「国民に対する戦闘宣言だ」石破首相はなぜ権力にここまで執着するのか…世襲政治家としてのミッション

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 衆院選の勝敗ラインを「自公過半数維持」と自ら設定しておきながら、自公過半数割れしても総理を辞めない石破茂首相。その行動には党内からも「どういうロジックで居座っているのかわからない」と疑問の声があがる。一体なぜ石破首相は権力にしがみついているのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。

不思議に思う人も多いのではないだろうか。かくいう私もその1人だ

 安倍晋三元首相をカンカンに怒らせながらも、首相就任までにぶち上げていた、ほとんどの政策や批判を引っ込めてしまい、もはやなぜ石破茂氏は首相の座にとどまっていたいのだろうかと不思議に思う人も多いのではないだろうか。かくいう私もその1人だ。

 自公で過半数が勝敗ラインと自分で決めておいて、それが自公で過半数を割ったのに、なぜか辞めない。

 石破首相は、衆院選挙投開票直後の記者会見でこう述べている。

<今後は身内の論理、あるいは党内の理屈を一切排除し、私自身も原点に帰り、厳しい党内改革を進め、なかんずく政治資金を巡る問題については、さらに抜本的な改革を行っていく>

<選挙戦での応援を通じて全国各地を回った。その中で切実な国民の皆さま方の声を本当に多く頂戴した。今、政治に求められているのは、こういった声に速やかに適切に応えていくことである>

 私自身も原点に帰り……?

 今、政治に求められているのは、こういった声に速やかに適切に応えていくこと……?

首相になりたいために批判をし続けてきた

 首相が代わってもできるようなことを、負けた石破首相がやらないといけない理由などない。記者会見を全文読み返しても、続投の理由は「速やかに」という一点だけしかない。速やかに辞めて、速やかに次の首相が行えばいいではないか。続投する理由が、まったく意味不明だ。

 石破首相は、政策を実現するために政治家になり、首相を目指したのではなく、政治家になりたいために政策を考え、首相になりたいために批判をし続けてきたと言うことなのだろうか。こんな本末転倒なことが起きるのは、やはり世襲議員、世襲政治家としての末路と言えるのかもしれない。日本経済が没落しようと、地域がダメになろうとも、自分たちファミリーは政治家でありつづけることが使命とでも信じているのだろう。首相を目指すことが、世襲政治家としてのミッションなのだろう。

自分が最高権力になると、手放したくなくなる

 そうとでも考えないと、特に経済に明るいわけでもなく、実績を残したわけでもない政治家が、自分が首相になるべきだという強い自信はどこから生まれてくるものなのだろうか。

最高権力の座につくまでは、権力にしがみつくことや、権力によって生まれる腐敗について強い批判をしていたのに、自分が最高権力になると、手放したくなくなると言うのは、調べてみると、誰しもが陥る感情のようだ。

 例えば、中国の毛沢東などが良い例だろう。毛沢東は「中国のすべての権力は人民に属する」として、共産主義の平等思想を掲げ、権力の独占を批判していた。しかし、その後に行った文化大革命では、毛沢東は自己の権威を確立するための「個人崇拝」を容認し、敵対者を徹底的に排除したため、当初の言葉とは真逆の行動を取ることになった。

 このことは中国共産党も指摘するとことである。

<社会主義社会の階級闘争に関する理論と実践の面で、毛沢東同志の誤りがますますひどくなっているにもかかわらず、党中央はこれらの誤りをすぐに是正することができなかった。毛沢東同志は当時のわが国の階級的情勢および党と国家の政治状況について、まったく誤った判断を下したことで、「文化大革命」を引き起こし、これを指導した。一方で、林彪反革命集団と江青反革命集団は毛沢東同志の誤りにつけこみ、国と人民に災いをもたらす大量の犯罪行為を働き、十年に及ぶ内乱を招いて、党と国家と人民に新中国成立以来の最も大きな挫折と損失を来し、その教訓は非常に痛ましいものであった>(中華人民共和国駐日本国大使館HP「党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議」2021-11-16 20:18より)

首相の座に執着を見せ、居直りを続けた

 中国の大政治家・革命家の例以外にも、日本の民主党政権時代に首相になった菅直人氏などはその典型であろう。市民運動家として、政治的キャリアをスタートして、権力の腐敗を追及し続けたのだが、首相に就任後、震災での不始末が大きく批判され、国民からの辞任要求が高まった。

 市民運動家なら民意に従うものなのかと思いきや、首相の座に執着を見せ、居直りを続けた。いよいよ退陣が迫る段になって、<(私の)顔見たくないなら(再生エネルギーへの莫大な補助金についての)法案を通した方がいい>と発言。当時の国会議員は、首相の座にしがみつく菅氏を引き摺り下ろすことを優先し、この法案を通した。そしてこの法案こそが、今日の電気代を高くしている原因となっているわけだ。

「権力乱用障害(PAD)」権力を保持するために他者に有害な行動をとる

 こうした社会的な権力を得たり保持するために他者に有害な行動をとる者にみられる病理を「権力乱用障害(PAD)」という。『権力乱用障害』についての研究「病理学的存在としての『権力乱用障害』のケースを作る」(2017年)に、その特徴がある。

権力を手に入れ、保持することへの強い欲求 権力行使の開始、終結、またはレベルを制御することが困難 権力を失うことへの恐怖や不安から他の力への依存的行動をとる 効果を得るためにより大きな権力が必要になる 権力行使に偏り、他の楽しみや関心が減退 明らかな有害な結果を無視して権力行使を続ける

 特別扱いをされることで脳の報酬系と関係する「ドーパミン系」が過剰に刺激され、最終的にはパフォーマンスに悪影響を与えるというわけだ。こうしたことは、国のトップだけでなく、サラリーマン経営者や組織のトップにもいえることだろう。権謀術数を用いて、人を批判し陥れ、能力がないままに、経営者になったものの、業績が悪くなる。悪くなるならやめればいい(自分自身が経営者になるまでは少しでも業績が悪くなると陰口を叩いた)のに、やめない。むしろ、クーデタをおそれて社員を招いての昼食会を開くというのは、傾いていく会社にならありがちな話だろう。

 筆者は、石破首相を間近で接している存在ではないが、少なくとも、実現したい政策がない以上、首相の座にとどまる意味について、世間にうまく伝えることはできないであろうし、菅直人元首相のように、明らかにパフォーマンスを悪くしないか非常に心配である。

国民への「戦闘宣言」と受けとめたい

 石破首相の近著『保守政治家』を編集し、熱心な石破応援団の1人であった倉重篤郎元毎日新聞論説委員長は、石破氏のインタビューでこう述べている。

<石破氏と言えば研鑽の人である。総理になれるかどうかは天命として、なった場合に備えた研鑽は誰よりも積んでいるように見える。今回も然り。ギリギリまで努力を続ける。その意味での「戦闘宣言」と受けとめた>

 このコメントの中で、<なった場合に備えた研鑽は誰よりも積んで>いなかったことだけは明白になったが、自分が首相の座にあるために、ギリギリまで努力を続けているのは確かであろう。そろそろ石破首相のかねてからの持論である「防衛増税」の議論が始まるころだ。国民への「戦闘宣言」と受けとめたい。