本当に美味いラーメンを出せるか不安だった…開業資金は手元にあるのに4カ月も客ゼロで試作を続けたワケ
■一度食べただけでわかる、黄金ルーキーの予感
東急多摩川線・下丸子駅から徒歩2分。今年1月に誕生した新店「奈つやの中華そば」。
筆者は一度食べただけで、このお店が今年の新店を代表するお店のひとつになるであろうことを確信した。
目黒の不動前にある物件で昨年2月から間借り営業をスタート。9月まで営業をし、今年1月に下丸子に移り晴れて店を構えることになった。店主の平林利幸(としゆき)さんと妻・奈津子(なつこ)さんの夫婦で切り盛りしている。
店主の利幸さんは埼玉県川口市生まれ。実家は町の洋食店を営んでいた。
普段の夕食というと、お店の残りものであるフライやハンバーグを食べる毎日。世の子どもたちだったら喜んで食べそうなものだが、普段がこういう食事だと、たまに食べるインスタントラーメンが何よりものご馳走だったという。
ある日、友人に連れて行ってもらって食べた「ちゃぶ屋」のラーメンに衝撃を受けて、ラーメン食べ歩きを始める。当時運送の仕事をしていたので、トラックで各地を回りながらラーメン本を片手に食べ歩きをする毎日だった。
ここから少しずつラーメン店の仕事を意識するようになる。
■店長に抜擢されても、独立の勇気は出ず
「実家が洋食屋ですし、もともと興味はあったんです。ですが、逆に飲食店のつらさも知っていたつもりなので、迷いに迷う数年間でしたね」(利幸さん)
27歳の時にラーメン店に修行に入る。
いよいよラーメンの世界に入ってしまうんだと、お店の前まで行って一回引き返そうかと思ったが、思い切って飛び込んだ。いつかは独立したいという何となくの夢を描きながら、基礎を学ぶ日々だった。
3年間働き、最後の1年は新店の立ち上げ店長に抜擢された。
ここまでは順風満帆だったが、独立に向けては何も準備をしていなかった。
「気持ちだけで何も行動ができていなかったんです。その後4年間はラーメン界から離れてプラプラしていました。この仕事は若いからできたことだったのかなとふと我に返って、決まらない今後に焦っていましたね」(利幸さん)
悶々とする日々の中、再び衝撃的な一杯に出会う。東京・学芸大学にある「麺処 びぎ屋」である。
清湯系のラーメンを作ってみたかった利幸さんは、これを最後のチャレンジにしようと修業を始める。34歳の時だった。
まさに理想の環境で、利幸さんはラーメン作りの技術に磨きをかけていく。限定ラーメンも任され、お客さんの反応も生で感じることができた。在籍中には『ミシュランガイド東京』のビブグルマンも獲得した。
■「俺と一緒にラーメン屋やらない?」
この頃に、のちに妻となる奈津子さんに出会う。2018年のことだった。
奈津子さんは短大で栄養学を学んだ後、バスガイドの仕事を経て、観光施設でガイドをしていた。奈津子さんに出会ったことで、一気に独立への思いが込み上げた利幸さんは思いもよらない一言を発する。
「俺と一緒にラーメン屋やらない?」
先のことが何も決まっていないにもかかわらず、言葉が先行してしまった利幸さんだったが、なんと奈津子さんは「面白そうだからやりたい」とふたつ返事でOKしてしまったのだ。
「ガイドの仕事で、とにかく人を喜ばせることが大好きだったのと、栄養学を学び、食べるのも作るのも大好きだったので、なんとなくピンときてしまったんです。
自分で何か仕事を立ち上げたいという気持ちもあったので、OKしてしまいました。結局ここからが長かったんですけどね(笑)」(奈津子さん)
完全にスイッチが入った利幸さんは、「びぎ屋」を半ば強引に退職。
川口の実家でラーメン屋をやれるかもしれない可能性もあったが、母の許しが出ずに断念。そのままコロナ禍に突入するも、独立に向けて物件探しをすることになる。
■うだうだ悩む姿に奈津子さんがとうとう…
コロナ中であってもお店をオープンさせようという気概で動き出したが、いざとなるとなかなか踏み込めない利幸さん。ラーメン店は新規参入が多いが、短期間の撤退も多く過酷な競争を強いられる。自信の無さから決めきれなかったのである。
「物件の場所を言い訳に決めない日々が続いていました。私は常にやらない理由を探していたんだと思います。
独立を決心した時の根拠のない自信がなくなり、現実を突きつけられている気分でした。そんな時に、やるべきことをひとつずつ潰していってくれたのが彼女だったんです」(利幸さん)
お店を開くためには「お金を貯めること」と「お金を借りること」だと考えた奈津子さんは、徹底的に生活を切り詰めてお金を貯め、事業計画書を作って各所を奔走した。
その間、梅屋敷と池上に条件に合ったいい物件を見つけたが、この2軒も結局決められず、奈津子さんの堪忍袋の緒が切れた。
「ここまできたらもうやらなくてもいいやという思いから『いい加減にやるのかやらないのかハッキリしてくれ』と言いました。確実に気持ちの面が足りないことはわかっていたので」(奈津子さん)
物件を決めきれなかった2人は、最後の砦として「間借り営業」に辿り着く。
まずは一回間借りでお店をやってみて、これでダメだったら諦めようと決心する。
こうして、目黒の不動前にある物件の間借りをスタートしたが、最初の4カ月間は空家賃を払って試作をし続けた。
■オープンの5分前まで「逃げたかった」
「今まで家で試作していた味が店舗だとなかなか出なかったんです。
結局試作を1カ月で諦め、『多賀野』や『もつけ』など自分たちの好きなラーメン店をもう一回回って原点に返ることにしました。こうして、自分たちが目指すのは“王道の中華そば”だということに気づいたんです」(利幸さん)
一からラーメンを作り直した2人は目指す味を追求していった。自分たちはいちばん難しいところを目指しているのかもという不安を抱えつつ、ラーメンを完成させた。
オープン直前には「びぎ屋」の店主・長良貴俊さんが食べに来てくれた。
「社長の『美味しかったよ』の一言がすべてを救ってくれました。不義理で辞めて連絡しづらかったのですが、こうしてもう一度お会いできてうれしい一言をくださり、本当に安心しました」(利幸さん)
昨年2月24日に間借り店舗のオープンとなったが、利幸さんはオープンの5分前まで逃げたかったという。
奈津子さんが「30分で閉めてもいいからやってみれば?」とはっぱをかけ、「奈つやの中華そば」はオープンした。
オープン前には4人のお客さんが並んでいた。告知も出していないのになぜ並んでいたんだろう?と調べてみると、「びぎ屋」の長良店主がインスタグラムで宣伝してくれていた。初日は15人という滑り出しだった。
■看板メニュー消滅のピンチが早々に訪れるも…
翌週にはラーメン評論家の大崎裕史さんが食べに来て、その記事を見たラーメンファンが殺到。30人の行列ができるようになった。利幸さんは怖さから解放され、とにかく一生懸命営業しなくてはと走り続ける毎日だった。それでも、不安からXやインスタグラム、食べログの書き込みを毎日チェックしていた。
このまま順調にいくかと思った開店1カ月後、再びピンチが訪れる。
煮干しが不漁で買えなくなり、中華そばが提供できなくなったのである。脂ののった煮干しの旨味が特徴の一杯なだけに、その種類にもとことんこだわっている。簡単に種類を変えることは難しい。中華そばの提供を断念した利幸さんは、お店を1週間休んで「つけそば」を開発して提供を始める。
その後、煮干しの入荷とともに中華そばを復活させ、つけそばとの二枚看板で売り上げも安定してきた頃、満を持して独立店舗を構えようと再び決心する。
ある日、お店が終わって帰る途中の信号待ちの間に、下丸子にある魅力的な物件を見つけ、その場で不動産屋に電話を入れる。たまたま以前に利幸さんの住んでいた場所の数軒隣の物件で、ここしかないと決めた。
「数々の挫折があったからこそ、この物件に出会えたのだと思い、契約しました。
ここで絶対にやるんだ!と今度こそ決意は固かったです。そこからはオープンに向けてかなりスピーディーに進めていきました」(利幸さん)
■資金700万円+工事を手伝ってついにオープン
開業資金は700万円。テナントは居抜きだったが、厨房機器やエアコンはすべて入れ替えた。かつてお世話になった業者に工事をお願いし、自分たちも積極的に工事に参加することで出費を最小限に抑えながら快適なお店を作ることができた。
今年1月22日のオープン初日は、ぼちぼちの客入りだった。地元の方は年齢層が高めでなかなか来てくれなかったが、告知を見てラーメンファンが集まってきた。
2日目から行列が出来始め、ラーメン評論家の大崎さんが再び記事を書いてくれたことで客足が伸びていった。
日曜日は10時50分の時点で60食が完売。翌週から整理券制を導入するほどの人気となった。
看板メニューは「もちもち雲呑中華そば」。煮干しのダシ感があふれるスープで、かつ上品に仕上がっている。チリっとした食感の全粒粉入りの麺がいい主張をしていて、岩手県産のもち小麦粉「もち姫」を使ったモチモチのワンタンは唯一無二の美味しさだ。
「『もち姫』100%で作ったワンタンはうちの特徴です。
もともと試作で手もみ麺を作ろうと思って買ってあった『もち姫』を捨てるのがもったいないと思ってワンタンにしてみたのがきっかけです。製麺機だと上手くいかないので小さなパスタマシンで一個ずつ作っています」(利幸さん)
■奈津子さんが見てきた「夫婦経営の店」の共通点
奈津子さんにとっては初めてのラーメン店である。お店のオペレーションや雰囲気づくりを学びに、夫婦で営むラーメン店を中心に食べ歩きをして研究を重ねた。
「普段の声かけや、ご飯ものを提供するタイミング、席案内の順番など細かなオペレーションを勉強させていただいています。お店の空気感が何より大事ですよね。家族経営独特のあたたかみというか。5年間の食べ歩きでそれぞれのお店の接客を見て、課題になりそうなところを目で見て学んできました。
ガイド時代の経験があるので人前に出る度胸だけはありました(笑)。彼が自由にのびのびやらせてくれているおかげで上手くいっているんだと思います」(奈津子さん)
奈津子さんは、自分はお客さんが美味しく食べられる環境を整える係だという。とにかくおもてなしの精神で、奈津子さんの接客はお店の「顔」になっている。
■新婚夫婦のラーメン屋はどんな成長を遂げるのか
利幸さんの実家の洋食屋はいずれ閉店することが決まっている。お店の味を一つだけでも残したいと、実家のカレーのレシピを受け継ぎ、お店で提供している。チャツネやタマネギの溶け込んだ甘めでもったりしたカレーは、辛すぎず中華そばのスープとの相性も抜群だ。
2人は今年3月15日に入籍した。
間借りではなく、きちんと自分のお店を持たないと結婚できないとこの日を待っていたのである。3月15日にお互いの両親を呼んですき焼きを食べ、そのまま婚姻届を出しに行ったという。
「奈つやの中華そば」という店名は、利幸さんが一人だったら絶対に独立できていなかったという思いが込められている。奈津子さんの「奈つ」に、「びぎ屋」の「や」で「奈つや」と名付けた。
「私をラーメン屋にしてくれてありがとうという気持ちです。私こそ感謝したいです」(奈津子さん)
夫婦で二人三脚の歴史はまだ始まったばかり。これからどんな素晴らしいお店に成長していくのかが楽しみでならない。
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井手隊長(いでたいちょう)
ラーメンライター、ミュージシャン
全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。東洋経済オンライン、AERA dot.など連載のほか、テレビ番組出演・監修、コンテスト審査員、イベントMCなどで活躍中。自身のインターネット番組、ブログ、Twitter、Facebookなどでも定期的にラーメン情報を発信。ミュージシャンとして、サザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」や、昭和歌謡・オールディーズユニット「フカイデカフェ」でも活動。
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(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)