報道されたくない情報を記者に知られた時、官僚はどうするのか。元外交官で作家の佐藤優さんは「1998年11月のモスクワでの日露首脳会談の際に、エリツィンの健康状態が悪いことを隠す必要があった。その時に、偽装論点を使って目をそらすという手口を使った」という――。

※本稿は、佐藤優・西村陽一『記者と官僚 特ダネの極意、情報操作の流儀』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■ひどく酔っ払い、吠えて暴れるエリツィンの姿

【西村】エリツィンといえば、もう一人、親密な付き合いとされていたクリントンとの間にもこんな場面があったな。1995年、私がニューヨークに出張して米露首脳会談を取材したときの話なんだけど、記者会見に現れたエリツィンはひどく酔っ払っていたんだよ。そしてわれわれ記者団を指さして、「君たちはこの会談が失敗すると書いたが、失敗したのは君たちのほうだ」ってわめき出した。みんなびっくりしながら、吠えて暴れるエリツィンの姿を撮影し、ロシア語の暴言を録音し始めた。すると、隣に立っていたクリントンがいきなり笑い出したんだ。身をよじらせて、涙を流しながら。

【佐藤】それ、ニュースの動画で見た覚えがある。

【西村】あったでしょう。クリントンはずっと笑い転げていて、われわれはさらに混乱したんだ。エリツィンの酒癖が悪いのはいつものことだけど、今度はクリントンがどうにかなってしまったのか、一体何がそんなに面白いんだ、って。全く訳がわからなかった。でもとりあえずカメラはまわすよね。エリツィンと、クリントン両方に向けて。

結局どういうことだったかというと、クリントンが機転を利かせてわざと道化を演じたんだ。「二人で揃っておどければ、メディアがエリツィンの飲酒だけに焦点を当てるのを中和できると計算した」とのちに語っていた。そして、こうぽつりとつぶやいたのだとか。「酔っ払いのエリツィンのほうが、エリツィン以外のしらふの大統領よりマシだ」と。

写真=共同通信社
クリントン米大統領と共に写真撮影に向かうエリツィン、ロシア大統領。左は宮沢首相=1993年7月9日、東京、元赤坂の迎賓館(代表撮影)「東京サミット」 - 写真=共同通信社

■エリツィンの晩餐会欠席で機嫌を損ねた小渕首相

【佐藤】アメリカ大統領らしいコメントだね。

エリツィンにはわれわれも振り回されたな。いまの話で思い出したけど、1998年11月のモスクワでの日露首脳会談の最後に、エリツィンは小渕首相に晩餐会を欠席すると伝えてきたんだよ。代わりにプリマコフが出席する、と。理由は言わなかったけれど健康状態によるものであることが明白だった。それで小渕首相がまたひどく機嫌を損ねてね。鈴木宗男さんと一緒に呼ばれて行ったら、靴を履いたままベッドに寝っ転がってチューインガムをくちゃくちゃ噛みながら「俺が出発するまで、エリツィンの健康状態が悪いって話は絶対に表に出ないようにしろ」と。

【西村】難問だね。私はその場にはいなかったけれど、もし晩餐会にエリツィンが来なければ、記者団みんなが疑問に思って一斉に取材を始めるのは目に見えている。

【佐藤】鈴木さんと二人で「困ったなー」と頭を抱えたよ。そして苦肉の策で、ちょっとした策を弄することにした。その日の夕刻、合意文書である「日露の共同声明(モスクワ宣言)」を発表する予定だったんだけれど、ロシア側と擦り合わせて遅らせることにした。晩餐会直前に私が記者たちに緊急のブリーフィングを行って「発表が延期になります」ということにしたんです。

■「エリツィンの健康問題」どころではない状況に

【西村】それは夕方?

【佐藤】午後6時。時差6時間だから日本時間だと夜の12時。

【西村】それは記者は慌てるね。降版時間、つまり最終締切の1時間半前だ。もう日本に予定稿を送ってるでしょう? みんな。いまみたいにネット上で簡単に差し替えられるものでもない。

【佐藤】そう。延期ってなんだ、朝刊に間に合うのか、ってみんなざわついて。その中で北海道新聞の記者が「東京宣言の確認ができないんですか?」っていう質問をしてくれたんだよね。東京宣言の確認っていうのはこの共同声明のいわば肝で、そこが変更になったらそっちのほうが大ニュースになる。場は一気に大騒ぎになった。私は腹の中でしめしめと思いながら、「ですからっ! その点も含めて鋭意協議中なんです!」「皆さんのご期待にそえるように全力を尽くします。しかし、ともかく相手のあることですので」とごまかして。そして最後に「ちなみに、こうした事情で文章がまとまっていないので、晩餐会にエリツィンは出席しません。代わりにプリマコフ首相が出席します」とさらっと告げてブリーフィングを終えたんだけど、もうみんなそれどころじゃない(笑)。

写真=iStock.com/Picsfive
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Picsfive

■偽装論点をつくって記者の目をそらす

【西村】新聞に大誤報が載ってしまうからね。

【佐藤】そして9時過ぎ、晩餐会が無事に終わったところでもう一度記者を集めて「東京宣言の確認が入りました。予定通りの文書になりました」と報告したら、拍手喝采してくれた。よく頑張ってくれたって。エリツィンの健康状態悪化の話は全く表に出なかったよ。

【西村】そんな巧妙な手を使ったのか! まあ、エリツィンの病状は世界の注目の的だったから、記者たちも真相を知ったら悔しがるでしょう。大統領が晩餐会を欠席せざるをえないほど交渉がもめていると誘導されれば、その3時間は気が気じゃなかっただろうね。

【佐藤】ある情報を隠すために偽装論点をつくるという手口は、インテリジェンスの世界ではよくやるね。秘密をガッチリ守ろうとするとむしろ目立ってアタックされやすい。だから偽装論点をつくって、目をそらす。

【西村】クリントンの大笑いも同じ発想だね。

■外交文書を抜かれたときは困った

【佐藤】ちなみに、掴まれたくない情報を掴まれて、確実に報道されるとわかったら、こちらは必ずライバル社にも同じ情報を流すのもセオリーの一つです。

【西村】同着にするの?

【佐藤】同着よりも少し先に流す。

【西村】同着にさせるというのは政治報道でも事件報道でもよくやられる。情報を抜いた側としてはこれほど悔しいことはない。

【佐藤】そういった例は数えきれないほどあるよ。でも外交文書を抜かれたときは困ったな。国内ならどうとでもなるけど、外交文書の場合は相手の国の問題にもなってしまうから。ロシアと合意している文書をある新聞記者に抜かれてしまって、モスクワまで行ってかけあって、文書の名称と順番を入れ替えてなんとか事なきを得たこともある。

【西村】特ダネを取った記者としてはこれほどいやな話はないけれど。具体的に話せる? 取られた情報の潰し方について。

写真=iStock.com/Vladislav Zolotov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vladislav Zolotov

■「おい、佐藤。これ結果誤報にできないか」

【佐藤】話せるよ。あれは、ロシアの原子力潜水艦クルスク号が沈んだときのことだ。私は鈴木宗男さんに同行してユジノサハリンスクにいた。ある朝、東郷(和彦)欧亜局長から電話があって、「次の日露首脳会談の極秘文書の日露メモランダムが新聞に載っている。出どころを探ってくれ」と言われたんだよね。鈴木宗男さんから出たんじゃないかと疑っている様子で。でも私はそんな文書は見た覚えがなかったから「私はそのメモランダムのことを全く知らされていませんよ。私の知らない文書が鈴木さんに抜けているんですか?」と尋ね返したら「それもそうだな。慎重に聞いてみてくれ」と。

で、一応、鈴木さんに確認したら、やっぱり知らないと言う。鈴木さんから「なんでそんなものが漏れているんだ。徹底的に調べろ」という話になった。その文書の内容を知っているのは、次官、外務審議官、欧亜局長、条約局長、ロシア課長、条約課長の6人だけ。「さて、誰だ」と鈴木さんは怒り心頭で、「野を越え、山を越え、草の根かき分けてでも探し出して来い」という厳命が下った。

【西村】情景が目に浮かぶよ。鈴木さんは怒ると怖いから。

【佐藤】結果として、まあロシア課長だろうという当たりはついた。本人は最後まで認めなかったけど、懇意にしていた記者にほだされて渡しちゃったんだろうな。しかしさて、犯人が見つかったところで、漏れた情報は戻らない。ではどうしようかと思っていたところで、川島(裕)次官に「おい、佐藤。これ結果誤報にできないか」と。

【西村】なるほど、結果誤報か。

■ロシア側から文句「情報管理しっかりしろ」

【佐藤】結果誤報とは何かというと、取られた文書の名前と順番を組み替えて誤報にすること。本当は決裁済みの正式な文書を取られているんだけれど、「その文書は途中段階の中間文書でした、正式な文書ではありません、あしからず」とシレッとやってしまう。これは国内ならわりと簡単にできる。

【西村】相手のある外交文書でそんなことが簡単にできるとは思えないね。

【佐藤】たしかに簡単ではなかった。何せ外交文書だったからかなり面倒だった。相手のあることなので、いったんフィックスした文書は簡単には結果誤報にはできない。当時はロシアとの信頼関係が絶大だったからできたんだよね。すぐにロシア外務省と話をすり合わせて、「メモランダム」というタイトルを「なんとか声明」みたいに変えて、順番も組み替えちゃった。でもさすがにロシア側から文句を言われたよ。「情報管理しっかりしろ」って。

【西村】情報を取った記者のほうはどうなった? その記事、もう掲載済みだったんだよね?

佐藤優・西村陽一『記者と官僚 特ダネの極意、情報操作の流儀』(中央公論新社)

【佐藤】最終合意文書として新聞に掲載したあとで、中間文書を掴まされたことになったんだから、それは大恥をかかされたと思うよ。その記者は、かわいそうにしばらく経って異動になったって。

【西村】結果誤報のからくりは知らないまま?

【佐藤】それが、外務省内の情報漏洩疑惑の当人であるロシア課長が、結果誤報のからくりもその記者に話しちゃったんだよ。「あれは佐藤が結果誤報にしてきたんだ」って。つまり自分が最終文書だと言って流したものだから、その記者に対して弁明しなくちゃならなくなったんだろうね。佐藤にやられた、佐藤のせいだ、佐藤が悪い、という言い方をしたようだ。だからその記者にはそのあとえらく恨まれた。

【西村】そりゃあ、そうなるよね。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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西村 陽一(にしむら・よういち)
元朝日新聞編集局長・ジャーナリスト
1958年東京都生まれ。東京大学卒、81年朝日新聞社入社、静岡支局で新聞協会賞(団体)受賞。政治部員、モスクワとワシントンの特派員、アメリカ総局長、清華大学高級訪問学者など米中ロで計13年勤務。政治部長、編集局長を経て、役員として編集、デジタル、マーケティングを統括、ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン代表取締役。2021年退社後、東京大学大学院客員教授として情報社会論を講義、ほかに国内外の大学などで講義講演多数。著書に『プロメテウスの墓場』、共著に『無実は無罪に』『「イラク戦争」検証と展望』など。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優、元朝日新聞編集局長・ジャーナリスト 西村 陽一)