第二次世界大戦下の日本の捕虜収容所では捕虜が極秘に旋盤などの工具を作成していた
第二次世界大戦下の日本軍は、シンガポールなどを占領し、一部の地区には捕虜収容所が建設されました。そこでは捕虜に対して、義肢などの設計や製作を行わせていたほか、卓上旋盤などの工具も捕虜たちの手によって作られていました。
R. Bradley Lathe - made in a POW Camp
http://www.lathes.co.uk/bradley-pow-lathe/
A Small Lathe Built in a Japanese Prison Camp - 1949-bradley.pdf
R G Wells: Index
https://histru.bournemouth.ac.uk/CHiDE/Oral_History_of_Defence_Electronics/r_g_wells.htm
かつてイギリス軍砲兵隊の将校だったR・ブラッドレー氏は、1942年2月から戦争が終わる1945年8月までの期間、シンガポールのチャンギ捕虜収容所などで日本軍の捕虜となっていました。
ブラッドレー氏はそこで、義肢や手術器具の製作を担当。工具や材料が不足する中、捕虜の誰もが即興で、使えそうなものは何でも使うという信念の下で製作が行われました。
しかし、捕虜生活のさなかでブラッドレー氏らは工房を移転する命令を受けます。移転先の義肢工房には、旋盤が2台と簡易的な研削スピンドルが1台設置されているだけで、戦争が激化する中で高まる義肢のニーズを満たすには不十分でした。また、大型の機械は撤収する日本軍によって撤去されてしまう可能性もありました。
そこでブラッドレー氏は極秘に小型かつ正確な旋盤を作成に取り掛かりました。作業は主に作業場が休みの日曜日に行われ、完成まで最終的に約600時間を要しました。こうして完成した旋盤のサイズは約17インチ(約43cm)で、付属品と合わせた重量は約1.5kgでした。
ブラッドレー氏は「この機械が使用されたのはわずか2年間のことでしたが、その間に何百時間分もの作業がこの機械で行われました。振り返ってみると、機械の製作に取り掛かった時間も有意義なものだったと感じます」と述べています。
この他にも日本軍の捕虜収容所では、捕虜たちが情報を入手するため独自の無線機器の作成に取り組んだことも報告されています。そこでは、配給された米の容器からアルミ箔を取り出してコンデンサーを作成したり、抵抗器の作成の為にシナモンの樹皮を利用したりといった工夫が行われました。
完成した無線機器は囚人たちの靴の中に仕込まれ、イギリスの公共放送であるBBCなどの傍受に役立てられたとのこと。最終的にこれらの無線機器は日本軍の将校の目にさらされることとなりましたが、製作に携わったR・G・ウェルズ氏が厳しい処罰を受けることはなく、日本軍の手によってこれらの無線機器は接収されました。