臨機応変な対応やマルチタスクが苦手だという自覚のあるダイゴさん。取材前に「事前に質問事項を教えてほしい」と頼まれたほか、取材中は懸命にメモを取っていた。ダイゴさんなりに定型発達がつくったルールになじもうと努力していることが伝わった(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

今回紹介するのは「ADHDと広汎性発達障害を抱えている」と編集部にメールをくれた40歳男性だ。

毎朝、職員全員で絶叫させられる

「必ずやる! できるまでやる! 俺がやる!」

今から20年近く前、大学を卒業したダイゴさん(仮名、40歳)が就職したのは、民営化前の日本郵政公社(現在の日本郵政グループ)だった。配属されたのはかんぽ生命保険の営業職。出社早々、ダイゴさんを絶望的な気持ちにさせたのは、毎朝、職員全員で絶叫させられる、この唱和だった。通称“やる唱和”。

周囲とコミュニケーションを取るのが苦手で、子どものころはよくいじめられたというダイゴさんにとって「集団でのいじめを思い出させる体育会系の空気は苦手でした」。

“やる唱和”の是非は置くとして、職場では過剰な営業ノルマも常態化していた。成績のふるわない先輩職員が上司から「辞めたほういいんじゃないか」「こんな成績じゃ、局長が表彰されないだろう!」と怒鳴りつけられる姿をたびたび目にしたという。

新人のダイゴさんにも、保険商品の説明に行くためのアポイントを1カ月で3件取るというノルマが課せられた。成約ではなく、商品説明のためのアポイントである。しかし、ダイゴさんは1件の約束も取り付けることができなかった。その結果、上司から呼び出され「この仕事、向いてないだろう。商品のこと勉強する気、ないよね。辞めるしかないんじゃない?」と責め立てられた。結局1カ月あまりで退職した。

「電話帳で調べて電話をかけるのですが、まったく話を聞いてもらえない。きつかったです。(退職については)強要されたというよりは、自分でも無理だと思ったので辞めました」

このころ、私は民営化を控えた郵政職場の現場をたびたび取材していた。ダイゴさんの言う通り、ノルマは保険商品だけでなく、年賀はがきや暑中見舞い用はがき、ふるさと小包など多岐にわたり、多くの職員が自腹でノルマを達成する「自爆営業」を強いられていたのは事実だ。それに伴うパワハラ行為も横行。自殺した職員の遺族に話を聞いたことも、1度や2度ではない。

取材に対し、当時の日本郵政公社の広報は「ノルマではなく、数値目標」として一貫してノルマの存在を認めなかった。しかし、2018年には一部メディアがまたしてもかんぽ生命の不適切販売と、その背景にある過剰なノルマについて報じた。まだこんなことをやっているのか――。私は怒りを通り越してあきれた。

ダイゴさんによると、毎朝の“やる唱和”とは別にこんな唱和もあったという。

「私は仕事を愛します! ですので、郵便事業の名誉を毀損するような犯罪や問題は絶対に起こしません」

20年前のことなので、不確かな部分もあるが、おおむねこのような内容だったという。不適切なことをしなければ達成できないようなノルマを課しながら一方で「罪は犯しません」と言わせるのは矛盾なのではないか。

ダイゴさんに課せられた月3件のノルマは、それ自体は非常識とまではいえない水準だろう。1カ月での退職も、一般的には早すぎると思われるかもしれない。ただ早々に退職を決断したからこそ不適切販売に手を染めなくて済んだという見方もできる。

20代後半で発達障害の診断を受ける

しかし、ダイゴさんはその後も定職に就くことができなかった。そして20代後半で発達障害の診断を受ける。これにより、月7万円の障害年金が支給されるようになった。

両親はダイゴさんの障害について理解してくれないという。特に父親からは「大学まで出してやったのに、金をドブに捨てたようなものだ」「仕事が続かないことを障害のせいにして甘えていくのか」と突き放された。

ダイゴさんは転職を繰り返しながら1人暮らしをしていたが、生活費が足りず、両親から金銭的な援助を受けることもあった。しかし、早々に「あとは自分でなんとかしろ」と言われてしまう。実家と疎遠になり、最終的には家賃滞納で住まいを失うことに。一時的に生活保護を利用したものの、ケースワーカーから「仕事を見つけなければ、廃止します」と言われ、自ら利用をやめた。

ダイゴさんは「仕事をしたい。社会とつながりたいんです」と切望する。しかし、実際はもう5年以上ほとんど働いていない。今は親戚の家に居候しながら暮らしているという。


定職に就くことができないダイゴさんは「自分は社会不適合者」と繰り返した。悪質企業も少なくない中、“定職に就く”ことはそんなに大事なことなのか? と尋ねるとダイゴさんは「社会とつながりたいんです」と言った(筆者撮影)

配達中に「もらい事故」

日本郵政公社を辞めてから、ダイゴさんはどんな仕事に就いたのか。

ダイゴさんはその後、同じく日本郵政公社の郵便配達員として働き始めた。非正規職員である「ゆうメイト」だったが、新卒で同公社に就職したときから郵便業務を希望していたのだという。

しかし、実際に働いてみると、とにかく誤配が多かった。ダイゴさんは「月に2、3回はあったと思います」と認める。業務量が多く、夜10時ごろにバイクのライトを頼りに配達することも珍しくなかったというが、誤配は配達員にとって致命的なミスでもある。

そうした中、配達中に事故に遭ってしまう。同じ郵便局の車両から追突される、いわゆる「もらい事故」だったが、ダイゴさんはなぜかドライバーに「大丈夫です」と言い、そのまま仕事を続けてしまったという。

私が取材していた当時、郵政職場では事故を起こしても労災を申請させないばかりか、自腹で車両を修理させられた、人事評価を下げられたと話す職員にも出会った。ダイゴさんとしては誤配が多いことへの後ろめたさから、事故を報告することへのためらいもあった。しかし、適切な事故処理は労災申請のためにも必要なことだ。結局、ダイゴさんはこの事故が原因で肩を痛め、配達を続けることが難しくなったという。

その後、玩具の製造販売メーカーで働いたこともある。ここでは複数の上司から真逆の指示を出されるなどして、どちらに従っても理不尽に叱責されたことがストレスだったという。それぞれの上司に、指示を統一してほしいと言えば済む話なのでは? 私がそう指摘すると、ダイゴさんは「怖くて言えませんでした」とうなだれた。

また、自社製品の買い取りを強いられることもあった。ここでも自爆営業である。金額は多いときで10万円ほど。給与が手取りで15万円ほどだったダイゴさんにとっては死活問題だった。

一方でダイゴさんにはレジの打ち間違いなどのケアレスミスが多かった。また、接客態度についてクレームを受けることもあったという。正社員としての採用だったが、仕事や人間関係になじむことができず、1年ほどで辞めた。

まずは悪質企業をなくすことが先

ダイゴさんの話を聞いていて私が違和感を覚えたのは、交通事故の労災も自爆営業も、私が指摘するまで本人はさほど問題だと感じていないことだった。

労災については「そういう制度があることを知りませんでした」、自爆営業については「会社から指示されたので……。そういうものなのかなと思っていました」とダイゴさんは言った。

その後も日雇い派遣やアルバイト、障害者雇用でも働いたが、いずれも長続きしなかった。


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持論になるが、障害のある人やひきこもり状態にある人への支援のゴールは、必ずしも就労である必要はないと考えている。働かざる者食うべからずともいわれるが、まずは悪質企業をなくすことが先だ。

特に過剰なノルマを社員に課して利益を上げているかのように装う企業は早晩淘汰されるだろうが、その前に自ら退場してほしい。郵便網が必要な社会インフラだというなら、国が一定程度公費を投入するしかない。

最近は人手不足で、選ばなければ仕事はあるとも聞くが、取材の実感では、中高年以上の転職活動は依然として厳しい。そもそも「選ばなければ仕事はある」ではなく、仕事は選べなければダメだろう。だれにでも悪質企業を拒む権利はある。

一方で働くことで社会と接点を持ちたいというダイゴさんの心情は理解できる。ただダイゴさんがつながりを求める社会の多数を占めるのは定型発達の人たちだ。そうである以上、ケアレスミスなどの障害特性を抑えるための努力や工夫、我慢はどこにいっても求められることだろう。労働法制に関する知識も自身を守るためにも身に付けるべきなのかもしれない。

ただ私は、自己責任論はもちろん「企業も悪いが、ダイゴさんも努力すべき」といった“どっちもどっち論”にもくみしない。両論とも、過剰なノルマや労災隠し、自爆営業といった構造的な問題を見えなくするだけだからだ。自己責任論がはびこることで喜ぶのはだれか、ということを私はいつも考える。

取材を通して訴えたいことは何ですか?と尋ねると、ダイゴさんはこう答えた。

「障害者に多くを求めないでほしい。両親には『つらかったね、(悪質企業から)よく逃げてきた』と言ってほしかったです」

定型発達が多数を占める私たちの社会は、ダイゴさんの訴えをどこまで受け入れることができるのだろうか。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

(藤田 和恵 : ジャーナリスト)