常勝・アメリカにかつて勝ったことのある女子バスケの”先輩”たちの金言をお届けします(写真:今野けい子さん提供)

前回東京五輪で銀メダルを獲得し、パリでは初の金メダルに挑む女子バスケットボール日本代表(世界ランキング9位)。予選ラウンド初戦(日本時間30日4時開始)は、東京の決勝で敗れたアメリカ(同1位)といきなり対戦する。

1996年アトランタ五輪以来、団体競技最多の7連覇を達成し、目下五輪で55連勝を誇る「負けないアメリカ」に日本はどうやって立ち向かうのか。

「次こそ金メダルを」と気勢を上げる選手たちを後押しするのが、かつてアメリカを制した“先輩”たちだ。

先輩とは、1975年に世界選手権に出場し、アメリカなどを下し予選を1位通過した女子日本代表のこと。身長210センチの大型センター・セメノバを擁する最強軍団ソ連(現ロシア)に敗れはしたが、準優勝を達成した。翌1976年には女子バスケットが初めて正式種目になったモントリオール五輪で5位入賞。世界選手権に次いで、アメリカを2度倒した。以来48年間、日本女子はアメリカに勝っていない。

163センチの小柄でアメリカを翻弄した今野さん

この世界選手権、モントリオール五輪と2大会連続で得点王に輝いたのが今野(旧姓・生井)けい子さん(日体大教=当時)。今野さんは「今の選手はすごく上手。3点シュートがよく入って、私たちの時代のバスケットとはまったく違う競技に見えるくらい」と話す。


世界選手権2位ながら獲得したMVP(最優秀選手)の記念カップを持つ今野(旧姓・生井)けい子さん(写真:筆者撮影)

とはいえ、日本とアメリカの圧倒的な身長差などは、今と変わらない。当時も海外の選手たちは190センチ前後の選手は少なくなく、日本のレギュラークラスで最長身は170センチ台後半。そして163センチと小柄な今野さんがポイントゲッターとして試合の鍵を握っていた。

五輪で連覇を続けるアメリカを制した48年前の日本チームのメンバーたち。当時のユニフォームや寄せ書きなどの貴重なカットも(写真8枚)

今野さんたちは、変幻自在の守備陣形で相手を追い込む「忍者ディフェンス」と、ボールを奪い返したら瞬時にゴールに向かう「マッハ攻撃」を看板に、日本旋風を巻き起こした。このように戦術的なものも、今の日本代表と同じ路線だ。3点シュートがないだけで、試合の流れを変える激しいディフェンスやスピーディーな切り替えで相手を翻弄した。


銀メダルに輝いた世界選手権表彰式。右端から大塚宮子選手、山本幸代選手、林田和代選手(姓は出場当時(写真:片桐さん提供)

モントリオール五輪は出場6カ国が総当たりするリーグ戦。今野さんは5試合で102得点した。鋭く切り込むドリブルとシュート力が持ち味。世界選手権で2位ながら最優秀選手賞に選ばれた攻撃力は日本の切り札だった。競った場面で最後のシュートをエースに託す「今野フォーメーション」まで存在した。

「最終的には自分がどうにかするんだって思わないと、やれません。チーム全員が最後は自分だっていう気持ちを持ってほしい」と今野さんはエールを贈る。

当時、ミーティングの中身は「アメリカ」に集中

現在の日本代表を率いる恩塚亨ヘッドコーチが先日、「48年前の女子日本代表がアメリカ戦を前にどんな準備をしたのか知りたい」と語っていた。そのことを伝えると、今野さんは「相手をよく知ることと」と短く答えた。当時監督だった尾崎正敏さんが五輪本番前に行われたプレオリンピックに出場したアメリカチームを視察するために自費で単身、渡航したことも教えてくれた。


恩塚亨ヘッドコーチ(写真:筆者撮影)

「帰国すると、ミーティングはアメリカについてばかりでした。他の5カ国とも戦うのに、徹底的にアメリカ戦に向けた準備をしていました。監督さんから『アメリカに勝ったら70%メダルに手が届く』と言われ、私たちもアメリカ戦に集中しました」

当時のアメリカは女子バスケットに対し本格的な強化を始めたばかりだったが、ソ連に次ぐ優勝候補ではあった。そのアメリカに対し、日本は初戦で84対71で勝利すると、次は開催国カナダに121対89と大勝した。

ところが、最初の2試合の疲労もあってか3戦目でチェコスロバキアに62対76で敗れると、前年の世界選手権に出場していなかった伏兵ブルガリアに63対66の3点差で惜敗。ソ連にも大敗し2勝3敗で5位に終わった。

日本に負けたアメリカは3勝2敗ながら2位。日本はブルガリアにさえ勝っていれば、得失点で上回っていたアメリカをかわして銀メダルのはずだった。


モントリオール五輪のときのバスケ女子のユニフォーム、片桐さんが着用したもの(写真:筆者撮影)

銅メダルを首にかけられるブルガリアの選手を閉会式で見つめた日本選手たちは、どんなに悔しかったことだろう。当時のメンバーのひとりである片桐(旧姓・林田)和代さん(日立戸塚=当時)は「ブルガリアに私たちのプレーを全部読まれていた。今野さんたち中心選手がマークされて負けてしまった」と悔しそうに振り返る。


片桐さん(写真:筆者提供)

実は大会前、女子日本代表は当時IOCに所属していなかった中国での招待試合に参加した。強化試合の一環だ。そこにブルガリアも来ていた。片桐さんたちは快勝したが、そこで分析しつくされてしまったようだ。

「五輪の前にここで練習ゲーム試合さえしていなければ、日本チームのことなんてわからなかったはずです。ただ、そのときはブルガリアが練習試合に参加することをスタッフも知らなかったのかもしれません」

本番前に手の内をどれだけ見せたか

このことは「本番前に手の内を見せてはいけない」という教訓にも映る。折りしも今回、日本は欧州入りしてからの強化試合でフランス(同7位)、ベルギー(同6位)を相手に連敗。「これでは五輪は戦えない」などとネット上で叩かれた。

ただ、予選ラウンドの最後に対戦(8月4日)するベルギーとの試合では、シュートガードとしても新境地を見せる赤穂ひまわりを出場させていない。実は故障を抱えているのか、不調なのか、それとも温存なのか。すでに情報戦が始まっているのかもしれない。


(写真:筆者撮影)

今とは違っていたこともいろいろある。夏季五輪だからと体育館を締め切って練習、わざわざ体温超えの環境を作った。そこまで暑熱対策して乗り込んだら、モントリオールの会場は「エアコンで冷え冷えだった」と前出の今野さんは笑って振り返る。試合中は水が飲めるのに、練習中の水分補給は禁止だった。

尾崎監督の命令は絶対で、誰も逆らうことはなかった。練習中のミニゲームで、ユニチカ山崎の選手を相手に戦ったら僅差になったことがあった。尾崎監督はカンカンに怒って紅白戦の5対5が何十分も続いた。監督が笛を鳴らさないので試合が止まらない。メンバーチェンジもなし。選手は足がつり、ひざまずいてはまた立ち上がり走った。監督に檄を飛ばされた選手たちは、泣きながらプレーしたという。


モントリオール五輪のときにメンバーがお互いのTシャツに書いたメッセージ。片桐さん私物(写真:筆者提供)

片桐さんは「今の時代ではありえない指導ですが、そのとき監督さんに言われた言葉は私たち選手の胸に突き刺さりました」と回顧する。尾崎監督はこう諭した。「おまえたちは何のために12名に選ばれているんだ? 日本で12名しか選ばれないんだぞ」。

この気持ちをパリ五輪を戦う代表選手たちも持っている。最年長36歳の吉田亜沙美はバスケットシューズのサイド部分に、選抜合宿や遠征に参加したものの最後に代表入りできなかた選手たちの背番号を書き込んでいる。半世紀前から選ばれし者たちの自覚は引き継がれているのだ。

ところで、「忍者ディフェンス」の意味は、片桐さんによると「相手の背後からスーッと来て2人でサンドして相手を動けなくするから」だそうだ。つまりは、自分のマークマンとの一対一に熱中している相手の虚を突いて、忍者のように忍び足で足音をたてないように近づくからだという。

片桐さんは「相手に気づかれないように近づけと監督からも言われました。そして他の選手は自分の相手を抱きしめてでもいいからパスを受けさせるな、と。そういう練習もいっぱいしました。ディフェンスの練習は本当にきつかった」と懐かしむように話した。

「忍者ディフェンス」から、「ダブルチーム」へ

このいきなり2人で囲み込む守備は現在「ダブルチーム」と呼ばれる。ダブルチームを繰り出す激しいディフェンスは、パリに挑む日本の大きな切り札でもある。また、モントリオールの代表チームには「冷静に、そして大胆に」という合言葉もあったが、この感覚はパリ組にもフィットするだろう。

「初戦のアメリカ戦はまだ予選なので自分たちの好きなようにプレーしてもいいんじゃないでしょうか。それをフランスやベルギーがみていることを頭に置いて。私でさえ自分が日本を抑えるとしたらどう演出するかな?って考えながらみることもありますよ」と今野さん。すべての国がそうやって策を練ってくる。頭脳戦を制すること、「最後は自分だ」と全員が思うことで、勝機は見出せるだろう。

(島沢 優子 : フリーライター)