農水省は2024年7月からの1年間の1人当たり消費量を54.4キログラムと前提して年間需要量を推定している(記者撮影)

この夏、食品スーパーの棚から消えたおコメ。秋に新米が出回り始めて品薄が一段落したと思いきや、大幅に値上がりしている。9月の東京都区部の消費者物価指数でコメ類は前年同月に比べて41.4%上昇。5キロ2000円だった価格が2800円に上がった計算となる。実に49年ぶりの伸び率だ。

コメ価格の上昇を受け、外食チェーンはライスのメニューを値上げ。パックご飯各社も相次いで商品の値上げを公表した。

川上のコメ産地でも異変が起きている。「異常な状況だ。これまで取引のなかった業者まで次々にやってくる」と驚くのは新潟県のある生産者。集荷業者がコメを確保しようと高値を示して各地を奔走しているのだ。

日本ではコメの需要が減り続けており、減反とそれに続く政策によって生産量を抑えてきた。価格を維持するためだが、それが一転、「消えたコメ」に「高いコメ」がクローズアップされ、政策の行き詰まりが浮き彫りとなっている。

味噌や米菓、酒造業界が最初に悲鳴

いったいなぜ、このような事態に陥ったのか。

8月8日に気象庁が南海トラフ地震臨時情報を出した。これで備蓄のためにと消費者がコメを買い込んだ。売り場に商品が乏しくなると、さらに買い込もうとするのが消費者心理だ。

農林水産省がまとめている資料「米の流通状況等について」にも、購入の勢いの大きさが如実に表れている。POSデータで把握したスーパーでの販売数量は、8月5日の週から3週にわたって前年比で38.8%増、21.4%増、48.6%増と大きく伸びた。

ただ、備蓄目的の購入はダメ押しだった。実は、業界内では昨年秋からコメ不足が取り沙汰され、コメの値段が上がり始めていた。最初に悲鳴を上げたのは、味噌や米菓、酒造業界だった。

味噌などの原材料となるコメには、収穫された玄米を一定の目のふるいにかけて下に落ちた粒を用いる。家庭で炊かれてご飯となるコメより粒が小さく、「ふるい下米」と呼ばれる。昨年秋の収穫では、天候要因などからこのふるい下米の発生量が少なく、価格が高騰したのだ。

ふるい下米のうち、比較的サイズの大きい粒は低価格帯のご飯用に回る。その供給も細ったことで、ご飯用のコメでも低〜中価格帯で次第に品薄感が強まり、業者間のスポット市場で取引価格が急激に上がった。

コメが生産者から消費者の口に入るまでにはさまざまなルートがあり、価格の決まり方も異なる。需給状況が敏感に価格に反映されるスポット市場で取引されているコメは全体の一部。JA(農業協同組合)を通じて卸売業者へと流通するルートをはじめ、中心にあるのは相対取引だ。

相対取引は一定期間、契約するケースも多く、基本的には安定した取引といえる。ところが2023年産の関東コシヒカリを例にとると、スポット市場で今春以降に価格が加速度的に上昇、それにつれて相対取引の価格も上昇したことが見て取れる。


春以降、次第に強まった品薄感は新米が出回り始めれば収まり、高騰した価格もいくぶん落ち着くと思われていた。

ところが8月、新米が出る前の端境期にタイミング悪く起きたのが、備蓄のための買い込みだった。「端境期の空中戦のまま新米に入った」(流通業者)。新米の売り物を確保しようと集荷業者は高値を示して生産者にアプローチしたのだ。

価格転嫁できたがコメ離れ再発懸念

この動きを受けて、各地のJAはコメを集めるために、生産者に支払う概算金(委託販売の仮渡金)の引き上げを迫られた。新米の争奪合戦による卸売業者の仕入れコスト上昇は、中食・外食業者への卸値やスーパーでの小売価格へと反映される。高値は当面続きそうだ。

生産者にとっては、輸入インフレで肥料や農機を動かす重油等の高騰が重荷となっており、高値でようやくコスト増の「価格転嫁」がかなったといえる。


一方で、過去にはコメの値段が上がると、中食・外食業者がコメを使うメニューを減らしたり、おにぎりのサイズを小さくしたりして対応したため、再びコメ離れに拍車をかけかねないとの懸念も業界には漂う。需要減が加速してコメの値段が下落に転ずれば、生産現場も含めて打撃となる。

コメの需要は一貫して減少してきた。政府はコメ余りを防ぐため、コメを作らない田んぼに補助金を支払ったり、コメを作ってもいい面積を配分したりする政策を行ってきた。現在、直接的な生産調整からは手を引いたが、補助金を通じ、間接的に生産調整を続けている。

今年、コメ不足が夏にかけて取り沙汰されると、農水省は「コメは足りている」と繰り返した。2023年産のコメの作況は平年並みで、農水省は主食用米の需要が702万トン、供給が661万トン、6月末時点で在庫が156万トンと弾いた。確かに「不足」ではなかった。

ただし、需要見通しを3月時点から7月にかけて約20万トン引き上げた。その理由として、回復したインバウンド需要に加え、輸入インフレで食料品が値上がりする中、コメに値頃感が出たことを挙げている。

また需要・生産見通しは玄米で測ったものだが、精米した際の歩留まりが2023年産では天候要因のため低く、玄米換算の需要量が増えたとも説明する。

「ブレーキとアクセル」のコメ政策

コメの需要が思わぬ回復を見せたところに、備蓄の買いだめが起き、天候要因もあった――という釈明だが、要因はそうした避けようのない事象だけではない。

長くコメ業界を取材してきた元『米穀新聞』記者の熊野孝文氏は、今回のコメ不足や価格急騰について「問題は主食用という区分けにある」と指摘する。

「主食用」という言葉の意味は、「大きなご飯粒で日本国内にいる人間の口に入るコメ」とでもいえばいいだろうか。農水省の需給見通しはあくまで「主食用」についてのものだ。

前述したふるい下米には低価格帯のご飯用として流通するものがあるが、「主食用」にはその一部しかカウントされない。それに、日本で作られているコメは「主食用」に限らない。家畜の餌にする飼料用に加工用、輸出用、米粉用……こうした用途を政策的に拡大してきた。

ご飯向けのコメに比べて価格が低いため、補助金を支払って生産者を誘導している。これにより「主食用」の生産を抑制でき価格を維持している。

コメを作付けして田んぼのままにしておけば、いざという時には主食用の生産を拡大することができる。コメの価格維持と食料安全保障の両面を持つ方策ではあるが、用途を分けても、いずれもコメであることに変わりはない。

主食用の生産を抑制し、それ以外を増やすという現状のコメ政策について熊野氏は「ブレーキとアクセルを一緒に踏んでいるようなもの」と指摘する。

加えて、主食用以外のコメについては作付け段階から用途を限定しているため、足りないニーズには回らない。飼料用や輸出用として補助金を受け取りながら、ご飯向けが品薄だからと振り向けるのは禁じ手だ。

いびつな政策のツケは消費者に回っている。高値のコメと補助金の税負担という両方を負っているのだ。低所得者世帯ほど生活必需品が高値であることの負担は大きい。

では、どのような手が打てるのか。

農政調査委員会の吉田俊幸理事長は次のように提起する。「価格維持を目的とする生産調整を見直し、生産者への所得補償とコメの増産・輸出へ転換する時に来ている。価格が下落すれば、輸出をはじめ需要拡大につながる。生産者の所得減に対しては所得補償でカバーできる」。

生産者の経営を支えつつ、消費者にはコメの価格が下がるというメリットが生まれるというわけだ。

政策転換を表明していた石破首相

くしくも2008年、農林水産大臣として価格維持のコメ政策からの転換を表明していたのが、石破茂首相だ。

想定されるコメ価格の下落幅とその補填策について省内でシミュレーションを進めていた。しかし政策議論に入る前に、解散総選挙で政権交代が決まり、石破氏が大臣を退任する直前にシミュレーション結果を公表するにとどまった。

石破氏は今回の自民党総裁選で、コメの生産拡大と直接所得補償に言及した。首相に就任した後はほかの政策と同様、発言を軌道修正しているが、因縁の政策であるだけに今後の動向が注目される。

今回のコメ騒動は生産者と消費者、双方にプラスとなるよう農政が転換するきっかけとなるか。それとも、需要減と生産現場の弱体化に拍車がかかるだけに終わるのか。日本のコメは岐路にある。

(黒崎 亜弓 : 東洋経済 記者)