不覚にも組織で再生産される「老害」の"怖い"実態
気づけばあなたも職場で「老害」と思われる存在になっているかも……(写真:Sandyborn / PIXTA)
どうでもいいことを指摘されたり、話が通じなかったり。いま職場に「老害」だと感じる存在があって、自分は「そうなりたくない」と思っている人もいるかもしれません。しかし組織の文化やカラーにだんだん染まり、気づけば「老害脳」になっている可能性は誰にでもあります。
1万人以上の脳を診断した医師・加藤俊徳さんは、「老害」的な行動の多くは、脳機能の変化によって引き起こされていると考え、加齢とともに誰もが「老害脳」化するリスクがある、と説きます。加藤さんの著書『老害脳 最新の脳科学でわかった「老害」になる人 ならない人』から一部を抜粋し、組織における「老害」について考えてみます。
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組織の中で再生産される「老害脳」
人生の選択を経て、何らかの職業を得たり、職場に通ったりするようになると、よくも悪くもその組織の「文化」に慣れ親しんでいきます。
いわゆる昔ながらの年功序列や、体育会系、軍隊的、服装にうるさい……という組織もあれば、自由度が高い、流動性が高い、カジュアルな服装で勤務可、リモートワークOK、役職や年次問わず「さん」付け……という柔軟な組織もあるでしょう。
もちろん、人によって合う、合わないというマッチングが生じます。合う人はそこで自分の価値が発揮されやすく、評価される仕事に結びつきやすいと考えるでしょうし、合わない人は常に転職情報をチェックしているでしょう。
たとえば、たまたま入社した会社が「体育会系」だったとします。先輩は常に尊敬するべし、上の命令には絶対服従、休まず働き弱音を吐かない人こそ出世する……という企業文化が徹底されていると、そこにもともと適性のあった人が残ります。
この時点で「老害」の温床になりやすそうですが、その一方で、最初はその文化に合わず、嫌だと感じていたような「老害」被害者も、やがてその状況に適応し始めるのです。
上がどんなに「老害」であっても文句は言わない、とルール化してしまえば、逆に迷いは消えます。影響力を行使できる人が強く、行使される人もその状況を当然だと考え始めれば、もはや多少の悪事が起きても組織内で問題にはならなくなるでしょう。
そして、組織文化は大きな問題や事件がないかぎり継承されていくため、かつての「老害」被害者たちも、すっかりその文化に適応して、ほかを知らない「専門家」となってしまいます。そして、時間が経過すると、かつての上司以上の「老害」になるリスクもあります。
多少大げさに述べれば、「老害」エリートの誕生です。周囲に「老害」が多い環境で育つと、自分自身も、ともすると育てた人を上回るほどの立派な「老害」になってしまうというわけです。
さらに言ってしまうと、適切なたとえなのかは分かりませんが、まるでゲームの「バイオハザード」のようなものです。最初は嫌な思いで抵抗していた人が、いざ「老害」にかまれると、まるで感染したかのように自身も「老害」化してしまう……組織には、そんな危険性も隠れているといえるでしょう。
また、適切な休息が取れず、睡眠が不足していると、脳の老化は早まります。組織が休息や短時間労働を否定し、長時間労働を「みんなそうやって頑張ってきたのだ」と肯定するような文化であれば、そこは一層「老害」発生の温床になります。
この問題は個人の「老害」化に限った話ではありません。
企業内のルールや常識が、初めこそささやかだったものが徐々にエスカレートし、社会的には犯罪的な状況になっているにもかかわらずなかなか明るみに出ない……というようなこともあります。不正、偽装、賄賂、粉飾など、挙げだしたらキリがありません。
「老害」が再生産されている組織では、誰も疑問を持たず、あるいは、持つこと自体が悪とされ、問題があっても見過ごされます。そして、ある日突然大ごとに発展するのではないでしょうか。これはまさに立派な「見て見ぬふり」の「右脳老害」です。
組織や学問の発展を阻害する「出る杭を打つ」老害の正体
「老害」の最もわかりやすい典型は、「出る杭を打つ」人です。
「出る杭は打たれる」などとのんきにひとり言を言っているようでは、もはや「老害脳」化にどっぷりはまっていると言わざるを得ません。
脳には、差異を検知する仕組みが働いています。同じ組織にいても、みんな違う人間なのですから、自分と異なるところや他人同士で違う部分を認識し、相手を理解したり刺激を受けたりします。双子でさえもある程度は差異を感じられるでしょう。
そして、「出る杭を打つ」タイプの老害は、相手と自分、つまり「老害」を受ける側と自分との差を強調し、自分の優位性を見せつけたくて、そのような行為に走っているとも言えます。そう考えると、「出る杭を打つ」という老害行為は、実は自己肯定感の低さの裏返しと考えられます。
(出所:『老害脳 最新の脳科学でわかった「老害」になる人 ならない人』)
診断の結果は?
(出所:『老害脳 最新の脳科学でわかった「老害」になる人 ならない人』)
たとえば、自分と相手には年齢差があるとします。そのことを強調するために、また年長者である自分のほうが存在価値の高い人間だと主張するために、「老害」を浴びせかけます。
過去の経験を誇らしく語り、知識を披露し、栄光を自慢する。特に、最近能力を出し始めている人に向けて行います。それは、老いゆく自分自身を防衛し自己肯定するための「自衛行為」でもあります。
このような「老害」は自分脳に由来する「左脳老害」と言えるでしょう。こういったシーンがどこでも起きていることを、少し深刻に考える必要もあります。
学問や研究、医療の世界でも起きている「老害」
会社のささやかな人間関係だけではありません。同じことは、たとえば私が可能なかぎり距離を置いてきた日本の学問や研究、医療の世界でも起きています。
特定の個人を指して批判するつもりはありません。ただ、国内で学術的に名を知られている先生、いわゆる「その道の権威」がそうした考え方を持っていたとしたら、どうでしょうか? 果たして自由で革新的な学問の発展を助けるでしょうか?
私は以前、とある日本の中で高名な先生が、公の場で「結局、出る杭は打たれるのだ」うんぬんと発言しているのを聞いてしまい、思わず耳を疑いたくなったことがあります。
その学界の権威の発言です。私には、「オレの周りで『出る杭』を見つけたら、容赦なく打っていくからな!」という意味にしか読み取れませんでした。
恐らくその先生は、まさかご自身が「老害脳」化しているだなんて考えてもいないでしょう。何せ日本の権威なのです。周辺からは尊敬を集め、あるいは政治力を恐れられています。念のため申し上げておけば、かつて立派な業績ももちろん修められています。
きっとご本人は、「功成り名を遂げ、後輩の模範にならなければならない自分こそが、率先垂範(そっせんすいはん)してみんなを厳しく鍛えてやらなきゃいけない」というくらいのマインドなのでしょう。
しかしその陰で、もしもこれまでの学説を大きく変えるような発見をした研究者が出てきたら、果たして先生は権威として何を率先垂範するのか、私は考え込んでしまいます。
もちろん、国際舞台では、このような無自覚な「老害」が生存できるチャンスは限りなく乏しいと言えるでしょう。学問よりも、研究よりも、自分の経歴や立場を優先して「出る杭」を打ち、しかもその自覚すらない……としたら、日本の「老害」の根は非常に深いことになります。
(加藤 俊徳 : 医学博士/「脳の学校」代表)