的である。
つまり、編集者は本を作るだけでなく、それを売るための努力も必要になった。かつての編集者たちが努力をしていなかったわけではないが、さらに一層の努力が必要となったのである。もちろん、売るための戦略の立案や実行などにも編集者はかかわらなければならない。このエピソードで語られるSNSのパブリシティ利用はその一環だろう。
SNSで読者とコミュニケーションをとり、担当書籍をプッシュしている書店に飛び込んで書店員と盛り上がることができる新米編集者の黒沢を見て、壬生は時代の変化を感じ取る。それは自分が築いてきた編集者としてのあり方が、根底から覆るほどの衝撃だった。
その後、壬生はSNSを利用するようになり、そこで集めた読者の声を、自信を失いかけていた漫画家に届けて立ち直らせる。
SNSのパブリシティ利用から重版につなげる展開がなかったのは個人的にやや不満ではあるが、『重版出来!』は綿密な取材をもとに描かれたマンガということもあり、今後SNSと重版との関係性について業界全体で経験値が積み重なっていけば、それをもとにしたエピソードもまた描かれていく可能性があるだろう。
また、巻末の「おまけ漫画」では『重版出来!』1巻が重版になったときのツイッターとのかかわりが描かれているので、その経験も今後物語に反映されていくのかもしれない。
3つ目の、電子書籍と困窮するかつての人気漫画家一家のエピソードは、1970年代の団地を舞台にした『スラム団地』というコミックエッセイを描いている松田ならではの『特捜最前線』テイストなストーリーにたっぷり浸ることができる。重版とは別の角度でグッと来る話なので、こちらもお勧めだ。
作者と編集者、そして営業と書店が一つの連なりにならなければ、重版への道は遠く霞む。それが1巻で描かれた物語だとすれば、2巻では今後、重版への道に向かう小さな道しるべのような、SNSのパブリシティ利用や電子書籍の活用などが盛り込まれた物語だといえるだろう。
『重版出来!』の物語の主体は、あくまで主人公の黒沢をはじめとする“ひたむきに働く人々”だと思うが、今後ますます厳しくなっていく出版情勢の中で、重版への道が物語としてどのように描かれるのかが楽しみでならない。
(大山くまお)
1巻のキモになっていたのは、地味ながら良質なコミック『タンポポ鉄道』をベストセラーにしていく物語だ。出版社の営業部と編集部による初刷部数の攻防戦から、営業部による「仕掛けていく」という決断、書店への地道な営業が重版という形で花開くまで、リアルな重版ストーリーが展開されていく。
「売れた」んじゃない。俺たちが――売ったんだよ!!!
と、出版社の営業部員たちと書店員たちがドン! と見開きで見栄を切っているページはかなりのインパクトだ。実際、書店員にこのマンガのファンは多く、話題に火がついたのも出版業界人と書店員らのツイッターからだった。関係者に多くの取材を積み重ねたとあって、出版業界・書店業界に足を踏み入れたことのある人なら、「ああ、重版するときはこういう展開になるよね」と共感できる内容だったはずだ。
また、主人公たちのひたむきな仕事ぶりに感化され、巻き込まれた人々が、次第に『タンポポ鉄道』の重版に向けて一致団結していく様子は、多くの働く人たちの胸を打ち、『重版出来!』そのものもめでたく重版と相成った。
編集者はおもしろい本さえ作っていればいいのか?
そして先月、待望の2巻が刊行された。今回はなんと重版がテーマではない。主人公の新米女性編集者・黒沢の奮闘により力点を置いた物語になっている。
2巻は大きくわけると次の3つのエピソードになる。
・デビュー作がヒットして10年描き続けている漫画家が、他誌からの引き抜きに遭う話。
・SNSを使ったパブリシティに抵抗を感じるマンガ雑誌の編集者の話。
・コミックの電子書籍化を進めていたら、過去のヒット作を描いた作者が「消えたマンガ家」になっていたという話。
この中では、2番目のSNSに抵抗を感じる編集者の話は、編集者の役割がここ最近、大きく変化したことを端的に表していて興味深い。
「バイブス」編集部の壬生は、「編集者は、黒子でこそ華!!!」という編集者としての美学を持っている男だ。雑誌の売り上げ回復のため、SNSを使ったパブリシティを命じられたことを不満に思っている。「宣伝とかは、営業部や宣伝部に任せとけよ」「おもしろい漫画が雑誌に載ってることが一番の宣伝なんだ」というのだ。
壬生の考えは、どれも正論のように思える。実際、そう考えていた編集者も多かったのではないだろうか――10年前の出版界では。
2012年の書籍の新刊点数は8万2000点を超えたと報じられた(出版ニュース社『出版年鑑2013』より)。1日200点以上、コミックやムック、雑誌を加えると、さらに多くの点数が書店に流れこんでいることになる。書店のスペースは有限であり、書店自体の数も減っている。つまり、読者の目に触れないまま返本されてしまう本が圧倒的に増えたということだ。
となると、編集者の「おもしろい漫画(本)さえ作っていれば、必ず売れる」という考えは否定される。編集者としておもしろい本を作ることは大前提であるが、それだけでは済まなくなっているのだ。
壬生の言うとおり、本を売るのは営業の仕事である。しかし、出版社の営業は一人で多くの担当書籍を抱え、なおかつジャンルがバラバラだったりもするので、すべてに効果的なパブリシティを行うことが難しい。それなら、その本のことを隅々まで知っている編集者がパブリシティを行ったほうが効果的である。
つまり、編集者は本を作るだけでなく、それを売るための努力も必要になった。かつての編集者たちが努力をしていなかったわけではないが、さらに一層の努力が必要となったのである。もちろん、売るための戦略の立案や実行などにも編集者はかかわらなければならない。このエピソードで語られるSNSのパブリシティ利用はその一環だろう。
SNSで読者とコミュニケーションをとり、担当書籍をプッシュしている書店に飛び込んで書店員と盛り上がることができる新米編集者の黒沢を見て、壬生は時代の変化を感じ取る。それは自分が築いてきた編集者としてのあり方が、根底から覆るほどの衝撃だった。
その後、壬生はSNSを利用するようになり、そこで集めた読者の声を、自信を失いかけていた漫画家に届けて立ち直らせる。
SNSのパブリシティ利用から重版につなげる展開がなかったのは個人的にやや不満ではあるが、『重版出来!』は綿密な取材をもとに描かれたマンガということもあり、今後SNSと重版との関係性について業界全体で経験値が積み重なっていけば、それをもとにしたエピソードもまた描かれていく可能性があるだろう。
また、巻末の「おまけ漫画」では『重版出来!』1巻が重版になったときのツイッターとのかかわりが描かれているので、その経験も今後物語に反映されていくのかもしれない。
3つ目の、電子書籍と困窮するかつての人気漫画家一家のエピソードは、1970年代の団地を舞台にした『スラム団地』というコミックエッセイを描いている松田ならではの『特捜最前線』テイストなストーリーにたっぷり浸ることができる。重版とは別の角度でグッと来る話なので、こちらもお勧めだ。
作者と編集者、そして営業と書店が一つの連なりにならなければ、重版への道は遠く霞む。それが1巻で描かれた物語だとすれば、2巻では今後、重版への道に向かう小さな道しるべのような、SNSのパブリシティ利用や電子書籍の活用などが盛り込まれた物語だといえるだろう。
『重版出来!』の物語の主体は、あくまで主人公の黒沢をはじめとする“ひたむきに働く人々”だと思うが、今後ますます厳しくなっていく出版情勢の中で、重版への道が物語としてどのように描かれるのかが楽しみでならない。
(大山くまお)