皇居の通用門「乾門」はいつできたのか 皇室の方々を間近でお出迎えできるスポット
皇居の外周には9つの門があり、正門(二重橋)から時計回りに桜田門(さくらだもん)、半蔵門(はんぞうもん)、乾門(いぬいもん)、北桔橋門(きたはねばしもん)、平川門(ひらかわもん)、大手門(おおてもん)、桔梗門(ききょうもん)、坂下門(さかしたもん)となる。それぞれの門には役割があるとされ、ここで紹介する「乾門」は“皇居の通用門”とも呼ばれ、さまざまなクルマやトラックが出入りする。では、江戸城の時代にも乾門は存在していたのか、いつからあるのか。その歴史を追ってみたいと思う。
※トップ画像は、乾門から皇居内へ出入りする郵便のトラック=2006(平成18)年9月5日、東京都千代田区千代田
江戸時代には92の門があった
江戸城の門は、大門(だいもん)が6、城中諸門(じょうちゅうしょもん)は60、内外曲輪門(ないがいくるわもん)が26の合計92の門があったといわれる。今も残される江戸城の門のうち、桜田門(皇居外苑)、清水門(しみずもん=北の丸公園)、田安門(たやすもん=北の丸公園)は、いずれも宮内庁の所管外であり、国の重要文化財に指定されている。ちなみに、江戸城の正門はというと「大手門」だった。
江戸城の時代には存在せず
実のところ、江戸城の時代には乾門は存在していなかった。当時、乾門の場所には、徳川の将軍様が「天下祭」と呼ばれた山王社(さんのうしゃ=現在の日枝神社)と神田明神の祭礼行列などを見物するための「上覧所(じょうらんしょ)」と呼ばれる建物があったとされる。では、この地に乾門が開設された時期はいつかというと、1888(明治21)年のことで、旧江戸城の西の丸地区(現在の宮殿が建つあたり)にあった「紅葉山下門(もみじやましたもん)」を移築して造られた。門が造られた理由の一つには、明治宮殿(戦前まで存在した宮殿)の建設用資材を運び入れるためといわれる。
通用門としての役割
宮内庁の最寄りの門といえば坂下門であるが、物資を届ける配送業者や、郵便のトラックなどが出入りする際には、乾門が指定される。これが「通用門」といわれる由縁である。門前には、首都高速道路の代官町ランプがあり、高速道路を利用する天皇ご一家や、皇居を訪れる皇族宮家のクルマもこの門から出入りする。
また、乾門は知る人ぞ知る皇室の方々を間近でお出迎えできるスポットでもあり、その通行が見込まれる日には多くの皇室ファンが集まる。
不審者の侵入を防ぐ
皇居の門のうち、一般道からのアプローチが容易な門は乾門であり、以前には不審者や不審車両の突入などを不安視する声もあった。2008(平成20)年3月には、強行突入を防ぐことを目的として、門の正面に「生け垣」が設置された。
ここを通過する車列は、この生け垣を避けるように徐行するため、皇室ファンからは「クルマが目の前をゆっくり通過するので、1秒でも長くお姿を拝見できる」と、喜ぶ声も聞かれる。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。