子育てを卒業したプレシニア向けの就労・移住体験として実施されている「おとなの保育園留学」(写真:キッチハイク提供)

「人生100年時代」と言われるいま、子育てや仕事が一区切りついたあと、地方への移住や新たな生きがいを模索する人もいる。そのようななか、保育園留学を手掛けるキッチハイク社は、“子育て卒業世代”を対象に「おとなの保育園留学」を2月から始めた。

保育士や介護士・看護師、子育て支援員などの資格がある方を歓迎しているが、子育て経験があれば資格の有無は問わない。参加者は留学先の園で、スキルに応じたお手伝いをする。

参加者は参加費や交通費、食費を自分で負担し、基本的には無償で就労するが、地方ならではの自然を生かした保育手法を学んだり、通常の移住体験以上の関わりを地域で持てたりするのがメリットだという。

本格導入を前に先行留学した体験者や受け入れ先の保育園、そしてまちに取材した。

見知らぬ土地で働き・暮らして得た「気づき」

「おとなの保育園留学に参加して、自分を見つめ直すことができた」と話すのは、この冬、岐阜県美濃市に留学した藤原寛子さんだ。藤原さんは、子育てが落ち着いたタイミングで保育士資格を取得し、4年前から都内で保育士として働いてきた。

本取り組みにおける就労体験は、基本的には無給。にもかかわらず、滞在費や交通費などを支払ってまで、なぜ留学しようと考えたのだろうか。

「ワーケーションなど、コロナ禍で生まれた多様な生き方を目の当たりにして、このまま家族の世話をする生き方だけを続けていくのか悶々としていた。そんなときに本取り組みを知り、最初は好奇心の赴くまま留学を決めた」(藤原さん)

受け入れ先の美濃保育園では、美濃和紙を使った表現活動や、地元の木材を用いた木育の考え方に触れ、保育に関する新たな知見を得られた。そして何より、2週間家族と離れて見知らぬ土地で暮らしたことで、「思いもよらない気づきがあった」(藤原さん)という。

きっかけは留学の終盤、藤原さんの声が出なくなってしまったことだった。「体調管理がなっていない」と自分を責めた藤原さんだったが、園で事情を話すと「そのままいてくれたらいいよ」と副園長から声をかけられた。


受け入れ先の保育園で職員らと雑談(写真:キッチハイク提供)

「声が出なくて迷惑をかけてしまうかもしれないのに、ありのままの私を受け入れてもらえたと感じた。すると不思議と自分を許すことができて、『その日の自分にできることを、全力でやればいいんだ』と思えた」(藤原さん)

この経験から、藤原さんは「元気だからいい、声が出ないからダメなどと、今まで知らず知らずのうちに自分や家族を評価して、ダメ出ししていたことに気づいた」という。

「今後は、自分や周りの人のありのままを受け入れようと思えた。この気づきは、はじめての土地で2週間、一人暮らししたからこそ得られたもの。観光だと気持ちが外に向いてしまうから、ここまでじっくり自分の内面を見つめ直せなかったと思う」(藤原さん)

「観光では気づけないよさ」を体感

留学を経て、「まだまだ知らないことがたくさんある」と感じた藤原さんは、「今後もいろいろなことに挑戦しながら、キャリアの幅を広げたい」と話す。


その土地ならではの保育に触れる(写真:キッチハイク提供)

一方、「突然やってきた人に何ができるのか懸念はあったが、子どもたちが多様な大人と触れあうよい機会になると考えた」と話すのは、藤原さんの受け入れ先である美濃保育園の雲山晃成園長だ。

美濃保育園では保育の質を高めるべく、普段から保育士が活発に意見交換したり、外部の教育研究者の意見も積極的に取り入れたりしている。

そのため今回、おとなの保育園留学で、豊かな人生経験を積んだプレシニアを受け入れることについても「保育士にとって、新たな知見を得る機会になるはず」(雲山園長)と考えた。

実際には「2週間程度では園の良さを知ってもらうだけで精一杯」だったが、「それでも、いろいろなバックグラウンドがあるほうが加わった方が、保育の幅が広がって面白い。今後もさまざまな方に来ていただければ」と話した。


地元の人たちとの触れ合いも(写真:キッチハイク提供)

藤原さんが滞在したゲストハウスを運営している、みのシェアリングの橋元麻美WASITA MINOコミュニティマネージャーは、「おとなの保育園留学でやってきた人を見かけると、美濃の人たちもうれしそうだ」と話す。

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「うだつの上がる町並み」や美しい川、そして飲食店やスーパー、勤務地となる保育園のすべてが、留学生が宿泊するゲストハウスから徒歩圏内にある。


旅行で訪れるだけではわからない、地域の良さにも触れられる(写真:キッチハイク提供)

また、以前から保育園留学の取り組みがまち全体で認知されているため、地元の人から「留学で来たの?」などと声かけをしてくれる環境がある。

「美濃はコンパクトなまちで、人と人の距離も近くてあたたかい。観光などの短期滞在よりも、中長期滞在の方が美濃の良さを感じてもらえると思うので、まちを好きになっていただくのによい取り組みだと考えている」(橋元さん)

まちへの波及効果にも期待

今後、「おとなの保育園留学」の受け入れ開始を予定している北海道の上士幌町は、東京23区ほどの面積に、人口5000人あまりが住むまちだ。

昨年からは、都市部の家族が地方に短期移住し、現地の保育園に子どもを預けながらワーケーションができる「保育園留学」も受け入れながら、まちの関係人口を増やすためにさまざまな仕掛け作りをしてきた。

一方、別の移住体験でやってくるシニア層にヒアリングを重ねると、豊かな自然のなかでのんびり過ごすだけでなく、地域貢献活動や短期の仕事があれば挑戦したいと考える人が多いことがわかった。

「こども園の人材不足と、移住体験にやってくるシニア層のニーズを掛け合わせると、保育園で就労体験しながら移住も体験できる本取り組みは、上士幌にぴったりだと考えた」(上士幌町役場デジタル推進課梶達課長)。

「おとなの保育園留学」でやってきた人に期間中、さらに滞在を楽しんでもらおうと、上士幌町では「まちのサークル活動など、インターネットで調べても出てこないような情報を案内する『現地コーディネーター』を雇用する予定」(梶課長)だという。

サークル活動などで現地の友人ができれば、友人に会いに上士幌を再訪したくなるだろう。もしかしたら、移住のハードルも下がるかもしれない。「酪農家とのつながりや体験機会の創出など、新しいビジネスにもつなげていきたい。保育園留学の取り組みには、まちへの波及効果がある」(梶課長)。

おとなの保育園留学で第2のキャリアを

本取り組みは「留学」と名付けられているように、就労体験や地域貢献で対価を得ることが目的ではない。あくまで留学生が学びや気づきを得る機会だという点は、誤解のないよう強調しておきたい。


地元の新鮮な農産物が豊富に手に入るため、自炊しながら滞在するのも楽しいという(写真:キッチハイク提供)

それでも、子育てを終え、仕事をリタイアしたプレシニアにとって、見知らぬ土地で、新たな知見を得ながら自分を見つめ、次のキャリアをじっくり考える機会にはなるだろう。保育園での就労と移住体験、という取り組みが定着するよう、さらなる地方自治体のサポートも期待したい。


子どもたちと触れ合う時間(写真:キッチハイク提供)

(笠井 ゆかり : フリーライター)