『朝まで生テレビ!』(1992)の番組資料としてまとめられ、『週刊エコノミスト』2000号(1992)に論文として掲載されたもの。ヤクザや暴力団についての概要を知るための資料。17分割で再録。著作権は著者が保持。

* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。

4)社会からのヤクザの遊離:1880年代

的屋は、「露商」として、すでに1872年に太政官布告によって営業が許可されていたが、80年代になると、明治維新や松方不況による没落民衆の参入によって次第に増大し、さらに、日清日露戦争期の政治経済の都市集中によって急激に膨張し、東京の飯島源次郎らが的屋の中興の祖として活躍した。このため、たびたび政府規制が検討されるほどになり、これに対して、的屋は自治組織を形成し、自主管理を行うことになる。しかし、同時に、旧来の的屋の新参吸収や新興の的屋の垂直分化、そして、知事鑑札制の導入などによって、かつては互助的であった的屋組織が、しだいに地域の営業を全体的に支配するようになり、支配地域の出店露商から営業認容金を搾取するようになっていった。

80年代後半になってようやく政治が安定すると、日本は政府主導で急速に近代化が進展する。この近代化のための政府や民間の建設・運輸・港湾・炭坑・開拓などの事業において、大量の労働者が必要とされ、ここに明治維新や松方不況による没落民衆が流入していった。そして、旧来のヤクザの参入や労働者内部の垂直分化によって、労働者の事業請負自治機構として定住的屋的互助型の〈友子〉制、人足置屋的管理型の〈納屋〉制、専門職人的分業型の〈組〉制などが形成された。


続きはこちら