■「10分の遅れ」が帰省ラッシュを直撃

お盆の帰省ラッシュを控えた8月8日16時42分、宮崎県沖日向灘で発生したマグニチュード7.1、最大震度6弱の地震が発生した。人的被害こそ軽微だったが、震源が南海トラフ地震の想定震源域西端にあったことから、同日19時15分に「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された。

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南海トラフ地震臨時情報発表を受け、東海道新幹線の遅れを知らせる掲示板=2024年8月9日午前、JR東京駅 - 写真=時事通信フォト

臨時情報の発表は2019年5月の運用開始以来、初めてのことであり、鉄道各社は対応に追われた。JR東日本は東海道線平塚―熱海間、伊東線熱海―伊東間、中央線大月―茅野間で、小田急も小田原線本厚木―小田原間で速度を落として運転した。

最も影響が大きかったのが日本の大動脈、東海道新幹線だ。JR東海は臨時情報発表後、南海トラフ地震で震度7以上が想定される東海道新幹線三島―三河安城間の最高速度を285km/hから230km/hに落として運行した。

減速運転で生じる約10分の遅れは、過去最多となる1日あたり483本(8月9日)の列車を設定した帰省ラッシュ輸送にとって無視できない影響がある。新幹線の脱線、転覆があってはならないのは言うまでもないが、社会経済活動への影響を考えれば安易な減便、運休もできない。JR東海は難しいかじ取りを迫られた。

■震度6強、10m超の大津波が予想される

ユーラシアプレートにフィリピン海プレートが沈み込む南海トラフでは、マグニチュード8クラスの大規模地震が100〜150年間隔で繰り返し発生する。前回の南海トラフ地震である、1944年の「昭和東南海地震」、1946年の「昭和南海地震」から80年が経過しており、政府は地震への警戒を高めている。

科学的に想定される最大クラスの地震が発生した場合、静岡県から宮崎県にかけて広い範囲で震度6強の強い揺れと、10メートル以上の大津波が発生し、震源や発災時刻によっては、全壊・焼失する建物は238万棟以上、死者は32万人以上に達すると予想されている。

南海トラフでは、四国から紀伊半島間の「南海地震」、紀伊半島から愛知県沖の「東南海地震」、静岡県沖の「東海地震」が発生する。1854年の「安政南海地震」「安政東海地震」では3つの地震が連動したが、前述の昭和期の地震では南海トラフの東端である駿河トラフが割れ残ったため、東海地震にはさらなる空白が生じていた。

1970年代後半になると「東海地震」のメカニズム解明が進み、観測データから地震を「予知」できる可能性が見えてきたことから、政府は1978年に大規模地震対策特別措置法を制定。1979年から東海地震の「大規模地震関連情報」及び「警戒宣言」の運用が始まった。

■東海道新幹線の検知システム「ユレダス」とは

低予算、突貫工事で建設された東海道新幹線の地震対策は、少なくとも開業時点では十分だったとは言いがたい。変電所に設置した地震計が地震を感知すると、自動的に送電を停止して列車を停車させるシステムは、開業直前の1964年6月に発生した「新潟地震」を受けて検討に着手したもので、1965年11月に仮運用を開始した。

また同年4月には静岡県の大井川河付近でマグニチュード6.1の地震が発生し、静岡市で東海道新幹線の盛土が崩れる事象が発生しており、「もう少しお金をかけてしっかりしたものにしておけばよかった」という声もあった。幸い付近に列車はなく、惨事に至らなかったが、ハード、ソフト両面で地震対策の重要性が明らかになり、地震計の増設・機能向上や盛土の補強などが進められた。

200km/h以上の高速運転を行う新幹線の運動エネルギーは巨大であり、事故時の被害を抑えるには速やかな減速、停車が重要だ。従来の仕組みでは地震動の到達まで停止の判断ができなかったが、1985年にP波から地震の規模、震央などを推定する「早期地震検知警報システム(ユレダス)」が開発され、1992年に東海道新幹線へ導入した。

JR東海はその後もユレダスの機能を強化しており、2008年に緊急地震速報、2019年に防災科学技術研究所が運用する海底地震観測網の活用を開始した。また2009年から線路に「脱線防止ガード」、車両に「逸脱防止ストッパ」の設置を進めている。

■将来的には10秒早く地震を検知できるように

この他、2022年には気象庁、鉄道総合技術研究所と共同で、東南海海底地震観測網の観測データとJR東海の地震防災システムの相互利活用を進める協定を締結。将来的に現状より10秒早く地震を検知できるようになる見込みだ。

そうした中、2011年の東日本大震災を経て政府の地震防災体制は転換を迎えた。東海地震対策は「予知」を前提に、平時から警戒態勢への移行を想定していたが、現時点では地震発生時期・規模・位置について確度の高い予測は困難である。

そのため新たな方針では、「地震発生可能性」と「防災対応の実施による日常生活・企業活動への影響」のバランスを考慮しつつ、「大規模地震の発生可能性が平常時より相対的に高まった」場合に「より安全な防災行動を選択」するとした。

これを受けて気象庁は2017年11月、東海地震に限定しない「南海トラフ地震に関連する情報」の運用を開始。続いて2019年3月、政府は「南海トラフ地震の多様な発生形態に備えた防災対応検討ガイドライン」を策定した。

ガイドラインは、地震の発生可能性が高まったと評価された場合にとるべき防災対応を検討し、あらかじめ計画としてとりまとめるべき事項を整理。鉄道事業者に対しては、臨時情報が発表された場合、安全性に留意しつつ、運行するために必要な対応をとるように求めた。

■もし巨大地震が起きたらどこで止まる?

これをふまえて2019年5月31日から、受け手がイメージしやすい「調査中」「巨大地震警戒」「巨大地震注意」のキーワードを付与した「南海トラフ地震臨時情報」の運用を開始した。

JR東海は2017年に地震情報発表時の運行計画の検討に着手。ガイドラインをふまえ、2021年3月に防災業務計画などの社内ルールを整備し、東海道新幹線「臨時情報(巨大地震注意)」が発表された場合は、三島―三河安城間の230km/hへの減速運転、「臨時情報(巨大地震警戒)」では、名古屋―三島間で運転を見合わせる方針を決定した。

減速運転の速度を230km/hとした理由について、同社広報室は「指定公共機関として『安全を確保すること』、『社会的使命に応えて極力移動機会を提供すること』という当社の方針、当社の地震に対する備え、国のガイドラインを総合的に勘案」したと説明し、明確な根拠には言及しなかった。

新幹線の減速度を3.5km/h/sとすると、285km/hからの停止には約1分20秒、約3200mを要するが、230km/hでは約1分5秒、約2000mとなる。一般論として速度を落とすほど早く、短く停車できるのは間違いないが、「極力移動機会を提供」との方針をふまえると、運休やダイヤ乱れを防ぐためには全線で10分程度の遅れが許容限度だったという解釈も可能だ。

■複数の専門家は「臨時情報」のあり方に疑問

JR東海の対応は中途半端と感じるかもしれないが、やむを得ない面もある。TBS NEWS DIG(10月26日)によれば、今年10月21〜23日に新潟市で開催された日本地震学会の秋季大会で、複数の研究家が「臨時情報」のあり方に疑問を呈したというのである。

地震学の権威である神戸大学の石橋克彦名誉教授は、臨時情報は科学的根拠に乏しく、制度設計の不備があると批判したが、注目すべきは臨時情報の仕組みは「大震法、大規模地震対策特別措置法の発想を引きずっている感があります」との指摘だ。

前述のように大規模地震対策特別措置法は、地震を予知した場合に「警戒宣言」が発令され、特別な防災対応を取る建付けだった。それが不可能として仕組みを変えたのだが、結局、臨時情報は一種の「予知」であり、臨時情報をトリガーに防災対応が始まる点では同様だ。こうした矛盾の中で、何かしらの対応をしなければならないというJR東海の苦悩が見え隠れする。

初の臨時情報発表に社会が動揺する中、翌9日19時57分に神奈川県西部を震源とするマグニチュード5.3、最大震度5弱の地震が発生した。南海トラフ地震との関連はないとされたが、巨大地震がいよいよ迫っているのではないかとの不安感が列島を包んだ。

写真=iStock.com/bluesky85
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■震源近くを走る小田急線は乗客が徒歩で避難

この地震で東海道新幹線は、上りは浜松―東京間、下りは東京―三島間で21時頃まで運転を見合わせたが、最も影響を受けたのは小田急電鉄だった。震源間近を走る小田原線は10日未明まで一部区間で運転を見合わせ、渋沢―新松田間で停車した列車から乗客が徒歩で避難するという事態も発生した。

小田急にとってこれは考えうる最悪の条件だったと言える。渋沢―新松田間の駅間距離は、小田原線の中で最も長い6.2km。丹沢山地と渋沢丘陵に挟まれた谷にあり、人家もほとんどない。当該列車はよりによって、そのほぼ中間地点に停車した。

同社によれば、沿線10カ所に地震計を設置しており、いずれかの地震計が一定以上の揺れを感知した場合、全列車を安全な場所に緊急停止させ、安全確認を行う。今回の地震では、東日本大震災以来となる100ガル超の揺れを記録したため、線路や電気設備の損傷を徒歩点検で確認する必要がある。

駅間に列車が停車し、運転再開に時間がかかる場合は、国土交通省の指示に基づき旅客を降車避難させている。線路内の歩行は旅客に転倒などのリスクが伴うため、列車から最寄駅または踏切から線路敷地外へ誘導する対応を原則としているという。

■「最悪」に対する「最善」策はまだ道半ば

当該列車は約100人の乗客がおり、運転士・車掌の2人で付近の渋沢8号踏切まで誘導した。今回は真夏の夜の出来事だったが、酷暑日の炎天下、または冬季の降雪中となれば長時間の徒歩避難は命にかかわるリスクがある。高齢者や障害者など歩行困難者がいればなおさらだ。

この点について小田急は、乗務員は想定外の状況にも迅速に対応するため、ケーススタディなどを通じて乗客の安全を最優先に、避難誘導や情報連絡など最適な対応を行えるよう努めていると述べる。

一般論の域を出ていないと評することもできるが、鉄道は1列車あたり数百人が乗車する大量輸送機関であり、仮にバスをかき集められたとしても代行輸送は難しい。鉄道事業者は「駅間停車」を最も避けるべき事態と考えているが、大きな地震や停電があれば、停止せざるを得ない。

記憶に新しいのは2023年1月24日、「10年に1度」の寒波で15センチの積雪を記録した京都府内で、東海道本線(JR京都線・琵琶湖線)の15列車が立ち往生し、約7000人が車内に閉じ込められたトラブルだ。

雪の影響でポイントが凍結し、19時頃から運行が不可能になったが、乗客の避難を決断したのは23時頃。すべての乗客の避難が完了したのは翌日5時30分のことだった。乗客が車内に閉じ込められた時間は最大9時間50分にも及んだ。

満員電車が大規模地震に巻き込まれた時にどのように乗客を救助するのか、鉄道事業者は「訓練を重ねている」と述べるが、必ずしも最悪の条件を想定しているわけではない。

遠からず南海トラフ地震や首都直下地震が発生するのは確かである。鉄道事業者が「最悪」に対して、いかに「最善」の手を打てるか。少なくとも、事前の備えが万全でなければ良い結果が訪れないのは間違いない。

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枝久保 達也(えだくぼ・たつや)
鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(青弓社、2021年)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx
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(鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家 枝久保 達也)