篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(6)

松本匡史 中編

(前編:松本匡史との決まりごと 長嶋茂雄監督の強い意向に「大変そうだった」>>)

 篠塚和典が「1980年代の巨人ベストナイン」で1番・レフトに選んだ松本匡史氏。そのエピソードを振り返る中編では、1番バッターとしてのタイプや、セ・リーグのシーズン最多盗塁記録(76盗塁)を保持する走塁の特長、1987年に神宮球場で行なわれたヤクルト戦で起きた珍しいプレーなどを振り返ってもらった。


セ・リーグのシーズン最多盗塁記録を持つ松本 photo by Sankei Visual

【篠塚は松本と「気が合っていた」】

――同じ1番バッターでも、積極的に打っていったりボールをよく見たり、いろいろなタイプがいると思います。松本さんはいかがでしたか?

篠塚和典(以下:篠塚) 点差が大きく開いた試合など、展開によって積極的に打っていくこともありましたが、基本的にはじっくりボールを見ていくタイプだったと思います。最初からガンガン打っていくというよりも、フォアボールを含めて「どんな形でもいいから出塁しよう」という感じに見えました。

――バッティングの調子が悪い時もあったと思いますが、ベンチでの様子はいかがでしたか?

篠塚 感情を表に出すようなことはなかったですね。周囲に発散するのではなく、けっこうため込んでしまうタイプだと思います。「自分でなんとか解決しよう」と。そういう意味では、僕と似ているんじゃないかな。

 技術うんぬんは自分自身の問題ですから。監督や打撃コーチからのアドバイスなどで好転することもあると思いますが、僕の場合はアドバイスを求めることはあまりなかったです。おそらく松本さんも、同じような感じだったと思います。

 それよりも僕は、特打をやるなどして調子がいい時の感触を取り戻そうとしたり、バッティング練習をいったんやめて守備の練習に重点を置いたりして、自分で解決していこうとしていましたね。

――似ている部分があったとのことですが、松本さんとは気が合いましたか?

篠塚 気は合っていたと思います。松本さんも僕も、あまりガンガン話すタイプではないですし、ふたりで話している時のトーンが似ていたので心地よかったです。やっぱり相性みたいなものがあるんでしょうね。

【とにかく速かったスライディング】

――当時は松本さん以外にも、高橋慶彦さん(元広島など)や屋鋪要さん(元大洋)など足が速いリードオフマンがセ・リーグにたくさんいました。それぞれに特長があったと思いますが、松本さんはいかがでしたか?

篠塚 選手によって、ピッチャーのクセを盗むのが得意だったり、スタートを切るのがうまかったりしますが、松本さんはスライディングのスピードがとにかく速かった。「アウトかな」というタイミングでも、スライディングに勢いがあるので足が早くベースにつくんです。あとは、スライディングをした時に泥がベルトにつかないように、上下がつながった特注のユニフォームを着ていましたね。

 僕は打順では松本さんの後ろ、2番、もしくは3番を打つことが多かったので、松本さんが盗塁を試みる場面をバッターボックスからよく見ていました。「これは間に合わないな」と思っても、先に足が"入っていく"感じ。その光景は何度も見ましたし、目に焼きついていますよ。

――セカンドベースに向かってどんどん加速していく感じですか?

篠塚 そうですね。あまり足が速くない選手がスライディングをする時は、セカンドベースの手前くらいでスピードが緩むものなのですが、松本さんみたいに足がある選手はセカンドベースに近づいていくにつれて加速していく。セカンドベースを通り越してしまいそうな勢いがありました。

 慶彦さんや屋鋪、正田耕三(広島)などもそうでしたが、足のある選手はスピードが緩まないんです。ただ、スタートの切り方はおそらくみんな違うはず。リードの大きさや最初のスタンスの幅、一歩目の幅などもそれぞれに違うでしょう。とにかく松本さんに関しては、スライディングが速かったという印象が強いです。

――松永浩美さん(元阪急など)が、福本豊さんの走り方について「アイスバーンの上を滑っているような感じ」と表現されていたのですが、松本さんの走り方を表現するとすれば?

篠塚 松本さんは歩幅が大きいんです。なので、「水の上をポンッ、ポンッ、ポンッと走っていく」ような感じです。それだけ地面を蹴る力が強いんでしょうね。それと、走っているときの体勢が低い。慶彦さんもそうでしたが、前傾姿勢を維持したまま走っていました。

【神宮球場で起きた「本塁打アシスト」】

――松本さんはダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を3度受賞されていますが、外野の守備はいかがでしたか?

篠塚 足が速くて守備範囲が広いので、センターでもレフトでも、ある程度の打球には追いついていました。ただ、肩はそれほど強くありませんでしたね。それと、ボールを捕るときのハンドリングをあまり得意としていなかったので、多少の不安はありました。

――松本さんは入団当初は内野手で、3年目に外野手にコンバートされました。その影響は感じましたか?

篠塚 内野手と外野手ではフライの捕り方に違いがあるので、フライを捕る時に少し不安があったような気もします。内野手は高いフライを"待って捕る"ことが多く、フライを"追いかけて捕る"ことがあまりない。それが外野手の場合は、長い距離を走ってフライを捕るケースが増えますよね。外野にきたゴロを走りながら捕ることは、内野手の経験があれば全然問題ないと思いますが、フライは質が違いますから。

 フライといえば、神宮球場でのヤクルト戦(1987年6月2日)で、レフトを守っていた松本さんがボブ・ホーナー(メジャーのストライキの影響もあって来日した、現役バリバリのメジャーリーガー)のフライを捕ろうとした時に、グラブで弾いてスタンドに入れちゃったことがありましたね(記録上はホームラン)。

――ホーナー選手の打球は打った瞬間は打ち損じのレフトフライという感じでしたが、徐々に伸びていきましたね。

篠塚 そうですね。松本さんはジャンプして捕ろうとしたのですが、グラブの先っぽのほうに当たってスタンドにトスしてしまう形になった。非常に珍しいプレーだったので、印象に残っています。

(後編:1番・松本匡史がいたからバッターボックスで「楽しめた」こと>>)

【プロフィール】

篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年〜2003年、2006年〜2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。