インフレが家計を圧迫しているが、日本の景気は大丈夫なのか。エコノミストのエミン・ユルマズさんとの共著『「エブリシング・バブル」リスクの深層 日本経済復活のシナリオ』(講談社+α新書)を刊行した第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣さんが解説する――。

■日本の財政は大幅に改善している

長年の間「日本の財政が厳しい」と言われてきたが、ここに来て財政指標が大幅に改善している。

2024年1〜3月期時点の「政府債務残高の対GDP比(粗債務)」を見ると、前年から▲5%ポイント近く低下し、コロナ前の水準に戻っている。

「政府純債務/GDP比」に至っては、前年から▲17%ポイント以上低下し、2010年1〜3月期以来、実に14年ぶりに100%を下回った。

図表1を見れば、日本の財政が急速に改善していることがお分かりいただけるだろう。

出所=日銀、内閣府 筆者作成

■財政改善の最大の理由は「インフレ」

なぜ財政が急速に改善しているのか。

その最大の理由は「インフレ」だ。

岸田政権を含め、近年の政権によって進められた増税によって、政府の税収が増えていることも一因だが、「インフレ」の影響が最も大きいと考えられる。

一般的に、政府債務残高の対GDP比は、経済成長率やインフレ率によって変動する(※)。

2023年度の低下幅(▲11.0%ポイント)の中身を詳しく見てみると、「増税などで財政収支が改善した影響」より、「名目経済成長率(経済成長率+インフレ率)」の影響のほうがはるかに大きい。

名目経済成長率の中でも、「インフレ率上昇」の影響が95%以上と、はるかに大きいことがわかる。

出所=日銀、内閣府データを基に筆者作成

(※)一般的に、B:政府債務残高、Y:名目GDP、PB:基礎的財政収支、i:名目利子率(=当期利払費/前期債務残高)、g:名目GDP成長率(=rg:実質GDP成長率+d:GDPデフレーター伸び率)とすると、債務残高/GDPの変動については以下の式により要因分解できることが知られている。

B/Y−B(−1)/Y(−1)=PB/Y+(i−rg−d)×B(−1)/Y

つまり、基礎的財政収支要因:PB/Y、利払費要因:i×B(−1)/Y、経済成長率要因:−rg×B(−1)/Y、インフレ率要因:−d×B(−1)/Yとなる。

■増税しなくても財政は改善する

なお、23年度の財政改善の幅は「過去最大」(現基準の資金循環統計が公表された98年以降)である。

日本政府は、「政府債務残高/GDP比」の上昇を抑制するために、「プライマリーバランス(PB)」(基礎的な財政支出と税収が均衡している状態)を目標としてきた。

だが、財政を改善するには、財政収支が黒字である必要はない。「名目経済成長率(=経済成長率+インフレ率)」が国債利回りを大きく上回っていれば、「債務残高/GDP比」は低下する。

要するに、マクロ経済学の考え方では、インフレになれば財政は改善するが、増税したからといって財政が改善するとは限らない、ということだ。

世界の経済学では常識

こう主張するのは筆者だけではない。例えば、アメリカのバーナンキ元FRB議長も、2017年に日銀が開催したシンポジウムで「日本はインフレ率を高めることで財政の持続可能性を高めることができる」と主張していた。

日本政府はそろそろ、こうした「マクロ経済学の常識」を踏まえた政策に転換すべきだ。

具体的には「増税により財政を改善させる」方向ではなく、「賃金上昇によるマイルドなインフレ」および「家計支援策による個人消費のテコ入れ」を軸に据えるべき時にきている。

財務省を中心とした日本政府もこうしたことはよくわかっている。特に「マイルドなインフレで財政を再建する」点については強く意識しているものと考えられる。

■家計を支える経済政策が必要不可欠

ただインフレが続けばすべてうまくいくかというと、そんなに簡単な話ではない。

通常、インフレ下では賃金も上昇するため、物価が上昇しても現役世代にはそれほど影響はないことが多い。

だが、年金で生活している世帯などは、賃金上昇の恩恵を受けにくいため、物価上昇のデメリットが直撃しやすい。

今日本では2%以上のインフレが続いている。決して激しいインフレではないが、年金で生活する世帯にとって無視できない負担となっている。

写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

少子高齢化の影響で、日本の約3〜4割は年金で暮らす無職世帯となっており、賃金が上昇しても、なかなか個人消費が増えにくい構造になっている。

そのため、家計を支え、個人消費をテコ入れする経済政策が必要不可欠となっている。

■「増税」と「社会保障負担増」が経済の足を引っ張っている

そもそも日本の個人消費が弱いのはなぜか。

端的に言えば、その理由は「国民負担率が急上昇したから」。要するに「増税」と「社会保障負担増」によるものだ。

図表3は、G7諸国の国民負担率を、2010年を基準に見たものだ。

日本の国民負担率だけがダントツで上がっていることがわかる。

消費税が2度にわたって引き上げられたほか、社会保険料も引き上げられている。日本経済が停滞し、賃金が下がっている中、家計の負担ばかり増えていたわけだ。

個人消費が伸びないのは当然というべきだろう。

出所=OECD 筆者作成

■岸田政権は「増税」だけではなかった

「増税」というと岸田政権のイメージが強くなってしまったが、岸田政権は家計を支援する政策にも取り組んでいた。

「エネルギー負担軽減策」や「定額減税」などがそれだ。

ほか、経済の構造改革にも積極的に取り組み、「新しい資本主義」の名の下に、「貯蓄から投資」「GX(グリーン・トランスフォーメーション)」「半導体産業への投資」といった政策が進められた。いずれも競争力強化につながる政策で、世界的な潮流にも沿っており、評価できる。

賃上げも実現し、春闘の賃上げ率が5.1%と33年ぶりの大幅アップとなったことで、実質賃金は27カ月ぶりにプラスに転じている。

■もっと踏み込んだ「個人消費のテコ入れ」が必要

ただ、個人消費はまだまだ低迷しており、経済成長の足枷となっている。

政府は家計支援や個人消費のテコ入れについて、もっと踏み込んだ政策を実施すべきとも考える。

日本経済新聞によると、2023年の日本の実質賃金はマイナスだったが、群馬県と大分県の実質賃金だけはプラスだったという。

この2つの県はいずれも自治体が賃上げした中小企業に奨励金を出している。

こうした事実を見ると、「賃上げした企業への補助金」は有効な施策で、岸田政権が実施していた「税制優遇」より効果的だった可能性がある。

「賃上げ補助金」のほかにも、「消費額に応じて税が控除されるなど、消費すればするほど得になる仕組み」の導入も効果的だろう。

■新NISAに積極的なのは「若者とバブル世代」

もっと踏み込んだ「個人消費テコ入れ策」が必要な理由がもう一つある。

2009年にギウリアーノ氏とスピリンバーゴ氏という2人の経済学者の連名で出された論文によると、各世代のお金についての価値観は、その世代が社会に出た時代、具体的は18歳から24歳までの経済環境に「一生左右される」。

つまり、今後景気が良くなっても、若い頃に不況を経験した「氷河期世代」の財布の紐は緩まない、ということだ。

大和証券の木野内栄治氏によると、新NISAに積極的なのは、20代から30代前半くらいの世代だという。アベノミクス以降の株が上がっている局面で社会に出た世代である。

次に積極的なのは50代後半以降のいわゆる「バブル世代」。一方、氷河期世代は投資にあまり積極的ではないという。

そうした氷河期世代の財布の紐を緩めるには、かなり積極的な政策が必要になってくる。

■「日本人の努力不足」が原因ではない

日本では過去30年にもわたりデフレ経済が続く、世界でも異例の国となっている。

そんな中、人々の考え方や行動にはすっかり「デフレマインド」が染み付いてしまっている。

そのため、「実質賃金が安定的にプラス」という程度では、みな財布の紐を緩めてはくれないだろう。

エミン・ユルマズ、永濱 利廣『「エブリシング・バブル」リスクの深層 日本経済復活のシナリオ』(講談社+α新書)

個人消費を盛り上げるためには、先述したような「お金を使えば使うほど得をする税制優遇」など、かなり思い切った政策が必要だ。

「景気は気から」という言葉もあるが、あなどれない真実と言える。

日本が長期デフレに陥った諸悪の根源は、日本人の努力不足ではなく、バブル崩壊後に続いた「政府の経済政策の失敗」にある。

それによって歪められてしまった「日本人の価値観」を、さまざまな方策によって少しずつ解凍していくことができれば、日本経済復活の見込みは大きいものとなると期待している。

----------
永濱 利廣(ながはま・としひろ)
第一生命経済研究所経済調査部 首席エコノミスト
1995年早稲田大学理工学部工業経営学科卒。2005年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年第一生命保険入社。98年日本経済研究センター出向。2000年4月第一生命経済研究所経済調査部。16年4月より現職。内閣府経済財政諮問会議政策コメンテーター、総務省消費統計研究会委員、景気循環学会理事、跡見学園女子大学非常勤講師、国際公認投資アナリスト(CIIA)、日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、あしぎん総合研究所客員研究員、あしかが輝き大使、佐野ふるさと特使、NPO法人ふるさとテレビ顧問。
----------

(第一生命経済研究所経済調査部 首席エコノミスト 永濱 利廣)