「成瀬あかり」は現実のM-1でどこまで通用するか
都内にある滋賀県のアンテナショップ「ここ滋賀」の外観は、『成瀬は天下を取りにいく』一色だ(写真:編集部撮影)
小説『成瀬は天下を取りにいく』が昨年人気となり、今年、シリーズ続編『成瀬は信じた道をいく』が出版された。この小説では、主人公の成瀬あかりが漫才コンテスト「M-1グランプリ」に挑む場面が物語の1つの核をなしている。
元吉本興業でM-1創設者の谷良一氏が、「成瀬」シリーズに刮目した理由とは。
滋賀の女の子が突然、「M-1」に挑戦
今大注目のある小説のおかげで、M-1が新たな層から脚光を浴びている。それが、『成瀬は天下を取りにいく』と『成瀬は信じた道をいく』である。
この小説の主人公、成瀬あかりは滋賀県大津市に住む女の子だ。
子どもの頃から強い意志の持ち主で、思ったことはことごとく実現していく。人からどう思われるとか、こういうことを言ったりしたりすると嫌われるなどということは一切忖度しない。唯一といっていい親友の島崎みゆきは、ことあるごとに成瀬に振り回され、そのくせいつの間にか成瀬と一緒に行動をするようになり、それを楽しく感じるようになってしまう。
次々に希望を実現していく成瀬だが、ある日突然、「M-1に出よう」と言い出し、島崎と「ゼゼカラ」というコンビを組んでM-1に挑戦する。
M-1を立ち上げたぼくから見て、成瀬本におけるM-1の取り上げ方はあまりにも的確だ。ぼくが目を見張った点を3つ書いてみたい。
まず第1に、何事にも習熟の早い成瀬は漫才のネタづくりでも非凡なものを見せる。成瀬の書いたネタがなかなかサマになっているのだ。
ゼゼカラは漫才及びM-1を知るために、神回と言われた2004年のM-1のビデオを見て研究することから始める。次にネタづくりに入り、「野球ネタ」、そして「200歳までの人生設計ネタ」をつくる。その次にはアンタッチャブルのM-1ネタをコピーして「琵琶湖上にデパートを建てるネタ」を生み出す。ここまでくるとかなり完成している。
琵琶湖上のデパートのネタは漫才の基本を踏襲しているので、きっちり稽古してふたりの息と間を合わせれば、予選1回戦は突破できるのではないか。あるいは逆に、高校生らしい元気さと素人っぽさを思いっきり前面に出してやれば、審査員は残してくれるに違いない。ナイスアマチュア賞を取れるかも。
こうしてできたネタを文化祭で披露したあと、いよいよM-1に出場する。
実際に見た人にしか描けない予選のリアル
次にすごいのは、M-1の予選の雰囲気がすごくリアルに描かれている点だ。
参加料であるエントリーフィー2000円を払うところとか、楽屋でプロとアマチュアが入り交じって本番を前に緊張している様子だとかが見てきたかのように描かれている。
ゼゼカラがプロ漫才師の「オーロラソース」に話しかけなかったように、M-1予選では、アマは同じグループにいるプロの人気者をチラチラ見ながらも、決して声をかけない。みんなピリピリしててそういう雰囲気ではないし、同じ舞台に立つ出場者なので、ライバルとして見ていたのかもしれない。そして自分と一緒の会場で予選1回戦に挑んだプロが決勝に残ったりしたら、おれは彼らと同じ舞台に立って漫才をしたんだ、すごいだろうと自慢するのが、よくあるアマの姿だ。
こういうM-1の予選の雰囲気がよく伝わってくる。これほど克明に書けるとは、作者の宮島未奈さんは、実際にM-1に出たことがあるのだろうか。本人に聞いてみたい。
そしてぼくが一番心を打たれたのが、この小説はM-1の精神ともいうべきものを実によく理解してくれていることだ。
「頂点を極める」をモットーとする成瀬にとって、「プロアマ、所属事務所、人気、実績は一切関係なし、その日のできだけで若手漫才の日本一を決めるガチンコ勝負」がコンセプトであるM-1を標的とするのは、理にかなっている。当然目標はM-1の頂点を極めることだ。
残念ながらゼゼカラは予選1回戦で敗退するが、あっさり1回戦で落ちるのは、M-1が公正に審査され、ガチンコで競う競技だということを証明している。
そして、敗退しながらも、彼女らは漫才の深さ、漫才をやることのおもしろさを知る。これもM-1をつくったねらいそのものだ。『M-1はじめました。』で書いたように、M-1には、アマチュアにも実際に漫才をやって漫才のおもしろさを感じてほしいという一面があった。
ゼゼカラはこのあとも3回出場を続けるが、結局1回も1回戦を突破できなかった。そして高3になった年、成瀬は「漫才はこれでいったん終わりにしよう」と言ってその年はM-1には出ないことを宣言する。
でも、成瀬は何年後かにまたM-1に出場しそうな予感がする。そしてその時は1回戦敗退ではなく、かなりのところまで行きそうな気がする。それは何年後か? 作者にはぜひそれを書いていただきたいと願っています。
「M-1」が普通に小説に描かれるという驚き
2001年、あの頃漫才は世間ではすっかり忘れられたオワコンだった。テレビでは漫才番組は1本もなく、吉本の劇場でも漫才をやるな、コントをやれと言われていた時代だ。漫才はそこまで落ち込んでいた。
そのときに43歳の吉本社員だったぼくは、漫才を立て直すための「漫才プロジェクト」のリーダーにいきなり任命された。社内でたったひとりのプロジェクトだった。M-1を立ち上げたときも「そんな若手の漫才コンテストを誰が見るのだ」と言われた。付いてくれるスポンサーは見つからず、放送してくれるテレビ局はひとつもなかった。漫才もM-1も、そんなどん底の状況だった。
ところがこの小説は、誰もがM-1の存在を知っている前提で書かれている。ついにM-1が普通に小説に描かれるくらい一般的になったのだ。今さら何を言っているのかと思われるかもしれないが、漫才冬の時代にM-1を始めたときには、まさかこんなふうになるとは夢にも思わなかった。とてもうれしくて感慨深い。そして成瀬にM-1に挑戦させてくれた作者にお礼を言いたい。
実はぼくと成瀬にはM-1以外にも縁がありすぎて驚いている。
ぼくは滋賀の出身である。そして、成瀬が通う膳所(ぜぜ)高校のライバルである彦根東高校の出身で、成瀬と同じ京大を出ている。成瀬が夏祭りで踊った江州(ごうしゅう)音頭を聴くと体が自然に踊り出す(これはけっこうほんと)。
他府県から電車あるいは車で滋賀に帰ってきて車窓から琵琶湖が見えてきたときには、なんとも言えないうれしさと安堵を感じる滋賀県人だ。夜、紫色に光る西武大津店の姿を初めて見たときには、どういうわけか誇らしく感じたものだ。滋賀出身の堤康次郎(つつみ・やすじろう)が創業した西武グループが初めて滋賀につくった西武百貨店だからか。
成瀬のおかげで、ぼくのふるさと、滋賀が今熱い。
滋賀を舞台にした『成瀬は天下を取りにいく』は「2024年本屋大賞」をはじめ、なんとこれまでに15冠獲得した。おかげで滋賀が(ちなみに関西人は「滋賀」という単語のアクセントのせいで「滋賀が」と言いにくいので、大体みな「滋賀県が」と言う)、琵琶湖が、西武大津店が、琵琶湖の観光船ミシガンが、そして膳所が注目を浴びている。こんなに注目を浴びるのは滋賀県の長い歴史の中でも、大津京時代と戦国時代、そして桜田門外の変以来である。
今年のM-1への「成瀬」たちの出場が楽しみ
このようにぼくとM-1に非常に関係の深い『成瀬は天下を取りにいく』であるが、この本を読んでM-1に挑戦する人がさらに増えたらうれしい。そして漫才のおもしろさ、楽しさをたくさんの人に知ってもらえたら尚うれしい。
今年もいよいよM-1グランプリが始まる。8月1日には予選1回戦がスタートする。
「成瀬」の影響で、今年は全国から例年以上にたくさんのアマチュアが参加してくるかもしれない。もしかして、本物の成瀬も参加して、見事1回戦を突破するかもしれない。そう思うと今からワクワクする。
(谷 良一 : 元吉本興業ホールディングス取締役)