日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ
「日銀の金融政策も円安が進んだ大きな要因」と世間は見ているが、日銀は為替についてどう考えているのだろうか(写真:ブルームバーグ)
日本銀行は、「金融政策は為替を対象としていない」と繰り返している。これだけ円安に国民や政治家が悲鳴を上げても、その説明はまったく変わらない。しかし、これは本当に本音なのか、それとも建前なのか?
エコノミストやメディアの人々のほとんどは、これは日銀の建前だと思っている。だから、円安が進むと、日銀の利上げが早まるかもしれない、という日銀ウォッチャーやエコノミストのコメントがメディアにあふれ出す。
「為替は金融政策の対象でない」は日銀の「信念」?
しかし、私は、これは日銀の本音であると思っている。それどころか、信念であり、絶対に譲れない、譲ってはいけないと信じているのではないか、と推測している。そして、それが現代の中央銀行の問題であり、とりわけ日銀にとっては致命的なものになりうると考えている。
なぜか。説明しよう。
まず「為替は金融政策の対象でない」という考え方は、成熟国における現代の中央銀行の役割としては教科書的なものだ。
実際、植田和男日銀総裁もそう繰り返し述べる。例えば、2024年3月27日の衆議院財務金融委員会で、植田総裁は、「金融政策は為替相場を直接コントロールの対象としていない」「為替政策は財務省の所管と理解している」と答え、そして、為替は「経済、物価に重要な影響を及ぼすひとつの要因」と述べた。これは、まさに現在の日銀の模範的な回答だ。
つまり、金融政策の目的は、経済、物価であり、為替はその経済と物価に影響を及ぼすから、アメリカの経済が日本経済に影響を与えるのと同様に、重要な要因だが、金融政策の決定においてはあくまで外部的な環境要因として扱うということである。
実は、この議論の構造は、金融政策の対象である経済と物価の関係に似ている。よく知られているように、FED(アメリカ中央銀行)には、物価の安定と雇用の最大化という2つの使命(デュアルマンデート)がある。
日銀にとっての金融政策は「物価一辺倒」
一方の日本は「物価の安定を通じて経済の健全な発展に資する」という建て付けになっている。となると、日銀にとって、金融政策は、景気の微調整ではなく、あくまで物価、一義的には物価一辺倒になる。
そうなると、金融政策における経済の位置づけは難しくなる。なぜなら、21世紀に入ってから、コロナショックで物価が急上昇するまでは、インフレ率が低い水準で安定していたから、景気刺激を金融緩和で行うことができた。つまり、金融政策は景気刺激を目的とし、インフレ率は、単なる制約条件となり、インフレ率が大幅に上がらなければ、金融緩和をいつまでも存分にやっていい、というような状況となった。
これは、日本に限らず、アメリカも同じような雰囲気だった。アメリカでは、コロナで景気が悪くなることを懸念したから、日本をはるかに上回る大規模財政出動と合わせて、大幅な金融緩和を行い、それを継続した。
コロナ禍によるサプライチェーンの大混乱に加え、ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー価格が急騰し、その結果、インフレ率が上昇しても、あまり警戒せず「需要の過熱による物価上昇ではないから、これは一時的であり、金融引き締めは不要」としたため、利上げが大幅に遅れ、その結果、高い短期金利の継続を余儀なくされた。
一方、日本では、21世紀に入ってからは、バブル処理が終わった後も、財政、金融ともにひたすら景気対策に動員された。財政赤字が拡大していたこともあって、金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。
その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。
また、株式の買い入れという異常な(不可解な)政策まで動員された。日本では物価がほとんど上昇しなかったから、人々は、金融緩和を拡大しない日銀は、ケチでやる気がなく無能力であるかのように思った。
デフレ脱却を合言葉にしたアベノミクスにおける異次元緩和は、とにかく物価を上げること、インフレを起こすことが目的となり、リフレ政策と呼ばれたが、日銀の制度上の建て付けからは、とにかくインフレの目標(メドであろうが目標であろうが)を達成することが、一義的な目的であるから、景気とは無関係に物価が動かなすぎるのであれば、動かすことが目的となり、それでも動かなければ、日本経済が一時的にどうなろうと、物価を優先させるということは、原理的に間違っているわけではなかった。
しかし、アベノミクスや異次元緩和に賛成していたほとんどの人々は、そういう物価原理主義とは無関係に、景気がよくなるに越したことはないし、金融緩和の弊害がインフレということなら、日本でインフレが起きるはずがないから、どんどん緩和すればいい、というだけの気持ちだった。
インフレ上昇、金融引き締め局面では「大きな分断」
この日米の状況が、インフレ率上昇後の金融政策を難しくしている。そして、永遠に人々に誤解されたまま、その誤解が放置され、金融政策は将来にわたって、永遠に中央銀行と市場(エコノミスト、政治家、メディア、一般の人々も含む)との意思疎通ができないままとなり、つねに誤解から、市場は混乱し、中央銀行は責められ、経済に大きな障害となっていく恐れがある。
なぜなら、緩和局面は誤解があっても、同床異夢であり、金融緩和はだれにとっても歓迎だったから、軋轢は表面化しなかったが、インフレ上昇、金融引き締め局面では、大きな分断が、中央銀行とそのほかの世界の間に生じてしまうからだ。
現在、アメリカ中央銀行が強烈な金融引き締め、高金利を継続しているのは、景気に配慮して行っているのではない。物価だけを考えてやっている。しかし、このまま物価が十分に下がらず、景気も悪化し始めると、なぜ早く利下げしないのだ、という圧力がかかり始める。
物価は高いままだが、インフレ率は低くはないが、上昇は止まっている。そして、景気はこれから悪化しそうだ。それなら、物価と景気のバランスをとって、利下げするべきだ、というのが外野の主張、要求となる。
しかし、中央銀行にとっては、物価と景気が対立したら、それは物価が当然優先されるのだ。長期的にインフレ率が高止まりすれば、それは長期的に経済に大きな悪影響を与える。だから、物価をとにかく下げることが優先される。物価と景気のバランスは二の次になる。
ここで問題なのは、金融引き締めを行っても、インフレ率がそれによって低下するわけではないことだ。なぜなら、インフレの要因のほとんどが供給側にあり、金融引き締めで需要を抑制しても、人手不足からの賃金上昇によるコスト高によるインフレだから、ほとんど効果はない。
それでも、中央銀行としては、インフレ率を下げるためには、需要抑制以外の手段はない。コスト高であったとしても、需要が増えれば、インフレは加速する可能性があり、効果がほとんどないとしても、金融引き締めをやめるわけにはいかないからだ。
この結果、人々の中央銀行への信頼、評価が下がり、長期的に、金融政策の効果が阻害される。金融緩和の局面になっても「緩和に後ろ向きだ、抑制気味だ」という批判が(印象によるものにすぎないのだが)続くことになる。
日銀と人々が分断、政策への信頼が永久に失われる懸念
日本においては、これが為替相場、円安について起きている。人々は、異次元緩和、大規模金融緩和を支持した。それは景気にプラスだし、株価が上がったし、それだけのことだった。物価への理念など関係ない。金融政策とは、景気と株価のためにやっていると思っていたし、今も思っている。株式や不動産のETF(上場投資信託)の買い入れも、株価を支えるのが金融政策の役目であると思ったし、今も思っている。
そこへ、物価高がやってきた。そして、強烈な円安がやってきた。「貧しい日本」と言われだした。電気代もガソリンも円安のせいだ。日銀は、金融政策で経済をよくする、景気をよくするはずで、消費者が生活に困る円安は当然止めてくるものと人々は思った。
しかし、実際はまったく逆で、物価がまだ十分上がらないから、もっと物価を上げると言っている。そして、円安はわれわれ中央銀行には関係ない、金融政策の目的ではない、と繰り返す。メディアでは、日米の金利差が円安の要因と言っている。要は、世界で日本だけ金利が低いから円安なのか。日銀の責任じゃないか。「日銀は意味不明だ。何をやっているんだ」ということになる。
しかし、これは、日銀の人々には響かない。「われわれの目的は物価だ。そして、物価は悲願のインフレ率2%定着の最後のチャンスだ。ここで逃しては、この20年の戦いが無駄になる」ということで、人々と日銀の分断は、日本でも永久に残り、将来の金融政策への人々の信頼は永久に失われてしまうだろう。
「『物価が上がらなければいいのに』」と嘆く人たちへ」「日銀は『円安』『国債の山』『次の緩和』をどうするか」(7月8〜9日配信)での、渡辺努教授との対談記事でも明らかだが、日銀および金融政策の学問的な専門家は、物価というものを最優先に考えていることがわかる。
この数年の日銀の動き、植田総裁の金融政策のスタンスを、われわれ一般人の生活感や常識にとらわれずに観察してみると、物価最優先というのが建前ではなく、本音であることがわかるはずだ。これは、30〜31日の日銀政策決定会合においても、アメリカの中央銀行の決定会合(FOMC=公開市場委員会)後の声明文を読んでも、再確認されるだろう。
「実体経済にひずみをもたらさない為替」を目標にすべき
そして、実は、こうした物価最優先の考え方は理論的にも間違っている。とりわけ日銀においてそうだ。
なぜなら、21世紀の成熟国の経済においては、金融政策は金融市場、つまり、株式や債券などのリスク資産市場と為替市場に直接大きな影響を与え、実体経済には間接的にしか影響しない。それが、日銀の異次元緩和で得た教訓だ。
期待では物価は動かない。そうであれば、直接影響を与える市場にターゲットを絞って、それを安定化させる、コントロールすることで、間接的に実体経済を安定化させ、健全な経済発展を導く。それが、合理的なはずだ。
物価安定を通じて経済を発展させることが、実体経済の変動が経済変動の中心で、需要増加がインフレに直結する20世紀後半にはそうだったのだから、21世紀には、金融市場の動向が主導して実体経済に影響を与えるのだから、金融市場を直接の目標とすべきだ。
つまり、為替をターゲットとし、実体経済にひずみをもたらさない為替を目標とする。「2%のインフレ率を目標とする」のように、経済主体の行動が、ファンダメンタルズではなく為替水準およびその変動から影響を受けないような為替水準にとどまるように、という目標を設定する。インフレ率の変動が実体経済に影響を与えないようにする、のとまったく同じ精神だ。
そして、「景気安定」という目標を「株式市場や債券市場の安定」(つまりファンダメンタルズから大きく乖離しない、過度に変動しない)という目標に置き換え、これが実体経済に連動した形になるように安定化を図るべきなのだ。
なぜ、そのような自然なことができないのか。それは、「金融政策に為替や株価は関係ない、物価に集中」という過去の原理原則を忠実に心の底から正しいといまだに信じているからなのだ。そして、それは、日銀を日本社会から孤立させ、今後の通貨波乱のときに、日銀が力が発揮できない大きな要因となるであろう。
(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
(小幡 績 : 慶応義塾大学大学院教授)