4人の親はバタバタと倒れ、病院送りになった。現在40代の女性が同居する義父母、近くに住む両親は、脳や心臓、がんなど重大な疾患にかかり、女性はそのすべてのケアに追われた。ともにADHDや自閉症スペクトラムと診断された2人の息子のケアも重くのしかかる。ストレスに耐えきれなくなった女性はブランド品を買いあさるなどして100万円近くの大借金をし、さらに潤沢だったはずの実家両親の資産も底を突きかけていることが判明した――。(後編/全2回)
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■再借金地獄

毎月、お金は恐ろしいスピードで消えていった。

義両親と暮らすための二世帯住宅の住宅ローン返済に、自分たち(夫婦と子供2人)の生活費。それに加えて、「一人っ子で、大切に育ててもらったから恩返ししたい」という教員である夫(39歳)の要望により義両親の生活費(光熱費など)まで負担していた。

夫の赴任地から生まれ育った地元に戻るまでの2年間は賃貸住宅暮らしで家賃の支払いもあり、直近では想定外の次男の出産も……。北海道在住の森山吹子さん(仮名・当時36歳)は「火の車の家計」に七転八倒していた。

同居から2年目。ついに貯金が底をつく。

「義両親とは生活リズムが違います。私自身、義両親に好かれていないのも分かっていました。しかし、長男は小学校1年生、次男は2歳になったばかりです。それなのに義父は、子どもたちに『うるさい!』と怒鳴り、ひどいときは長男のことを『気狂い』と罵りました」

長男は小2のときにADHDと自閉スペクトラム症と診断され、発達外来の受診と放課後デイサービスで勉強のフォローを受け始めた。次男も3歳のときに全く同じ診断がおり、発達外来、市の相談室、療育、放課後デイサービスに通っている。

「地元に戻ってきたとは言え、(私の中高時代の)友だちは散り散りになっており、ママ友もいません。この頃の夫は子どもたちの障害への理解も薄く、仕事や職場の飲み会や旅行、趣味の車(クラシックカー)を優先し、ほとんどワンオペの子育てでした。私が高熱を出そうが、嘔吐してトイレから出れなくなろうが、『(自分が教科担当する)○時間目の授業が終わるまで何とか耐えて!』と放置されたことは数え切れません」

トラックの運転手をしていた義父(80歳)は、60歳の頃に脳梗塞を起こした影響で左半身麻痺になり、着替えや食事、トイレや入浴の世話はすべて義母(68歳)がやっていた。頑固な義父は、介護サービスの一切を拒否したのだ。もしかしたら、身体が不自由になった苛立ちを、元気に遊び回る孫たちにぶつけていたのかもしれない。

そうした事情があったとしても、嫁の森山さんにとっては、義父は大きなストレス源だった。自分より身体の大きい義父を一人で介護する義母を放ってはおけず、おのずと義母のサポートを務めることとなる。

義母は55歳のときに食道がんが見つかり、食道と胃をつなげる手術をしているうえ、72歳の頃から狭心症を患っていたため無理はできない。気付けば森山さんは、大好きなブランドの洋服を買うことで、ストレスを解消するようになっていた。

「服を買うときは高揚感に包まれ、その一瞬だけ、幸福感に満たされます。でも帰宅すると、罪悪感に苛まれて……。夫にバレないように隠したり、タグ付きのままオークションへ出したこともありました。生活費も足りないのに、『欲しい!』と思ったら、寝ても覚めても欲しくてたまらないのです。支払いはカードでして、先延ばし先延ばしにしていました」

やがて、限度額10万円のA社のカードキャッシングだけでは足りず、B社を申し込む。人生2回目の借金生活が始まった。独身時代に230万円の大借金をつくったが、両親に立て替えてもらったことがあった。

義両親との同居から2年目の夏頃、複数社からのキャッシングで、借金は合計80万円になっていた。それを思い切って打ち明けると、夫はこう言った。

「ごめん……。両親の光熱費は変わらずこちらで負担する。そのかわり、車はもう乗らない」

森山さんの借金については責めず、収入と支出のバランスを見て、やりくりは難しかったと納得してくれたようだった。夫は、「車は、手放しはしないが乗るのをやめる」と言った。

当時の森山家にまとまったお金はない。仕方がないので、長男の学資保険を解約することにする。同時に、この年からボーナスは夫が管理し、子どもたちの教育費はボーナスから貯めることにした。

■初めての夫婦喧嘩

同居4年目。長男が小4になり、次男は3年保育の私立幼稚園へ入園。長男がサッカーを習い始め、森山さんにママ友ができた。

サッカー仲間の家で2カ月に一度、母親4人+子ども6人が集まり、夕飯をともにした。

その他にも母親6人ほどで集まり、定期的にランチ会をした。その度に、個々にお土産を買っていき、ランチ代とその後のお茶代で、1回で1万円以上使った。

「長男と次男、2人の発達外来受診や、スクールカウンセラーさんとの面談。療育施設に複数の相談施設。それに加えて園や学校の行事にPTAの役員も……。次男の問題行動が最も多い数年でもありました。時間の合間をぬってランチをしていましたが、夫や義両親には、“調子に乗っている嫁”に見えていたのだと思います」

そんな頃、夜のママ友会の、森山さん主催の番が回ってきた。小4と3歳児の男の子が複数集まれば、当然騒がしくなる。ついに、体が不自由な義父の逆鱗に触れてしまった。

その翌朝、夫から謝罪するよう促された森山さんは、義両親の部屋を訪れる。

「母親のくせに子どもを注意もせずに何をやっとる! 今の親はどうもならん!」

森山さんは、ひたすら土下座をした。しかし心は折れていた。

翌日から、森山さんは子どもたちを朝送り出すと、なるべく家にいないようにした。とにかく外に出て人に会い、子どもたちが帰宅するまで戻らなかった。そして再び夫の給料だけではやりくりできなくなると、また借金が始まった。

そんなある日のこと。夫に対して溜まりに溜まった不満や怒りが爆発し、森山さんは号泣しながら夫へくってかかった。森山さんにとって、本音を吐き出したのは人生で初めてのことだった。

「夫の転勤について行って、慣れない土地で子育てしてきましたが、夫はまったく協力してくれませんでした。義父に否定ばかりされる毎日は息苦しく、『私の夫である前に義両親の息子なんだ。味方にはなってくれない』と、夫への不信感がどんどん大きくなっていたのです」

夫は黙って話を聞いたあと、「俺もキミ(森山さん)と両親に挟まれて困っていた」と打ち明けた。

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このことがきっかけで、夫は家事育児に協力的になり、夫婦の絆は深まった。だが、それで借金がなくなるわけではない。

夫が理解してくれたことで心が満たされた森山さんは、新たな借金を作ることはなくなったが、すでに借金は95万円。専業主婦である森山さんにとっては、売れそうなものを売ったり、家計を節約したりしても、利息分を減らすことで精一杯だった。

「ゆくゆくはパートへ……と思いつつも、当時は次男が不登校になっており、次男から『家にいて欲しい』と言われていました。また、マルチタスクが苦手なので、パートと家事と子育てがこなせるか、自分のメンタルも心配でした」

■パートで働きはじめる

2019年。中3の長男が私立高校への進学を希望。森山さんも夫も公立を考えていたが、こだわりが強い長男は、「ここ!」と決めたらテコでも動かない。

いよいよ「夫だけの収入では学費を捻出できない」と思った森山さんは、働きに行くことを次男に相談。すると小学校高学年になった次男は、「帰宅した時にお母さんがいてくれるなら、働いてもいいよ」と言ってくれた。

森山さんは、かねて興味があった飲食系製造会社の求人に応募。面接を受けるとすぐに採用が決まり、4月から働き始めることになった。

森山さんのパート収入がプラスされると、家計がスムーズに回り始めた。働き始めて約10カ月が過ぎた頃、森山さんは繰り上げ返済を実行。80万円ほど残っていた借金も、半年後には55万円まで減らすことができた。

「結婚前の借金は両親が肩代わりをしてくれ、2回目の借金は学資保険を解約。学資保険を解約には親としての不甲斐なさはありましたが、ほとんど苦労していません。自分で働いて、自分で返す。お金を稼ぐことの大変さ、お金の大切さを、今さら理解しました。浪費が減ったのは、子どもたちの主治医や療育でお世話になっている心理士さんから『お母さんもADHDだと思いますよ』『HSPだと思いますよ』と言われたことで、自分の性質(ADHD)と気質(HSP)に合ったルールを作ったことが大きかったと思います。ランチなどの誘いも、仕事を理由に断れるようになりました。また、コロナ禍という環境下も、誘われたら断れない私にとっては良かったと思っています」

森山さんは、一人カフェやランチはしない。カードは極力使わない。ウインドーショッピングをしない。洋服は必ず試着する……というルールを決めたところ、無駄遣いが減ったという。

■勝手極まりない老親たち

その頃、実家の両親も大きな問題を抱えていた。

現在79歳の父親は、2017年に脳出血を起こして手術を受け、1カ月半ほど入院。一命はとりとめたものの指先に痺れが残った。

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一方、現在78歳の母親は2018年10月、心筋梗塞を起こして倒れ、搬送先の病院で手術を受け、1カ月ほど入院。母親は、2019年4月頃には糖尿病のための管理入院。2020年6月頃には肺がんが見つかり、放射線治療のため入院と、入退院が続いた。

「母は、心筋梗塞を起こしたあたりから、『あれ?』と思うような言動が多くなりました。その後も入退院を繰り返す度に認知が低下していったように思います」

心筋梗塞を起こして搬送された病院は、森山さんが長男を出産した病院だったが「初めて来た」と言い、糖尿病の管理入院のときには、長男に「高校の入学祝い」をくれたが、袋には何も入っていなかった。放射線治療の入院中は、「主治医が気に入らない」と言って勝手に退院してしまったり、主治医を変更してもらって再入院した後、気に入らない医師のことを忘れていたりと、明らかにおかしな言動が増えていた。

そして2023年10月。77歳だった母親は再び救急搬送される。自宅で突然へたりこんだまま立ち上がれなくなり、父親の力でもどうすることもできなかったのだ。原因は脱水症状と栄養失調。そのとき救急車に乗って病院まで付き添った父親は、自分を罵倒し続けてきた妻を「これで入院させることができる!」と内心喜んだが、点滴を受けただけで帰宅させられると知った途端、激しく落胆。

脱水症状と栄養失調を起こしてから、「母を一人で家に置いておけない」と思った森山さんは、「これからも自宅で生活したいなら、お父さんが透析へ行っている間はデイサービスに行って」と説得するが、母親は「車の送迎でご近所にばれるのが嫌だ」と言って頑なに拒否する。

もともと高血圧と糖尿病を患っていた父親は、2023年6月、糖尿病からくる腎不全と診断され、週3回、1回4時間の人工透析を受けることになった。

自分のことで精一杯だった父親は、母親が点滴だけで戻ってきた後、「母さんといることが限界だ」と泣きながら森山さんに電話してきた。森山さんはケアマネジャーに相談してすぐに施設を探してもらい始めたが、10月半ば、しびれを切らした父親は自ら救急車を呼び、母親を一人残し、入院を決めてしまう。

父親がいなくなった家に母親を一人で置いておけない。森山さんは母親をなだめすかし、10日間で準備を整え、高齢者住宅に入居させた。

母親が自宅からいなくなったことを知った父親は「退院したい」と言い出し、帰宅。長年患っていたうつ病も、自宅に戻って2カ月で寛解した。

■老後破綻へのカウントダウン

ところが森山さんの両親の問題は、これで終わったわけではない。なぜなら両親の貯金が、たった250万円になっていたからだ。

「両親の年金額は、ひと月あたり2人で合計22万円。母の施設代や医療費は、全部でひと月約16万円かかります。両親があと何年生きるかわかりませんが、あと2〜3年でどちらかが亡くならなければ、両親は老後破綻すると思います」

父親は役職に就き60歳まで。母親は52歳までバリバリ働き、それぞれそれなりの額の退職金もあったはず。それはどこへ消えたのか。

その答えのヒントは森山さんの1歳上の兄にあった。兄は大学受験に失敗して専門学校に行き、卒業後は父親のコネで就職。しかし続かず、38歳のときに突然「社労士になりたい」と言い出し、親のお金で再び専門学校に行き始め、晴れて社労士になると、上京。4年間は平穏に働いていたが、別の事務所に移った途端、うつ病を発症した。

「詳しくは聞いていませんが、兄は仕事で大きなミスをしたらしく、東京から逃げるように退職して北海道に戻ってから、働いていた事務所に訴えられたみたいです。うつ病なので戦うこともできず、示談金を払ったらしいのですが、それも全額両親が出しています。両親に貯金がないのは、母が定年後も生活レベルを落とせずに散財してきたせいと、兄に使ったせいだと思います」

その後も母親は、大事な兄にはダイソンの最新の掃除機を買い与えたにもかかわらず、森山さんには使い古した掃除機を売りつけるなど、子どもの頃から変わらずきょうだい間での“差”を見せつけ続けた。

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施設に入った後も母親は、「食堂で食べるのが嫌だ」とワガママ放題。ひと月あたり8000円を払って、特別に居室に配膳してもらっている。それなのに施設の食事にほとんど手を付けない日も少なくないため、理由を調べたところ、週に1回来るヘルパーさんにお金を渡して、食べたいものを買ってきてもらっているということが発覚。

ある月の購入額は約1万6000円。内容は、総菜や冷凍食品、パンやカップラーメン、デザートなど。中でもコーヒーゼリーとプリンとヨーグルトは、ひと月に合計71個も購入していた。

「昔から買い物好きな人でしたが、思考の低下による同じ物の大量買い。認知症トラブルの典型です。施設の食事をなしにすれば4万5000円減になりますが、そんな単純な話ではありません。私が両親の介護のキーパーソンなので、請求書は私に届くのですが、正直なところ、目を通したくなくなります……」

■俺様な父親

父親は人工透析こそ必要だが、うつ病は寛解し、認知症もなく、十分一人で暮らせていた。とはいえ、父親も問題がないわけではない。

2023年6月の中旬から人工透析になった父親は、少しでも出費を減らそうと、ありとあらゆる助成制度を調べ尽くし、手続きは娘の森山さんに丸投げしてくる。

「これまで、身体障害者手帳の引き取り、障がい者交通費助成、特定疾病療養受療証、自立支援制度など、何度も役所に足を運び、手続きさせられました。『手間賃は払うから』と言うけれど、口だけです。健全な親子関係なら親孝行になるのでしょうけれど、何せ昔から男尊女卑の毒父です。手続きすれば父には金銭的な恩恵がありますが、私にとっては精神的苦痛と時間の搾取。イライラしかありません」

現在父親が一人で暮らす実家の隣には、母親の妹とその息子夫婦が住んでいる。父親は図々しくも、「月に5000円払うから、週3回、透析の送迎をしてほしい」と頼んだのだと言う。

「タクシーだったら初乗り670円×3回×4週=8040円かかるところを、たった5000円で妻の甥夫妻に頼むなんて、『あなた何様?』と呆れました。それを父に指摘すると、『気持ちだからいいべや!』と怒鳴られました……」

森山さんによると、現在両親にかかる費用はひと月22万円の年金では賄いきれず、月5万3000円の赤字だという。母親にかかった費用は、父親を介して両親の年金や貯金から出してもらっているが、請求する度に父親は「貯金がなくなったら自殺する」とほのめかしてくる。

今年の3月には、「給湯器が壊れた! お湯が出ない!」と父親から電話があり、森山さんは泣く泣く、費用の半分を援助することに。

「次男の13歳の誕生日が迫っていたので、『誕生日プレゼントは渡してあげて欲しいけど、中学の入学祝いはいらないから給湯器代に充てて』と伝えました。父は『ありがとう。そうさせてもらう』と言いましたが、正直『孫のお祝いくらいは出すよ』と言って欲しかったです」

■毒親の連鎖

森山さんが育った環境については、夫も子どもたちも理解を示してくれている。長男は「伯父さんがいるのになんで母さんばっかり」と言って憤慨し、次男は放課後デイサービスの先生たちに「うちの母さんは、お祖父ちゃんお祖母ちゃんに振り回されて大変なんだ」とエピソード付きで話しているという。

「本当に、今思えば母にとっての子どもは完全に所有物で、私なんてマネージャーか駒でしたね……」

そう言って森山さんは振り返るが、まさに兄は愛玩子、森山さんは搾取子の典型だった。都合の良いように使われてきた森山さんは、社会人になってから、子どもの頃に満たされなかった心を埋めるように、買い物依存や元カレへの依存に走ってしまった。しかし、苦しみながらも自分の人生を生きるためにあがき続け、夫とぶつかりながらも、現在は居心地の良い家庭を築くに至った。

「私が買い物依存に陥り、借金してしまうほどになってしまったのは、母の影響が大きかったと思っています。すべてお金で解決させられてきたんです。誕生日やクリスマスのプレゼントはお金でした。中学からは母の代わりに家事をして2万円。高校生の頃はお弁当代に毎日1000円もらっていました。母との行動は全てタクシー移動でしたし、買物はデパート。私自身もお金で解決する癖や贅沢が染みついていたのだと思います」

誕生日やクリスマスのプレゼントもお弁当もお金ということは、合理的なようで実はとても残酷だ。「お金が一番でしょ」と言って思考停止し、「何がほしい?」「何が食べたい?」という親子の対話さえなかったことを意味している。

母親の母親(母方の祖母)も贅沢三昧な人だったようなので、もしかしたら母親は、お金を渡すことしか親としての務めを果たす方法を知らなかったのかもしれない。

祖父も父親も家庭に目もくれず、自分優先で好きなように生きていた。もしかしたら母親も祖母も、本当にやりたかったことを諦めて、たった一人で家事や育児に向き合う孤独や苦悩に耐えきれず、贅沢に依存したのかもしれない。

そうであってもなくても、家庭を顧みず、妻を放置していた父親と祖父の罪は重い。特に、自分だけさっさと入院して、手に負えない妻を娘に押し付けて逃げた森山さんの父親は、最後まで親としての責任を果たしていないだけでなく、伴侶としての責任も放棄しており、大人としてのプライドも感じられない。

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「最悪の場合を考え、父と母を離婚させて母を生活保護にする案も出ています。そうすれば父親の貯金も私の家庭も守れます。実家を売って、そのお金で父を施設に入れる話もあります」

同居していた義両親も大変だった。

2016年11月から特養に入所していた義父は、2021年2月に誤嚥性肺炎を起こし、病院で亡くなった。91歳だった。82歳の義母は、2016年に狭心症の手術を受けたあたりからうつ病を発症し、現在は森山さんたちに見守られながら暮らしている。

この6月下旬に、森山さんは兄と父親とで今後のことを話し合う予定だ。

「築46年の一軒家なので、いくらで売れるか検討もつきませんが、母はプライドが高いので離婚も生活保護も拒否しそうです。兄は賛成しています。父は五分五分でしょうか……」

贅沢三昧してきた親のために、子や孫が割を食うのは筋が通らない。森山さんは自分たちが幸せになることを優先してほしい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)