日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)00/17 /純丘曜彰 教授博士
『朝まで生テレビ!』(1992)の番組資料としてまとめられ、『週刊エコノミスト』2000号(1992)に論文として掲載されたもの。ヤクザや暴力団についての概要を知るための資料。17分割で再録。著作権は著者が保持。
* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。
0 )はじめに
ヤクザを考察するとき、刺青や断指などのその特異な慣習に目を奪われがちである。しかし、それは、日本を日本人の眼鏡や会釈で判断するのと同様に、あまりに表面的な見方であろう。
ヤクザは、社会学的には〈アウトサイド〉の一種である。そして、彼らがアウトサイドであるということは、ヘーゲルの弁証法のように、彼らの本質が彼ら自身にはなく、ただインサイドにのみ依存している、ということを意味している。つまり、何がアウトサイドであるかは、何がインサイドであるか、によってのみ規定されている。したがって、ヤクザを考察するためには、社会の主流を考察することこそが必要なのである。
逆に言えば、何がインサイドであるかも、何がアウトサイドであるか、によって規定されている。それゆえ、社会経済が中央政府や大手企業によってのみ構成され機能していると考えることは、これもまた、あまり半面的な見方であろう。むしろ、社会経済は、一般大衆や流動組織そのものを実体とするものであり、その一般性や流動性を支えるものとして、アウトサイドは多大な機能を果たしている。したがって、社会経済構造は、アウトサイドを含む両面的なシステムとしてこそ考察されなけれなるまい。
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* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。
0 )はじめに
ヤクザを考察するとき、刺青や断指などのその特異な慣習に目を奪われがちである。しかし、それは、日本を日本人の眼鏡や会釈で判断するのと同様に、あまりに表面的な見方であろう。
逆に言えば、何がインサイドであるかも、何がアウトサイドであるか、によって規定されている。それゆえ、社会経済が中央政府や大手企業によってのみ構成され機能していると考えることは、これもまた、あまり半面的な見方であろう。むしろ、社会経済は、一般大衆や流動組織そのものを実体とするものであり、その一般性や流動性を支えるものとして、アウトサイドは多大な機能を果たしている。したがって、社会経済構造は、アウトサイドを含む両面的なシステムとしてこそ考察されなけれなるまい。
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