「家を建てても爆撃で壊される」「一日中肉体労働をしても800円しかもらえらない」若者の9割が欧州への渡航を夢見るガザの絶望的な現実
2023年10月7日の越境攻撃をきっかけに激化しているパレスチナ・イスラエルの衝突。この状況を理解するためには、2014年7月8日に始まったイスラエルによる大規模攻撃でガザに何が起きたかを知っておく必要がある。
パレスチナ人がガザで置かれている絶望的な現状を、『ハマスの実像』より一部を抜粋・再構成し解説する。
2015年のガザで見た「絶望」
2023年10月7日に始まったハマスによる大規模越境攻撃を考えるうえで、2014年7月8日から8月26日まで50日間に及んだ、イスラエル軍による空爆・地上戦がもたらした荒廃を指摘しないわけにはいかない。この戦闘で2251人のパレスチナ人が死んだ。
私は1年後の2015年8月下旬にガザに入り、現地を見た。自治区はイスラエルによる経済封鎖が続き、建設物資の搬入が制限されているため、空爆から1年たっても生活の基盤である住宅の再建はほとんど進んでいなかった。
最も大きな被害を受けたガザ市東部のシュジャーイヤ地区は、無残な廃墟が続いていた。全壊の家の再建が一部始まったものの、ほとんど手つかずだった。廃墟の中に張られたテントを訪ねると、無職のニダル・アライル(39)が4歳から11歳までの5人の子供と妻と住んでいるという。
テントがあった場所には3階建ての住宅ビル3棟が建ち、アライルの姉弟や従兄弟など53人が住んでいた。しかし、イスラエルの攻撃開始から10日後に地上部隊の侵攻が始まり、戦車の砲撃と空爆による爆弾投下によってアライル家は3棟とも全壊した。
「家を借りれば月に400ドルから500ドルする。そんな金はない」とアライルは言い切り、「住宅再建についてガザの国連事務所に登録したがいつになるか分からない」「家族で稼いで家を建てて、自分の城ができたと思ったら、それが一晩で消えてしまった。何も残っていない。絶望しかない」と語った。
ガザ市東南にあるカラーラ地区で農業を営むスレイマン・ハミス(40)は、2014年7月にイスラエル軍に家を破壊された後、月400ドルのアパートの部屋を借りて住んでいた。
しかし、2015年7月に借家を出て、自分の土地に、約35万円で買ったコンクリートブロックを積んで造ったバラックに住み始めた。「すべて、自分の金だ。借家は狭くて陽もささないし、風も通らず、息がつまりそうだった」とハミスは語った。
ムスリム同胞団出身のムルシ大統領を軍がクーデターで排除した後、軍主導のシーシ政権がハマスを敵視する政策をとり、物資搬入の経路となっているエジプトとの間の地下トンネルを破壊、閉鎖した。それにより復興のための建設資材が入らなくなった。
ガザは、まるで時間が止まったように出口のない「絶望」の下に置かれていた。イスラエルによるガザ攻撃は、2008年12月末から2009年1月中旬の後、2012年11月にもあり、2014年は3回目となる。
パレスチナ人権センター副代表のジャベル・ウィシャフは「数年ごとにイスラエルによる大規模攻撃があるために、ガザの人々は将来が全く不確実で予想できない状況に置かれ、人々をさらに絶望に追いやっている」と語った。
18~25歳の失業率は65%
UNRWAによると、2014年のイスラエルによる大規模攻撃の後、ガザの失業率は43%に跳ね上がった。なかでも18歳から25歳までの若者層の失業率は65%となっていた。
ガザで話を聞いた若者ムハンマド・ジャード(23)は、同年秋に大学を卒業したものの、仕事がない。「多くの会社を回ったが、特別のコネがなければ就職はできない」と語る。
1歳年上で2年前に大学を卒業した兄も失業中だ。ハマス政府は道路清掃などの失業対策を実施しているが、対象は既婚者に限られ、7時間働いて、1日25シェケル(約800円)。「交通費と昼食で、使い切ってしまう」とジャードは語る。
エジプトとの間の密輸トンネルが封鎖され、空爆でガザの多くの工場が破壊された。それが若者の失業率の異常な高さの原因となっていたのだが、さらにジャードが指摘したのは、パレスチナ自治政府の公務員募集が、2007年以降、停止していることだ。
自治政府への就職は、西岸でもガザでも大きな割合を占める。ガザだけでも8万人の自治政府職員がいるが、8年間もガザで公務員の募集がないのは、ガザを支配するハマスと、西岸を支配する自治政府との分裂に起因している。
2007年時点で職員だった6万6000人には、ハマスがガザを支配した後、自治政府が「ハマスの下では働く必要はない」と指示し、給料だけを支給している。前述のように、ハマスは自前で1万4000人の職員を補充し、その分については独自に給料を払っている。
自治政府はガザで新しい職員の募集はせず、ハマスも公募ではなく、自分の組織から職員を補充している。ガザがハマス支配になって、かつての職員6万6000人は働かないまま自治政府から給料が支払われ、新たに採用された職員1万4000人はハマス関係者で占められている。
パレスチナの政治的な対立が、若者たちの就職を狭める結果になっているのだ。
私が取材したもう1人の若者ムハンマド・ガザール(20)は専門学校を卒業した後、2年間、ほぼ失業状態だ。2014年に情報技術関係の会社で6か月間、交通費だけ支給されてトレーニングを受けたが採用されなかった。
6か月から時には1年間、無給で働くというのは、失業率が高いガザでは一般的だという。その後2か月間、知り合いの会社で朝8時から夜7時まで働いたが、給料は1か月600シェケル(約2万4000円)だった。この2年間で10社余りの会社を回ったが、結局、就職はできなかったという。
欧州への脱出を企てる若者
ガザの若者たちが考えていることは、欧州への密航だ。トルコからエーゲ海を渡ってギリシャに上陸し、陸路を北上してドイツを目指すか、エジプトやリビアから密航船でイタリアを目指すかである。
ガザで脱出の試みを繰り返している若者ナギ(23)と会った。ナギはガザ中部のハンユニス出身で、ガザ市内のカフェの給仕として朝10時から夜中の12時まで1日14時間働いている。日給は15シェケル(約600円)。「家に戻っていたら日給は飛んでしまうので、カフェで寝泊まりしている」と語る。
低い給料でも働いているのは、会社などで働こうとすれば、半年から1年間、「研修」と称して無給で働かねばならないためである。ナギは職業学校で裁縫を学び、18歳で修了した後、8か月、職探しをしたが見つからなかった。
イスラエルの封鎖前はガザに小規模の縫製工場が多くあり、ナギもイスラエルの衣料メーカーの下請けをしていた。しかし、封鎖によって縫製工場の多くが閉鎖された。
ナギはガザから脱出して、イスラエルに密航することを考えた。イスラエルには150万人のアラブ系市民(パレスチナ人)も住んでおり、潜り込んで働くこともできると考えたのだ。
ガザとの境界につくられている金網のフェンスを越えて、友人たち4人とイスラエルに行く計画を立てた。「私たちは2日間、境界での軍のパトロールを見張って記録し、その間隙を縫ってフェンスを越えることにした」と言う。
夜中にフェンスを乗り越え、イスラエル側に出たが、すぐ軍のヘリコプターに見つかってイスラエル警察署に連行され、不法入国などの罪で「懲役18か月」の判決を受けて服役した。
イスラエルの刑務所を出る時に、刑務所での労働の対価として2500ドルが支払われた。さらに、自治政府の政治犯問題省から500ドルの支援金を受け、計3000ドルの現金を手にした。
ナギは手に入った3000ドルを使って、ガザ南部のラファからエジプトに行く密輸トンネルを通り、アレクサンドリアから密航船に乗って欧州に行くことを考えた。ガザに戻ってすぐの2014年6月初め、密航斡旋人の手配で、ガザにいる友人とともに、ラファの密輸トンネルを通ってエジプトの港湾都市アレクサンドリアまで行った。
そこで120人ほどの密航希望者と合流して、言われた時間に港に行ったが密航斡旋人は来なかった。だまされたことが分かり、ガザに一文無しで戻ってきた。
ナギがガザに戻ってから、7月8日から8月26日までイスラエルによる50日間の攻撃と大規模な破壊があった。ナギは、今度はトルコから欧州に行くと話した。
親は止めないのか、と聞くと「父は建設業者だが、封鎖によって建設資材も入手できず、仕事はなくなった。私がガザを出ると言えば、父も一緒に行くと言うに決まっている。仕事も希望もなく、戦争がすべてを破壊した。ガザにいる9割の若者は脱出を考えている。ここで普通に暮らすことができれば、誰が出ることを考えるだろうか」と答えた。
3年以上にわたる、ナギのガザ脱出の試みは、ガザに住む若者たちの救いのない状況をそのまま映していた。
ハマスの実像
川上 泰徳
2024年8月9日発売
1,155円(税込)
新書判/288ページ
ISBN: 978-4-08-721326-3
2023年10月、ハマスがイスラエルに対し大規模な攻撃を仕掛け、世界は驚愕した。
しかし日本ではハマスについてほとんど知られておらず、単なるテロ組織と誤解している人も多い。
ガザの市民の多数が支持するこの組織は一体どんなものなのか。
何を主張し、何をしようとしているのか。
そしてパレスチナとイスラエルの今後はどうなるのか。
中東ジャーナリストの著者が豊富な取材から明らかにする。
●社会に根を張るハマスの「慈善組織」
●軍事部門を支える豊富な資金の意外な出所
●精神的指導者ヤシーンが著者に語った「自爆攻撃」
●政治部門と軍事部門が分かれている理由
●若者をハマスに向かわせる占領の絶望的状況
●ハマスが望むイスラエルとの「共存の形」 etc.