『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)を読んで感じたこと。後編です。

前編の続きで、『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)より。
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※以降、引用部分を太字で示します。


2章 社会に広がる格差

教育格差

私立中高一貫校は、勉強のできる生徒を集め、どんどん勉強をさせ、学力を伸ばし、東京大学を始め有名大学に多くの合格者を出している。私立中高一貫校に合格するためには、小学生のころから塾に通わなければいけないし、授業料もかかるから、親の収入もある程度の水準が必要だ。
これが、教育格差だと非難されている。(中略)明らかに、勉強を志向する生徒たちが圧倒的多数である私立中高一貫校の方が勉強もしやすく、学力も伸びる。それのどこがいけないのか。

続けて。

(公立学校のように)「色々な人間がいる中で、色々な人の気持ちがわかるようになり、なおかつ、勉強も頑張る」というのは、いかにも「立派」な考えだ。それを否定するつもりはない。しかし、これはあまりに「理想的」教育論だ。多くの人たちは、理想的な立派な人間ではない。ところが、教育に関しては、この「理想的」教育論が、批判を許さない正論としてまかり通っている。それが私は問題だと思う。(中略)学習環境が整っていない環境で、学習して学力を上げられる「立派」な人間はほとんどいないのではないだろうか。

まとめると
・私立学校のように、できる生徒だけ集めて指導することの何が問題なのか。
・公立学校の教育〜雑多な群れの中で伸びていく〜と言う理想を求めても、叶えられる人がほとんどいないのではないか。
ということですかね。

まず、前者について。僕も問題ではないと思います。

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