400初のアルミフレームで何と車重が152kg!

1983年、スズキは2ストローク250ccのRGΓ(ガンマ)をリリース。何とまさかのオールアルミ製フレームで、レーシーな前傾ポジションのカウルを装着するという、それまでのレーシーなマシンとは一線を画した本モノ感で、ライバルを慌てさせたのだ。
そして翌年、このGSX-R(400の排気量記号を車名につけず本命感を漂わせていた)が登場したのだ。

フレームはRG250Γと同じくオールアルミ。車重が乾燥で152kgしかない、とんでもないスペックでのデビューだった。
因みにCBR400FやFZ400Rは、レーシーなカウルこそつけていたが車重が180kg以上あったので、GSX-Rはまさに異次元のスペック。

エンジンはGSX400FWをベースにチューン、当時最強の59PS/11,000rpmで4.0kgm/9,000rpm。しかしエンジンはGSX400FWがベースでも66kgと10kgもの軽量化を果たしていた。
そのパワーウェイトレシオは2ストのRG250Γを上回るというとてつもないポテンシャル。
サスペンションもレーシングマシンからのフィードバック、ブレーキのDECA PISTONキャリパーなど、まさにレーシングマシン並みの装備が奢られていた。
そして1983年に世界耐久でチャンピオンとなったGS1000Rと同じデュアルヘッドライトに、特別仕様としてワークスマシンが纏っていたHBカラーまで用意。ファンはまさかの夢が手に入る状況に、際限なくワクワクさせられた。

ここまでスペックからして大差をつけたGSX-Rはさすがに速く、後塵を浴びたライバルたちは本格的にレーシーなスペックを求めて新たなチャレンジに没頭せざるを得ない。
それはスペックをはじめパフォーマンス競争へダイレクトに結びつき、短期間にモデルチェンジを繰り返す過熱状態へとエスカレートしていったのだ。

2シーズンを切るモデルチェンジ頻度までエスカレート!

遥かに他を上回っていたGSX-Rも、同じモデルを継続できたのは翌年まで。そこからほぼ毎年のようにエンジンや車体を完全につくり直すまで、コストをかけた競争がはじまった。

仕掛けたのは確かにスズキだったが、これを正面から受け止めたホンダとヤマハの開発ピッチは凄まじいもので、とくにホンダは市販車とは思えないアベレージを叩き出す高性能ぶりを発揮、この間に1年がまるで3年分のような進化を遂げていたのだ。
たださすがにユーザーは毎年のように買い替えるワケにはゆかず、そうした事情からレーサーレプリカ熱も徐々に冷める兆候が見えてきたのも当然といえる。

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