「無意識で母の貴金属を売った」長女の心を破壊したのは毒父だけではない…金のために離婚しない母の猛毒
(前編はこちら)
東北地方在住の大川奈々さん(仮名・29歳)は小さい頃から父親の怒鳴り声と母親の金切り声を聞いて育った。公務員の父親は「頭のおかしいヤバい奴」、母親は「ヒステリックでブランド好きの聞かん坊」。暴力と暴言が絶えない家の中に安らぎはなかった。
■離婚をしない母親
50代後半の父親がうつ病と診断され、中学生になった奈々さんにもうつ病のような症状が現れ始めると、母親は父親に自分の実家で暮らすように伝えた。だが、父親は月に2〜3回は奈々さんと母親が暮らす家に来た。普段、母親と奈々さんはあまり見ないが、父親はテレビがついていないと不機嫌になるため、仕方なく電源を入れた。
家にいる間「リモコンを取ってくれ」「飲み物を持って来い」など、父親は奈々さんを小間使いのように扱う。その度に「自分でやればいいのに」と思ったが、いつ感情を爆発させ、暴れるかもしれないと思うと怖くて逆らえなかった。おまけに、父親が来るとほぼ毎回夫婦喧嘩になるため、父親が家にいる時間は針のむしろだった。
「母が父を追い出したのは、『うつ病患者2人を1人でケアできない』と思ったのが一番でしょうけれど、私が父のせいで苦しんでいることに気づいていて、私と父を離すためだったとも思います」
最初はこう母親の自分への配慮に感謝を口にしていた奈々さんだったが、「夫婦仲が険悪で、娘が夫のせいで体調を崩しているのに、なぜお母さんは離婚をしないのでしょうか」という筆者の質問に対し、記憶を手繰り寄せるようにこう言った。
「母が12歳くらいの頃、母方の祖父母(母の両親)が離婚をして嫌な思いをしたそうです。だから、『あなたのために絶対に離婚はしない』と言っていました。また、『本当に離婚の話になった場合、おそらく親権はパパのものになる。あなたはそうなったら嫌でしょう? だから私は離婚しない』などとも言っていました」
我が子が体調を崩すほど苦しんでいるのを知りながら、いかに自分が我が子のことを配慮しているかを主張し、自分の経験や親権の話を持ち出してまで離婚をしない自分の正当性をアピールしようとする母親に、筆者は違和感を覚えた。それを伝えると、奈々さんは弾かれたように言った。
「母が離婚しない理由について、もう1つ思い出しました! 『パパにそっくりなあなたと2人で暮らしていくのが嫌だ。私一人であなたを育てられる自信がない』と、母に言われたことがあります。実際、小学生の頃に一度だけ、母と2人で旅行に行ったことがあるのですが、『パパといるみたいで嫌だ。一人にして』と言ってホテルに数時間放置され、とても困惑したことを思い出しました」
ローンを組むことを嫌った父親は、奈々さんが5歳の時、現金一括払いで中古の家を購入。それが現在、奈々さんと母親が住んでいる家だ。母親は、結婚するときにグランドピアノを1台持ってきたにもかかわらず、ピアノ教室を開くにあたり、2台目を購入している。グランドピアノを2台も置ける家とは、さぞかし大きな家なのだろう。
さらに母親は、いつ、どこで使うのかわからないが、ルイ・ヴィトンのバッグや毛皮のコート、高そうなパンプスを下駄箱に入りきれないほど所有していた。
ここまでの奈々さんの話から、母親が頑なに離婚をしない理由が見えてきた気がした。暴力的な夫を忌み嫌う一方で、その経済力に寄りかかる生活。そして、夫に似ている娘を1人で育てることは回避したい。だから、娘にとって夫は明らかに「毒父」で精神的なダメージを与える存在と知りながら、別れようとはしないのではないか。
■高校でのいじめ
体調不良が続き、第一志望の高校が不合格となってしまった奈々さんは、幼稚園、小学校、中学校と同じ系列の私立の高校に入学。
ところが入学早々、波乱の高校生活が始まった。
中3の時に奈々さんは、同じクラスの好きな男子に告白。すると男子からは、「鏡見たことある?」「その見た目で俺に告白とかウケる」と嘲笑された。そしてあろうことかその男子と、またもや同じクラスになってしまったのだ。
ひどい言葉で振られ、ショックを受けた奈々さんだったが、それでも好きな気持ちは簡単には消えず、ことあるごとにその男子を目で追ってしまう。その男子はそうした奈々さんの行動に気づいていたらしく、次第に仲間たちと共に、奈々さんをからかい始める。それはだんだんエスカレートし、奈々さんが登校すると机の上にゴミが置かれていたり、奈々さんの机だけ遠くの方にずらされているなどの嫌がらせをされるようになり、奈々さんの精神は少しずつ削られていった。
やがて奈々さんは、登校しても自分のクラスに行くことができず、保健室に行くのがやっとになってしまう。
「母は、私が不登校になることは許してくれなかったので、1年の2学期まではなんとか通いました。その間、母は転校先を必死で探し、同じ系列の全寮制の高校に編入することが決まりました。母は、私の学歴が中卒になってしまうことをとても恐れているように見えました。この点については、母に助けられたと思います。父は、私の体調が悪いことに対して、ただオロオロするだけでした」
だが、編入した全寮制の高校でも、奈々さんはいじめに遭った。その高校は、裕福な家庭の子どもが通うことで有名な高校だった。
「ある優しい先輩から、『あなたはいじめを受けている。かわいそうで見ていられない』と言われましたが、当時の私は自分がいじめに遭っているのかどうなのかわからないほど弱っていました……」
奈々さんは高2の夏休み中、精神科に入院した。
■「パパを殺そう」
高3になり、受験勉強が本格化すると、父親は「公務員になれ!」「小学校の教師になれ!」と言い出した。
そのため奈々さんは、教職課程がある大学を受験し、入学。しかし、通学に2時間以上もかかることから、1年半で退学し、半年間勉強して別の大学に入り直す。
そして23歳の頃、再び体調を崩して精神科に入院。きっかけは、無意識のうちに母親のものを勝手に売り払ってしまうためだった。奈々さんは、「統合失調症」と診断された。
「母が使っていない貴金属を総額7万円分ほど売り払い、チェキを買いました。他に、自分の部屋が狭く感じたので、壁を壊したり、母の財布から現金を抜き取ったりしました。入院させられるとき、『退院したら、パパの実家で暮らしてね』と母に言われました」
父親の実家は母屋と離れがあり、祖母は母屋、父親は離れで暮らしていた。奈々さんは母屋の2階で暮らし始めたが、当然、離れて暮らしていた頃より父親と会う機会は増え、案の定、父親の干渉が激しくなった。
「公務員になれ」「小学校の教師になれ」だけでなく、「アルバイトでは食べていけない」と泣きわめかれたり、着ている服や持ち物にまでケチをつけられたり、挙げ句の果てには彼氏にまで「公務員になれ」と口を出される。
父親の実家暮らしを始めてしばらく経ったある日、奈々さんは父親を殺そうと思い、ホームセンターで包丁を購入。
しかし、実行には移さなかった。当時の心境を振り返った奈々さんは言った。
「自分で殺した先にある未来と、ただ死ぬのを待つ未来を比べた結果、自分で殺すのはコスパが悪いと思ったんです」
「父が死んでからようやく、私の人生が始まる。それまで待とう」
小学校の教員になることは、母親が父親を説得したらしく、父親は諦めてくれた。
「『勉強というものは、精神が安定している人がするものであって、私のような精神的に不安定な人がやるものではない』ということを常々母に言っていたら、父を諦めさせてくれました。私はそもそも子どもが怖く、苦手なのに、無理やり教育実習まで経験させられ、とてもつらかったです。実習先の子どもたちは何も悪くないのに、こんな向いてない実習生が来てしまい、申し訳ないなと思いました」
■大川奈々さんの「家庭のタブー」
筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。
奈々さんの両親も「短絡的思考」の持ち主だった。父親は、自分の母親に「中国人だから」というだけで交際を反対され、言われるままに中国人女性と別れ、母親とお見合いし、相手をよく知らないうちに結婚。母親は、父親とお見合いするまでに少なくとも3回はお見合いをしていたにも関わらず、「公務員だから」「収入が安定しているから」という上辺だけの理由でさっさと結婚を決めてしまっている。
奈々さんが生まれるまで5年ほどあったため、その間に離婚する選択もできたはずだが、妊娠・出産。結果、奈々さんが物心つかないうちから面前で激しい夫婦喧嘩を繰り広げ、おそらく奈々さんの精神に何らかの影響を及ぼすに至っている。
さらに両親には、奈々さんが知る限り、親しい友だちがいなかった。父親は職場では猫を被っていたようだが、客や患者の立場になると、カスタマーハラスメントを働く常習犯。母親もカスハラこそしなかったが、悩みを相談できるような心許せる友だちがいなかった。
その上、父親も母親も、それぞれの親との関係が良好とは言えなかった。母親の父親(奈々さんの祖父)は職を転々とし、収入が安定せず、母親の母親(奈々さんの祖母)は看護師として家計を支えていた。だが気が強くヒステリックなところがあり、夫婦喧嘩が絶えず、母親が12歳頃に離婚している。
一方父親も、十分に両親から愛されて育ったと思えない生い立ちだった。貧しい農家に生まれた父親は現在70代だが、その時代にしては珍しく一人っ子。農作業で忙しい両親にはあまりかまわれることもなく、寂しい幼少期を過ごしたようだ。
現在、90代の自分の母親と実家暮らしているにもかかわらず、母屋と離れで別々に暮らしている様子から、貧しさが理由なだけではない親子関係のこじれが窺える。
父親も母親も、社会とのつながりが細く、ほとんど断絶していた。
父親は母親を罵倒し、母親は父親を軽蔑。奈々さんが小3〜4の頃にはすでに、「うちの父がヤバい奴だということは、周囲にバレてはいけない」という空気が家の中にあったという。その空気はおそらく母親が醸成したものに他ならないが、まさに「家庭のタブー」だ。そして奈々さんは、父親を殺したいくらい憎み、「父が死んでからようやく、私の人生が始まる」と考えている。それは「羞恥心」をゆうに超えた「憎悪」ではないか。
■「毒父だけ」「毒母だけ」はあり得ない
現在奈々さんは、アルバイトをしながら、母親と2人で暮らしている。
「母屋と離れとはいえ、父と同じ敷地内に暮らすことに限界を感じた私は、元の家に住まわせてほしいと母に懇願しました。すると、ラストチャンスとして、月4万円を入れること。母親の持ち物やお金を盗らないこと。家を壊さないこと。というルールを守る約束で戻ることができました。23歳の時に父を殺害しようと考えたのは、父の近くで暮らしていたことによるストレスが大きな原因だったのではないかと思います」
奈々さんは、25歳の時に精神科医の勧めで障害年金2級を取得。父親との絶縁を切望し、自分で調べて、すでに父親と戸籍を分ける「分籍届」は提出済みだ。
「私の知る限り、法的に親と子が絶縁する方法は、現時点では日本にはなかったと思います。私自身、スマホの使用料や家の電気代など、今も経済的に父に支えてもらっている部分があるため、経済的自立ができない限り、私が父から離れることは難しいのではないかと思っています。仮に居場所を知らせずに逃げることができたとしても、少なくとも捜索願は出されると予想し、父のことは暴れるたびに警察に相談しているので、警察から私の居場所がバレることは無いようにお願いしてあります。住民票の閲覧制限をかけることも予定しています。父はどんな手を使ってくるか分からないので、逃げる前にできることは全てやりたいと思い、少しずつ準備をしているところです」
筆者は奈々さんへの取材を終えて、大川家の問題は、父親だけではないと考えている。
奈々さんが保健室登校になった時、奈々さんが中卒になってしまうことを母親がひどく心配していたというが、本当に娘のことを思う母親が、精神的に不安定になっている娘を、半ば強引に全寮制の高校に入れるだろか。その行為は娘に寄り添った行為というよりも、世間体を気にした自分の気持ちを優先したものではなかったか。
奈々さんが母親のものを勝手に売ったり、家の壁を壊したりして精神病院に入院した時、母親は大学院に入り、かねてからやりたかった音楽の研究に没頭していたというが、精神病院を退院した時、いくら自分のものを盗られたり、家を壊されたりしたとしても、娘が精神病院を退院した時、娘が精神的に不安定になった一因を担い、娘が最も嫌っている父親のそばに住まわせるという選択を母親がとるだろうか……。
わが子を愛している母親ならば、娘がものを盗ったり家を壊したりしたのが病気のせいならばなおさら、元凶とも言える父親のそばには行かせない。むしろ、父親に娘との接触を禁止しても良いくらいだろうし、夫婦仲も険悪なのだから、離婚してもおかしくないはずだ。
母親は、父親と娘を追い出した後、自分は大学院に入ったり、通信教材で保育士の資格を取るなど、一人気ままにやりたいことを満喫している。極め付けは、大学院で研究し、まとめ上げた音楽に関する論文を、自費出版しているということだ。
そこまで自己顕示欲が強いエピソードを聞いてしまうと、母親は「父親の経済力を利用するために離婚しない」のではないかと思えてならない。そして実の娘よりも、自分の夢や目標を優先する、自己中心的な人物像が浮かび上がってくる。
筆者はこれまで100事例近くの毒親育ちの人に会ってきたが、両親のうち、どちらか一方だけ毒親だということはあり得ないと考えている。
奈々さんは、
「取材をきっかけに過去を振り返り、母も母でヤバい人なのは少しずつ分かってきましたが、『父でさえ被害者かも?』と言われたのは初めてです。目からウロコというか、その発想はありませんでした」
と面食らっていた。
もちろん、両親のどちらが悪いかを決める必要はない。だが確実に言えることは、「なるべく早く両親から距離を置いたほうがいい」ということだ。
父親を殺しても、母親を殺しても、おそらく殺す前と何ら変わらずに、心は囚われ続けてしまうだろう。
囚われ続けてしまう心を正常な状態に戻すには、まずは両親から物理的に距離を置くこと。会わない、話さない、接しないようにしないと、新しい毒を受け続けてしまうからだ。関わらない時間を設けることで、知らずに受けていた洗脳が解けていく。
毒親育ちの人の多くは、過去の出来事の多くを、「自分のせい」だと認識している。だが洗脳が解けていくに従い、自らの過去を振り返った時、自分をフラットに評価できるようになるはずだ。
一度きりの人生、毒親に囚われている時間がもったいない。なるべく早く両親から離れ、自分の人生を取り戻してほしい。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)