騒霊は審判問題でもそのようにサッカーを見る社会の環境が変わり始めてきているような気がします。

今まで審判は、AというチームとBというチームだけを相手にゲームのジャッジをしゲームを作り上げる。それが仕事でした。
でも今はサッカーはただのゲームではなく、劇場化しエンターテイメントとして成立しています。
判定はAというチームの選手とBというチームの選手たちにするだけでなく、スタジアムにいる観客含めて、そこに満足感を生み出すテレビ番組の司会者のような役割が求められているように思うのです。

サッカーを観戦する観客は応援するチームが勝利することを望んでスタジアムにやってきますが。でもそのチームが負けても負けを受け入れます。そして次こそ勝ってほしいとまた応援に来ます。負けた原因は自分たちにあると受け入れているからです。
でも年に何試合かは、負けた原因が自分たちではなく、審判に帰一するゲームが確実にある。
それを審判委員会はどう捉えているのでしょうか。

審判が運転手なら、審判委員会は自動車製造メーカーです。
審判と審判委員会はファンを置き去りにしないでほしい。

もし審判たちがその空気を感じていなければ、これからどんどんファンから見放されてしまうと、騒霊は思います。スタジアムからどんどんファンは離れていくでしょう。
だからいまこそ審判問題の抜本解決をすべき時期だととも思うのです。