天皇、皇后両陛下の鉄道利用といえば、「お召列車」を思い浮かべる方もいることだろう。上皇陛下は、独身時代を含め、何度か夜行列車を利用されたことがある。皇室における夜行列車の利用は、1947(昭和22)年が最初であった。では、どなたが利用したのか、どのような車両に乗られたのか。皇室の寝台列車史をひも解くことにしたい。

天皇、皇后両陛下の鉄道利用といえば、「お召列車」を思い浮かべる方もいることだろう。上皇陛下は、独身時代を含め、何度か夜行列車を利用されたことがある。皇室における夜行列車の利用は、1947(昭和22)年が最初であった。では、どなたが利用したのか、どのような車両に乗られたのか。皇室の寝台列車史をひも解くことにしたい。

※トップ画像は、かつてJR(旧国鉄)で活躍した”走るホテル”と称された20系寝台客車=2005(平成17)年9月9日、JR東日本鎌倉総合車両センター(神奈川県鎌倉市梶原)

「全国ご巡幸」で夜行列車

先の大戦が終結すると、昭和天皇みずからの発案により全国各地を訪問することになった。いわゆる「全国ご巡幸」である。1947(昭和22)年11月26日から鳥取、島根、山口、広島、岡山の5県を訪れた昭和天皇は、その帰京の際にお召列車を夜行列車として利用された。12月11日に岡山県美作市(みまさかし)にある林野(はやしの)駅を15時42分に出発したお召列車は、そのまま夜通しで走り続け、翌朝の6時57分に東京駅に到着した。

昭和天皇は、天皇の乗る車両である御料車(ごりょうしゃ)の御休憩室に備わるソファで休まれたという。

昭和天皇がお休みになった御料車の御休憩室に備わるソファ(旧御料車第1号)=写真/筆者所蔵(国鉄OBより譲受)

専用車両を連結して

上皇陛下が、独身時代に鉄道を利用するときには、いわゆる御料車ではなく、一般の客車を改造した「専用車」を使用していた。学習院中等科3年生だった1948(昭和23)年には、社会科見学の一環として和歌山県などを訪れ、このとき、東京駅から大阪駅まで一般の夜行急行列車に専用車を連結して、はじめて列車の中で一夜を明かした。

この専用車は、今でいうグリーン車と普通車が半々になっている車両で、そのグリーン車の座席の一部を撤去し、8名分の寝台用2段ベッドを設置した改造車両だった。上皇陛下は、このころより御料車の使用といった特別待遇を避ける傾向にあったといわれ、のちには一般車両に属する展望車を利用することもあった。

展望車を利用して新宿駅に降り立つ上皇陛下(当時は皇太子殿下)=1957(昭和32)年7月22日、東京都新宿区、写真/星山一男コレクション(筆者所蔵)

走るホテルと称賛されたブルートレイン

皇太子殿下時代の上皇陛下は、ご結婚後の1960(昭和35)年8月にご公務で広島県と岡山県を訪れた。その往復には飛行機ではなく、寝台特急の「ブルートレイン」を利用した。この寝台特急は、20系と呼ばれた当時としては最新鋭の寝台車両客車で、その車内設備の豪華さなどから”走るホテル”と称賛された。

往路の8月5日は、東京駅18時30分発の寝台特急「あさかぜ」号に乗車し、復路は8月8日の岡山駅午前0時18分発の寝台特急「あさかぜ」に乗車され、往復とも一等個室寝台客車の一人用個室「ルーメット」をご利用になった。この車両は1両の定員が18名と少なく、3両しか作られなかった希少な車両だった。このときの利用では、編成に食堂車も連結していたが、食事をとられたという話は聞かれなかった。

当時、このことは新聞記事にもなったが、活字で伝えるのみで、乗車中のお姿を写した写真は掲載されなかった。

丸みを帯びた特徴的なデザインの20系寝台客車。上皇陛下が利用した車両はこの先頭車両ではなく、定員18名のナロネ20形と呼ばれる3両しかない希少な一等個室(一人用と二人用)を備えた寝台客車だった=2005(平成17)年9月9日、JR東日本鎌倉総合車両センター(神奈川県鎌倉市梶原)
東京駅を発着するブルートレインと呼ばれた寝台特急も、廃止から15年が経過した=2009(平成21)年3月13日、東京駅(東京都千代田区)

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。