中川安奈アナ(本人のInstagramより)

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 日本選手の活躍がめざましいパリ五輪で、NHKの中川安奈アナウンサー(30)の服装が物議を醸した。現地レポートの際、白いジャケットのインナーに着ていたベージュのトップスが、肌と同化しているように見えた、とSNSで話題になったのだ。ライターの冨士海ネコ氏は、この騒動に「理想の女子アナ像」の世代差を見たという。

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【写真12枚】中川安奈アナの「何も着てない」疑惑の一枚 Instagramには“体のラインくっきり”な「ぴたぴたニット姿」が大量に投稿されていた

 女の敵は女、という言葉はあまり好きではないけれど、民放女子アナを敵に回したであろうNHK中川安奈アナ。衣装ひとつで話題をかっさらってしまい、パリオリンピックが終わった後、彼女以外に誰がキャスターを務めていたか、覚えている視聴者はほとんどいないのではないか。

中川安奈アナ(本人のInstagramより)

 中川アナの映像を改めて見てみたが、服を着ていないようには見えない。ゴールドのラメが入ったトップスだ。今どき、職場や日常生活で、この程度のファッションに目くじらを立てていたら「老害」認定されてもおかしくはない。

 ではなぜここまで騒がれるかというと、従来の五輪に派遣されてきた女子アナとは真逆の自己主張を感じ取った人がそれだけ多かったということではないだろうか。

 各局の民放女子アナの服装と比べてみると分かる。ほとんどが襟のついたブラウスまたはジャケットを着用し、顔映りのよい白いインナーや薄いブルーを選んだ女子アナが多い。清潔感を第一に、スポーツの祭典に合わせた明るい雰囲気のスタイルを意識していることがうかがえた。そこにあるのは、「脇役だとわきまえています」という主張である。ただでさえ女子アナは、目立ちたがりだとたたかれがち。服装で自己主張するなんてもってのほか、という世論をふまえた「守り」の姿勢が感じられる。

 しかし中川アナの服装は、徹底した「攻め」だ。ジャケットもインナーも襟はなし。トップスにラメの入ったゴールドを選んだのは、「日本勢の金メダル獲得という験を担いで」という強いメッセージ性を放っている。その服を選んだ理由を話してインタビューに臨めば、アスリートも五輪関係者も悪い気はしないだろう。

 視聴者に嫌われないことを意識した民放アナの服装と、現地の関係者たちに好かれることを意識した服装の中川アナ。五輪を機にフリー転身をささやかれている中川アナだが、確かにインパクトは十分に残した。ただ、これまでのNHKからフリーになった女子アナセオリーから見てみると、逆風が吹く気配も否めない。

課題は女性層の支持? 中川アナとは真逆の、有働アナと神田アナの共通点

 民放よりも「お堅さ」が売りのNHKアナは、フリーで成功するには「NHKらしくなさ」と、「女性ウケ」が欠かせない。元NHK出身で活躍する有働由美子アナや神田愛花アナが成功したのは、その二つを徹底してアピールしたからだろう。

 有働アナは脇汗エピソードを筆頭に、とにかく「自虐」の人だ。おばさん自虐に独身自虐……あけすけギリギリの「飾らなさ」を武器に、女性層の人気をつかんだ。

 また神田アナは「おバカ」アピールで成功。うるさいと嫌われていた時期もあったが、近年では芸人顔負けのお笑いセンスで株は急上昇している。夫はバナナマン・日村勇紀さんだが、おしゃれな女性誌でセレブ生活を披露、というありがちな流れには乗らず、親しみのある女子アナイメージを保ち続けているのも強い。

 翻って、「NHKらしくない」華やかなスタイルと積極性を持つ中川アナだが、それが女性視聴者ウケする要素かというと首をかしげざるを得ない。開会式での服装に限らず、襟ぐりの開いたタイトな衣装がたびたび話題になるが、そこにも「私の着たい服を着る」という一貫したポリシーが感じられる。体のラインが出る服の方がスタイル良く見えると判断しただけなのだろうが、要らぬ自己主張を読み取る人も多いだろう。「男にこびている」「スタイル自慢」……。「自虐」や「おバカ」アピールが良いとも思わないが、「なんか鼻につく感じ」という印象を覆すのは難しい。

 かといって美容キャラや男性ウケに振り切るのも不利だ。男性ウケする体形と愛嬌を武器にするのは、むしろ民放出身アナの本領。田中みな実さんや鷲見玲奈さん、森香澄さんなど競争相手は多い。パリ五輪に派遣されたフジテレビの佐久間みなみアナも、5月に写真集を出している。おそらく中川アナにもグラビアの打診が来ているだろうが、田中さん以上の衝撃度がないと話題性を獲得できないだろう。

他人が主役の場での事故表現は悪なのか? 騒動に見る「理想の女子アナ像」の世代差

 というかそもそも、中川アナは女子アナに向いていない人なのだと思う。アナウンサーの本分は「声で伝える」ことであって、そもそも「目に訴える」仕事ではないという建前を、平気な顔で崩してしまった。

 後輩の結婚式で露出度が高いドレスを着たフジテレビ阿部知代元アナ。安倍元首相の葬儀でシースルー素材の喪服を着た三浦瑠麗先生。他人の冠婚葬祭や大きなイベントで、抑えきれぬ高揚感を服装で表現してたたかれる女性は中川アナに限らず多い。有働アナでさえ、紅白歌合戦の司会で背中が開いたドレスを着た時は、徳光和夫さんに「歌手のことを考えていない人だと思った」とチクリとやられていた。そこにあるのは、脇役という自覚のなさであり、自分が主役という承認欲求の強さである。

 でも、承認欲求が強くて何が悪いの? 仕事の場で自己表現って当然じゃない? モテたいんじゃなくて自分の着たい服を着たいだけ。中川アナが全身で発する自己主張は、実に今の若者っぽい。だから、「女性ウケとか男性ウケとかじゃなくて、わたしと同世代のロールモデルになれればそれでいい」と言われたら、ぐうの音も出ないのは確かだ。中川アナの衣装騒動は、「理想の女子アナ」像の世代差が根本の理由なのかもしれない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部