(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

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漫画・ドラマともに大人気の『孤独のグルメ』の原作者として知られ、日本中を飛び回る久住昌之さん。そんな久住さんがどっぷりハマり、足掛け6年以上通っているのが<佐賀県>です。そこで今回は、久住さんの著書『新・佐賀漫遊記』から、久住さん流・佐賀県の楽しみ方を一部抜粋してご紹介します。

【写真】佐賀空港で食べた、佐賀のローカルフード「シシリアンライス」。久住さんの感想は?

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有明海を見て、海苔のことを考えた

飛行機で初めて佐賀に来た時、機窓から、空港近くの海の上に、見たことないものを見て目を奪われた。


飛行機の窓から初めて撮った佐賀・海上に広がる長方形はなに?(写真:『新・佐賀漫遊記』より)

海面に、海の色より濃い色の長方形が整然と並んで、どこまでもどこまでも続いている。長方形には黒っぽいのと、もっと薄い色のがある。

空からで周りに比べるものがないので、大きさはわからないが、ひとつ2メートル×8メートルくらいだろうか。いやもっと大きいか。

それらは水面に浮いているのではなく、浅い水面下にあるように見え、そこが不思議だ。

飛行機の高度が下がると、その間を行き来する小さな船が何隻か見えた。

なんだあれ? と眺めながら、しばらく考えて、「あ……ひょっとして、海苔の養殖かな」と思い至った。

有明海苔。眼下の海は、たぶん有明海だ。いやしかし「そんなに? 海苔を?」と思うほどの広大な面積に長方形は広がっていた。

佐賀に着いて、土地の人に聞いてみると、やはりそれは海苔だった。

海苔はそんなに大量に作られているものなのか。いきなり佐賀に驚かされた。

日本人は海苔を日常的に食べている

でも冷静に考えたら、海苔は、日本人なら誰でもどこでも日常的に食べている。

コンビニに行けば、たくさんの種類のおにぎりが並んでいる。のり巻きもある。のり弁もある。寿司屋に行けば、海苔巻きをはじめ様々な巻ものがある。


『新・佐賀漫遊記』(著:久住昌之/産業編集センター)

そしてそれらは家庭でも作られる。実家には焼き海苔を保管する機密性の高い大きな茶筒型のブリキ缶があったな。ただお醤油をつけて、白いごはんを巻いて食べた。

お餅も海苔で巻いたら磯辺巻きだ。串団子にも海苔で巻いたのがある。

ざる蕎麦には細切りした焼き海苔だ。ラーメンにもしばしばのっている。いや大量にのせてる家系ラーメンもあるぞ。焼きそば焼きうどん冷やし中華には細切りを振りかける。

海苔せんべいもある。あられにも巻いてある。

旅館の朝食には、焼き海苔や味付け海苔が出る。居酒屋の締めの海苔茶漬けもある。

その他にも、ポテトチップとかスナック菓子には「のり味」が必ずある。ふりかけもあるか。

お歳暮お中元には高級海苔が贈られたりする。

アメリカ人は海苔を食べない?

いやぁ、あらためて考えてみたら、日本人は日常的にいろんな食べ方で様々な方法で、とても頻繁に海苔を食べている。そう考えると、あのくらい広い海苔畑(?)も必要だ。

これほど海苔を摂取している国はほかにあるだろうか。ないと思う。韓国だって、日本ほどは食べないだろう。

欧米に海苔料理は皆無と言っていい(と思う)。

アメリカ人は、せんべいは喜んで食べるが、海苔せんにはほぼ100%手を付けない。と、ニューヨークに住む友人が話していた。

なんで? と聞いたら、友人は「食べる習慣がないから、真っ黒くてちょっと不気味なんじゃない?」と言っていた。うーん、いまいち釈然としない。

話が逸れまくっているが、とにかく、この小さな島国では、もの凄い量の海苔が消費されている。

当然それに見合うだけの海苔が収穫されなければならないわけで、あのくらいの面積は必要かもしれない。今まで考えたこともなかった。って、ぼーっと生きてんじゃねえよ!

海苔漁師さんに話を聞く

佐賀に通うようになると、そのことを度々エッセイに書くようになった。そうなると仕事として佐賀で「取材」する必要も出てくる。

そんな流れで、ボクは佐賀市諸富町の若き海苔漁師・横尾雅也さんを訪ねた。

朝、佐賀市諸富町にある横尾さんの自宅に寄らせてもらう。生まれ育った家だ。近隣の家もみな海苔漁師だそうだ。

庭には海苔の乾燥室があった。採れたばかりのドロドロの海苔をここで、紙漉のように薄く漉いて、乾燥させ、板海苔にする。

見せてもらったが、ベルトコンベアから四角い海苔がすごいスピードで出てきて、重なって、束ねられていく。これを工場に出荷し、さらに加工して、焼き海苔ができあがる。

横尾さんの父も祖父も海苔漁師で、海苔漁は今や雅也さんの仕事だが、乾燥の作業はご両親がしている。

横尾さんに海苔の養殖の仕方を聞いた。これも今まで考えたことがなかった。六十余年、食べてきたのに。

夏の間、牡蠣の貝殻の中で海苔の胞子を育てる。そして秋、海水が冷たくなった時、胞子を貝殻から出して、落下傘と呼ばれる袋に入れ、網につけて海上に張る。

しばらくすると牡蠣殻から出てきた胞子が網に付く。そしてそこから海苔の芽が出る。それが30センチほどに伸びたら、海苔の収穫が始まる。この時最初に採れるのが「一番海苔」だ。

現代の海苔養殖の始まり

1949年にイギリス人の女性藻類学者ドリューが、海苔の胞子が牡蠣殻に潜り込んで夏を過ごすことを発見した。そこから現代の海苔養殖は始まった。

昭和23年か。7世紀から海苔を食べてきた歴史からしたら、つい最近の話だ。それまでは、胞子が夏の間どこにいるのか、わからなかったのだそうだ。だから海苔の採れる場所に網を張って、海苔の胞子が自然に付着するのを待つしかなかった。

ドリューの発見は、日本の海苔養殖の革命だったのだ。初めて知った。

養殖方法には、有明海などの支柱棚式と、もっと深い海で行われる浮き流し式がある。

有明海の支柱式には、他の海にない利点がある。有明海は干満の差が日本一大きいのだ。

干潮になると水位が下がり、なんと海苔の付いた網が空気中に出てしまう。

海苔はこの間、太陽光を直接浴び、満潮が近づくと、また海の中に沈む。このことが、海苔をよりおいしくするのだという。これにもちょっとびっくりした。そんな、海草を海から出して日に当ててたら、乾いて死んで(枯れて)しまいそうだ。

※本稿は、『新・佐賀漫遊記』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。