8年間月曜深夜に君臨した、中島みゆきのオールナイトニッポンが1987年3月に終了が決定。そしてその後釜に登場したのが、聖飢鬼IIのデーモン小暮閣下だった。
この時点ですでに「蝋人形の館」がヒットし、テレビやメディアに多く出演。
デーモンの知名度も高く、オールナイトニッポンへのパーソナリティも大抜擢というほどではなかったが、番組の人気、内容以前に一番気になったこと。

それは・・・2時間喋られるのか???ということ。

自称悪魔であるデーモンは、顔の白色はメイクではなく素顔、「ガハハハハーッ」と発する声も作った声ではなく悪魔の地声という設定だった。

歌番組など短時間のトークなら問題は無いが、2時間あの声で喋り続けたら最後にはガラガラの声になるのではないか??
正直そんな興味本位から聞き始めた「デーモン小暮のオールナイトニッポン」ではあったが、ラジオというフィールドの中、自我流(悪魔流?)の世界を発揮しエンターティナーとしてのデーモン小暮の才能を世に知らしめることになる。

番組の中では自身が悪魔であるという設定を崩さず、教祖と信者の関係を大事にしながらも、時には「世を忍ぶ仮の姿」と前置きしながら、身の上話やバカ話を面白おかしく喋ったり、AV嬢がゲストに来た時はただのスケベ男になっていたりと、曲を聴かない人もデーモンへの親しみを感じられる作りになっていた。

番組ではさまざまなコーナーが繰り広げられたが、なかでも印象的だったのは「大相撲を666倍楽しむ方法」。大相撲ファンのデーモンが、相撲の楽しみ方やウンチクを話すコーナー。
当時、聖飢鬼IIの曲はNHKで放送禁止だったので、まさか時を経てNHKの「大相撲中継」に普通にゲスト出演する日が来るとは、この頃は夢にも思っていなかった。
番組では平幕の大徹がフューチャーされ、番組にもゲスト出演。
大徹が土俵入りする際、デーモン小暮のバスタオルを身にまとい土俵入りすることもあった。

番組は当初デーモン1人での放送だったが、途中からバンドメンバーであるSgt.ルーク篁III世もレギュラー出演。
番組ではデーモンとルークのコンビ名を「デモルク」とし、その頃人気だったラジオ情報誌「ラジオパラダイス」のパーソナリティ人気投票に「デモルク」で投票しよう!と働きかけ、コサキンや小森まなみといった人気DJを抑え見事1位に輝いた。
番組の歴史を調べていて気づいたのだが、「デーモン小暮のオールナイトニッポン」の放送開始は1987年4月6日。
そして放送終了は1990年5月14日。ものすごく長く放送していた印象があったが、約3年間の放送であった。
太く短く、心に残る放送を閣下は発信し続けたのだ。

(written by みぞてたかし)


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