愛する子どもを〈性被害〉から守るために、親子のコミュニケーションでやってはいけない「声かけ」【心理療法士が助言】
子を持つ親にとって、数ある心配事のなかでも、子どもの「性被害」に不安を抱く人は多いのではないでしょうか。子どもを性被害から守るために大切なのは、子ども自身が感じた「気持ち悪さ」を親に話せるかどうか、ということ。そのためには、幼少期から子どもが発するメッセージに目を向けることが必要です。英国の心理療法士、フィリッパ・ペリー氏による著書『子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本』(日経BP 日本経済新聞出版・刊、高山真由美氏・訳)より、詳しく解説します。
子どもの感情はコントロールせず、共感する
子どもの感情を受けいれるのが難しいのは、自分と感じ方が異なるときです。たとえば、あなたの7歳の子どもが深いため息をつきながらこう言ったとします。
「ねえ、なんでどこにも行かないの?」。
あなたは「何言ってるの、先週レゴランドに行ったばっかりじゃない!」とか「いつも出かけてるでしょ」などと返したくなるかもしれません。時間とお金をかけて子どもをテーマパークに連れていったのに感謝の1つもされず、怒りを覚えるかもしれません。
子どもの感情を否定すると、あなたが心から幸せを願う当の相手を遠ざけてしまうことになりかねません。
反応を変えるのは直感に反する行動かもしれませんが、自分の感じたことが自然に受けいれられるのは誰にとっても気分がいいもので、子どもも例外ではありません。子どもは感じたことを話しているだけなのです。はねつけるのではなく、子どもとつながりを築く機会、思っていることを話しあうチャンスとして利用しましょう。不満を否定しても、その不満は消えるわけではなく、より深い層に潜ってしまうだけです。
先ほどの例に戻ってみましょう。
子「ねえ、なんでどこにも行かないの?」
親「退屈しているみたいね」
子「うん、だって1日中家にいるんだもん」
親「本当にそうだね。じゃあ、どうしたいの?」
子「またレゴランドに行きたい」
親「あれは楽しかったねえ」
子「うん」
子どもはこの会話に満足して、言い争いにエスカレートすることはきっとないでしょう。子どもだって毎日レゴランドに行けるわけがないことくらいちゃんとわかっていますが、一緒にいたい、同じように感じてもらいたいと思っていることを、親に知ってほしいのです。
人生がいつも思いどおりになるわけではないという苦い教訓を学ぶにあたり、なだめてほしいのです。
これは誰にでも当てはまります。不快なことがあったとき、私たちは機嫌を取ってほしいわけではありません。対処するのではなく、共感してほしいのです。一人ぼっちでいやな気分に浸らなくて済むように、自分がどう感じているか、誰かに理解してもらいたいのです。
私の娘はもう成人ですが、先日、「運転免許の試験に落ちちゃって、ものすごく恥ずかしい」と言ってきました。子どもが嘆く姿を見たい人などいないので、機嫌を直してもらうために親が焦って間違いをおかすのはよくあることです。
「恥ずかしく思う必要なんてないのよ」
と言って、私は気を取り直してもらおうとしました。しかし娘はこう言いました。
「ちがう。ハグしてくれるだけでいいの」
失敗することは誰にでもあります。私もいまだにそうです。しかし親が感情をはねつけるのではなく、共感を示せば、子どもは自分が必要としているものを知り、それを求めることができるようになります。子どもが自分で自分の感情をあるがままに、真剣に受けとめられるようになるまで、手をこまねいている必要はありません。親が状況を読みとって、子どもの気持ちを代わりに言葉にしてみればいいのです。
しゃべれる年齢の子どもでも、大人ほど明確に感情を表現することはできないかもしれません。だからこそ、先ほどの例のように、子どもは「なんでどこにも行かないの?」と言うのです。「家に閉じこもってじっとしていられない、どうしたらいいかわからない」という現実をうまく言葉にできないからです。親が子どもを観察して感情を言葉にすれば―子どもに共感し、つながりを実感できる瞬間を持てれば―子どもも自分の気持ちを話しやすくなります。
子どもが「何でも話せる相手」になる
ごく幼い子どもはベッドの下にいる幽霊や怪物の話をすることがあります。そういうときは、話そのものにとらわれず、子どもの気持ちに注意を向けましょう。怪物がいるという子どもの考えを即座に切って捨てるのではなく、どんな感情が怪物の形をとって表れているのか、親が言葉にしてみましょう。
「あなたは怖がっているみたいね、もう少しその話をしてごらん」とか、「その怪物のお話をつくってみようか。怪物の名前は何?」とか。
こうすれば、あなたは問題の怪物を打ち負かすことができるかもしれません。自分の自然な流儀に合ったやり方をしましょう。大事なのは、くだらないとはねつけることなく、子どもが落ち着くまで一緒にいることです。ことによると、その怪物は寝かしつけのときのあなたの苛立ちを表しているのかもしれませんし、あるいは子どもがうまく説明できない何か別の複雑な問題を表しているのかもしれません。感情の出どころがたどれないからといって、その感情が現実のものでないとは言えません。やはり受けとめる必要があるのです。
「馬鹿なこと言わないで。怪物なんてつくりものだって知っているでしょう」などと言っても、子どもは自分がおかしいのだろうかと思うだけで、気持ちが落ち着くことはありません。大事なのは、コミュニケーションの回線を開いておくことです。あなたがくだらないと言ってはねつけると、子どもは「くだらない」ことを言わないように口を閉ざすだけでなく、大事なことまで言わなくなります。
「くだらないこと」と「くだらなくないこと」の違いは親にとっては明らかなので、子どもにとってもそうだろうと私たちは思い込んでしまいます。しかし何をどう感じるかは、本人にもどうしようもないことなのです。
あなたは子どもが話せる一番の相手になるべきなのです。もしあなたが、「おばあちゃんがおいしいスープをつくってくれたのに文句を言うなんて馬鹿ね」と言えば、子どもは変なピアノの先生が脚に手を置いてきたときもあなたに話せなくなるかもしれません。
親にとってはこの2つの違いははっきりしていますが、子どもにとってはどちらも「なんか気持ち悪い」の一言でくくれる物事なのです。その「気持ち悪い」物事をあなたが無意味なものとしてはねつけるなら、子どもは恥ずかしい思いをしてまで何かを打ち明けるのはもうやめようと思ってしまいます。
おばあちゃんのスープと子どもの脚に触るピアノ教師の違いは歴然としていると思うかもしれません。しかし子どもはまだあなたほど長くこの世界にいないのです。あなたと同じだけの人生経験がなく、性的な物事についてまだ理解していません。嫌いなものを食べるときには警戒しても、不適切な触れられ方をしたら警戒すべきであることはまだ知らないのです。
子どもにとってはどちらも感覚への攻撃です。「馬鹿馬鹿しい」と言えば、子どもからあなたへのコミュニケーションを封じこめることになります。それはとても危険なことです。
フィリッパ・ペリー
心理療法士