「もっと......なんか、熱い試合がしたいですね」

 小田凱人が、少し顔をしかめてそう言ったのは、準決勝で勝利したあとのことだった。

 小田にとって全仏オープンは、昨年、初のグランドスラム・タイトルとともに「史上最年少世界1位」の肩書きも手にした思い出の地。しかも、会場のローラン・ギャロスは今年8月開催、パラリンピック・テニス競技の開催地でもある。

 思えば、小田が15歳でプロ転向を宣言し、16歳を迎えた直後にグランドスラム初出場を成したのも全仏オープン。加えるなら、小田の名を構成する『凱』の字は、パリのシンボル的建造物である『凱旋門』から取ったものだ。小田にとってパリの赤土は、あらゆる轍(わだち)が交錯する運命の地。


小田凱人が1セットも落とさず全仏2連覇を達成した photo by AFLO

 ところが......単複ともに快勝を重ねていたにもかかわらず、今年は小田の表情に、あるいはコートでボールを打ちぬく姿にも、どこかいつもの激しさがない。

「こっち(パリ)に入ってからなかなか、グワッとくる試合がない」

 それが、若き王者が抱える小さな憂鬱──。

 世界ランキング1位の座こそ昨年末にアルフィー・ヒューエット(イギリス)に譲ったが、今年4月以降は今回の全仏オープン準決勝に至るまで、ひとつのセットも落とすことなく8連勝中。そのなかには、福岡県飯塚市で開催されたジャパンオープン決勝のヒューエット戦も含まれる。「グワッとくる」機会の減少は、そのような連勝街道の一本道ゆえかもしれない。

 もうひとつ、湧き上がる熱の不足は、試合コートにもあったようだ。

 小田は自他ともに認める、いい意味での「目立ちたがり屋」。舞台が大きければ大きいほど、見てくれる人が多ければ多いほどに、燃えるタイプである。昨年、全仏で優勝プレートを抱いたのも、センターコート「フィリップ・シャトリエ」だった。

 だが今大会では、シングルス準決勝に至っても、戦いの場は「7番コート」。左右幅の狭いコートは、物理的にも、小田のダイナミックな動きを制約する。だからこそ彼は、大きなコートでの試合を切望していた。

【優勝を決めた瞬間、観客に見せたのは...】

 そのような流れのなか、ダブルスの準決勝がセンターコートに組まれる。

「これは、シングルス決勝もセンターコートでやるという伏線だろうな」

 そう予感した小田は、翌日の決勝戦に備え、ラケットバッグも、試合用の車いすも、センターコートに置いたまま会場をあとにした。

 ところがその日の夜に、単決勝は会場で4番目の大きさの「14番コート」になると知る。そのため決勝戦の日は、センターコートのロッカールームに残してきた荷物を「朝、取りに戻るところから始まった」。しかも、車いすごと別の部屋に移されていて、慌てる一幕もあったという。

 ただ小田は、その状況に「逆に、燃えたかな」と、口の端に笑みを浮かべた。

「ここでしらけた試合をしたら、次はない。自分のテニスのクオリティで、『次は小田を(センターコートに)入れないとダメだな』って思われる試合をすれば、絶対、次は入れてくれると思った」

 その炎を胸に宿し、彼は決勝戦のコートへと向かった。

 決勝の対戦相手のグスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)は、筋骨隆々の剛腕を振るってハンマーで打ちぬくように重い球を放つファイター。その相手の実直かつ情熱的なプレーに呼応し、小田の闘志も熱を帯びる。

 序盤にリードを広げた時は、くるりとチェアを360度ターンしてからのスマッシュなど、"魅せる"プレーも次々に披露。第1セットでゲームカウント5-5と並ばれてからは、一打ごとに声を上げ、自らを鼓舞し、リターンウイナー連発でブレーク奪取した。

 優勝を決めたのも、小田らしい超攻撃的プレー。ボールに襲いかかるように鋭くリターンを打ち返すと、そのまま前進し、ボレーを叩き込んだ。

 相手のラケットを弾き、舞い上がるボールがアウトになると確信した小田は、叫び、両手を広げると、その場で2回、3回とチェアを回転させる。そしてリストバンドを外すと、その下にはめていたテーピングをほどき、両端を握って客席に向けて広げた。

 そこに書かれていたのは、「Je t'aime Paris(I love you Paris)」の文字。

「パリの人々に、自分がこの町が好きだと伝えたかった」という小田が、翻訳機能を使ってフランス語を調べ、自ら書き記したメッセージだった。

【次の照準は世界1位でウインブルドン制覇】

 優勝者として、会見室で最も大きな"メインインタビュールーム"に現れた小田は、「去年、ここで『人生で一番うれしい日』と言いましたが、更新されましたね」と自分の言葉にうなずいた。

「ひとつのセットも落とさずに優勝できた。数字として、成長を示せた」ことが、その理由。

「グワッと来た。グスタボとの試合では絶対にそうなると思っていたし、本当にバチバチするような戦いができた」と、内容にも充足感をにじませた。

 昨年世界1位になり、そこからUSオープン初戦敗退も経験したこの一年を、どう捉えているか?

 その問いに小田は、「今のところ......完璧かな」とニヤリと笑い、こう続けた。

「パリ・パラリンピックに向けて時系列を並べていった感じでは、本当にいい感じだと思う。来週もフランスで大会があり、そこで優勝するとまた1位になる計算だし、それがクリアできると想定していた。ここでこうなって、こういう状態でパラリンピックに挑みたいという、自分で自分に設けてきた課題も乗り越えてきているので......すごく、順調だと思います」

 プロ転向前の15歳の日、小田は近い未来のロードマップを描いていた。

 終着点は、当時ヒューエットが持っていた最年少世界1位記録を更新し、19歳までに頂点に至ること──。

 実際には、想定をはるかに上回るスピードで夢へのロードを疾走し、そのつど、プランは書き換えられてきた。

 今、小田が描く青写真が映すのは、世界1位としてウインブルドンに臨む、1カ月後の自分。そして、約束の地であるパリのセンターコートで、金メダルを手にする自らの、誇らしげな姿だ。