かつての「普通の人」が、現代では「心を病んだ人」に…先進国で精神疾患が増え続けている"本当の理由"
■アメリカの若者の5人に1人がうつ病
現代社会では精神疾患に罹っている人が増え続け、たとえばニューヨーク市立大学の研究ではアメリカ人の10人に1人、特に若者の5人に1人がうつ病に該当すると発表されています(*1)。
後でも触れますが、精神疾患の有病率は診断基準の変更など、さまざまな要因によって左右されるため、こうした研究結果の解釈には注意が必要です。それでも精神医療を必要とする人が増えている事実は揺るがず、このことから、現代社会への適応になんらかの難しさがあることがうかがわれます。
精神医療の体裁が整ってきたのは近世以降です。はじめはヨーロッパ各地で犯罪者や浮浪者とも区別しないまま、後には同じ症状の者を集めるかたちで、精神病者を施設に収容していきました(*2)。
精神医療には、社会からはみ出している人を標的としてきた側面、はみ出している人から社会を防衛するシステムとして機能してきた側面もあります。しかし人権に配慮した精神医療たるべく、過去への反省に基づいた制度改革が進められてきました。
(*1)Goodwin RD et al: Trends in U.S. Depression Prevalence From 2015 to 2020: The Widening Treatment Gap. Am J Prev Med. 63(5):726-733, 2022
(*2)アンドルー・スカル『狂気 文明の中の系譜』三谷武司訳、東洋書林、2019、130頁
■古代ギリシア時代は「病気」ではなかった
そうした社会的側面とは別に、精神医療、特に学問的中核である精神医学には、生物学や自然科学としての側面もあります。はじめは精神疾患の診断基準も不揃いななかの暗中模索が続きましたが、20世紀半ば以降、さまざまな精神疾患の生物学的なメカニズムと治療法が研究され、現在はマイナーな精神疾患でも遺伝的特徴や生物学的機能の裏付けが進められようとしています。
ただし、生物学的な裏付けのある精神疾患も大昔から病気とみなされていたわけではありません。
中井久夫『分裂病と人類』(東京大学出版会)によれば、古代ギリシアの哲学者プラトンは狂気をギリシア神話に沿って分類しましたが、それらは神の声や予言、創作活動にも関わるものでした。精神疾患として最も歴史が古く、生物学的な裏付けの多い統合失調症やうつ病も、古代ギリシアでは全面的に病気とみなされていたわけではありません。
■SLDやゲーム障害の“発見”
近代において猖獗(しょうけつ)をきわめる勤勉の倫理は、奴隷制社会において存在せず、この点における精神病者の多くの不認識(結果的には寛容)を招来したようである。自らをゼウスと信じた医師、世界を支えるアトラスと信じた男、中指を曲げると世界が崩壊すると恐れた男の随想的記載はあるが、妄想は近代のごとく大問題とならなかった。
……メランコリア(憂鬱)は優れた人間を襲うという認識はヒポクラテースにあり、必ずしも負の価値概念でなかった。華麗な過渡というべきものに喝采したローマ世界においても、それによってまた一種の狂気の不認識があった。たとえばローマ皇帝の過半数がきわめて逸脱した人間であった。
(中井久夫『新版 分裂病と人類』東京大学出版会、2013、106頁)
過去には病気とみなされようのなかった精神疾患もあります。たとえば限局性学習症(Specific Learning Disorder、SLD)は、読み書きが支配階級の占有物だった頃にはほとんど気付かれなかったでしょうし、2018年に更新された国際疾病分類(ICD-11)で登場したゲーム症(Gaming Disorder、ゲーム障害とも)は、そもそもコンピュータゲームの文化が誕生しない限り、病名がつくことも研究が進められることもなかったでしょう。
■現代の患者は中世では英雄だったかもしれない
私たちが病気について考える時、昔も今も病気と判定する基準は変わらないと考えがちです。身体の病気についてはおそらくそのとおりで、100年前も現在も肺がんは肺にがん細胞が生じる病気で、痛風は脚に尿酸の結晶ができる病気です。
ところが精神疾患の場合、文化や環境によって病気と判定されるかどうかが変わるのです。さきに挙げたように、限局性学習症は読み書きの存在しない文化では精神疾患たり得ませんし、ゲーム症もゲームの文化がなければ同様です。
社会が進展し、文化や環境が変わり、人間に期待される能力や行動が変わると、新たに求められるようになった能力や行動が不十分な人が精神疾患と認定され、治療や支援の対象となってきた──そうした側面が精神医療の歴史には多分にあります。
精神医療に携わっている私は、「あの入退院を繰り返している患者さんは、中世の戦場では英雄だったのではないか」と連想したくなる時があります。数百年前なら良い仕事に就き、尊敬され、結婚し、子を残していただろう人が、現代においては精神疾患に該当し、なかなか良い仕事も見つからず、生きていくことに疲弊していることはしばしばあるように思われるのです。
■認知症は2倍、発達障害は3倍に増加
その精神医療の対象となる人は、実際、どれぐらい増えているでしょうか。
精神科を標榜する診療所の推移を確かめると(図表1)、1996年〜2020年の24年間で2倍以上に増えています。
さらに厚労省「患者調査」も確認してみましょう(図表2)。令和2年に大きく数が増えているのは集計方法が変わった影響もあるので、そこを差し引いてご覧になってください。
最初に目につくのは認知症の著しい増加ですが、これは、日本人の平均寿命が延びたために起こった変化です。精神医療の近年のトピックである発達障害は、このグラフのなかで「その他の精神及び行動の障害」に含まれ、その疾患の特性もあって表のなかでは目立ちませんが、それでも2002年〜2017年の15年間で約3倍に増えています(*3)。
(*3)平成29年までの患者統計では、通院間隔が1カ月以内の患者だけが計上されていて、その障害の性質から通院間隔が長めであることも多い発達障害圏の患者は表から漏れやすくなっています。そのことを示すように、通院間隔が99日以内に改められた令和2年の統計では、他の精神疾患の増加割合と比較して、このカテゴリーの増加割合は2倍以上と大きく増えています。また、この患者調査では発達障害に該当していても統合失調症やうつ病などが主病名とみなされている患者の場合、そちらの病名でカウントされている可能性がある点にも留意が必要です。
■軽度のパニック症や双極症も治療対象に
同じく増加率が高いのは、うつ病や双極症(双極性障害、躁うつ病とも)が含まれる気分障害のカテゴリー、不安症やストレス関連障害が含まれるカテゴリーです。これらのうち比較的軽度のものは、かつては精神科を受診することがあまりありませんでした。
たとえば不安症のなかにはパニック症や社交不安症などが含まれますが、これらは昔は今日ほど広く診断されても、治療されてもいませんでした(*4)。
双極症も、以前は激しい興奮や誇大妄想を伴った患者さん(以下、患者と表記)が専らそのように診断されていたものが、双極症II型をはじめ、20世紀より広範囲の患者が診断と治療の対象とみなされるようになっています(*5)。
(*4)DSMなどの国際的な診断基準が定着する前の日本でも、これらが不安神経症や赤面恐怖といった名前で診断されることはありましたが、そもそも精神科心療内科のクリニック数も総受診者数も今よりずっと少なかったのでした。また、副作用と依存性の少ない不安症の第一選択薬でもあるSSRIが日本に導入されたのは1999年です。
(*5)双極症の診断範囲の拡張については、アキスカルの話をまず参照。Akiskal HS, Pinto O: The evolving bipolar spectrum. Prototype I, II, III, and IV. Psychiatr Clin North Am. 22(3): 517-534, 1999
■現代社会はセロトニンを必要としている
最もポピュラーな精神疾患であるうつ病も、診断基準が拡大しています。今日のうつ病、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)でいうMajor depressive disorderという診断名には、20世紀以前にはさまざまだった病名、たとえば抑うつ神経症や反応性抑うつ状態に相当する患者までもが含まれています。
うつ病の診断範囲の広がりは、アメリカ精神医学会の診断基準であるDSMがバージョンアップする際に診断基準が変わっていった様子からも読み取れます(*6)。
加えてアメリカでは1980年代から、日本でも1999年からSSRIが発売されました。SSRIは脳内で利用可能なセロトニンを増やす抗うつ薬の一種で、それまでの抗うつ薬より安全で副作用も少ないことから広く使われています。
この薬が軽症〜中等症の患者の治療に果たした役割は大きく、うつ病のほか、多くの不安症、月経前症候群(Premenstrual Syndrome、PMS)などの治療にも使われています。
(*6)大前晋「『大うつ病性障害』ができるまで DMS-III以前の『うつ病』(内因性抑うつ)と現代の『うつ病』(大うつ病性障害)の関係」精神経誌 114(8), 886-905, 2012
■過剰な診断と治療か? それとも…
結果、不安や恐怖、気分や感情についての幅広い領域が精神医療の対象に加えられました。加えられたのはSSRIのようなセロトニンを司る薬物が効果的な領域であり、ストレスに対して分泌されるホルモンを司っているHPA系(視床下部―下垂体―副腎系)の調節異常が見つかりがちな領域であり、HPA系の遺伝子多型がしばしば発見される領域でもあります(*7)。
精神医療が拡大していくなか、アメリカでDSMの改定に携わった精神科医の一人であるアレン・フランセスは、著書『〈正常〉を救え』(講談社)のなかで、診断と治療が過剰になり、抗うつ薬などが濫用される可能性に警鐘をならしました。
(*7)うつ病とセロトニンの枯渇については『カプラン臨床精神医学テキスト 日本語版第三版』メディカル・サイエンス・インターナショナル、2016、396頁が、HPA系の調節障害については397頁が簡潔にまとめられていて参照しやすい。パニック症は、生物学的にはアドレナリンの分泌調整やセロトニン系の機能障害が多数発見されている(同書、441頁)。社交不安症とHPA系についてはCondren RM et al: HPA axis response to a psychological stressor in generalised social phobia. Psychoneuroendocrinology. 27(6): 693-703, 2002 を参照
■製薬会社と医師の功罪
同書によれば、アメリカでは15年間に成人の双極症が2倍に、注意欠如多動症(Attention Deficit Hyperactivity Disorder、ADHD)は3倍に、自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder、ASD)は20倍に、子どもの双極症は40倍に増えたといいます(*8)。
彼がこうした状況を危惧し、医療者や製薬会社が加担したさまを手厳しく批判したのはもっともなことです。
同じく社会学者のピーター・コンラッドも、社会現象としての医療化を論じた書籍のなかでそれらを批判的に論じました。コンラッドは医療化を進展させる駆動力のひとつとして、医師の功名心をも挙げています(*9)。実際、新しい疾患概念を打ち出した医師は歴史に名が残り、新しい専門分野を、ひいては新しいポストを創造するでしょう。
(*8)アレン・フランセス『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDMS-5への警告』青木創訳、大野裕監修、講談社、2013、175〜176頁
(*9)ピーター・コンラッド、ジョゼフ・W・シュナイダー『逸脱と医療化 悪から病へ』進藤雄三監訳、杉田聡、近藤正英訳、ミネルヴァ書房、2003
■感情を安定させなければならない現代人
医療者や製薬会社に功罪があるのは否定できません。しかし“文化的な自己家畜化”の進展(自己家畜化については前回記事を参照)によってますます穏やかになっていく社会、社会契約や資本主義や個人主義に妥当するよう求めてやまない文化や環境のなかで生きるのは、簡単な人には簡単でも大変な人には大変だったのではなかったでしょうか。
日本の文化や環境は、先進国のなかでも安全・安心が徹底され、功利主義が過剰なまでに行き届いたものです。私たちはアンガーマネジメントしなければならず、感情が安定していなければならず、人混みやプレゼンテーションに際してもパニックや動悸に襲われてはいけません。
人並み以上に生物学的な自己家畜化が進んでいた人──HPA系がより穏やかでセロトニンがより豊富な人──にとって、それらは朝飯前かもしれません。ですがそうではない、中世以前ぐらいの環境が最適な人にとって、いつでもどこでもHPA系の自己抑制を強く求められ、セロトニンこそが肝要とされる文化や環境に適応するのは簡単ではないでしょう。そこで、たとえば抗うつ薬SSRIのような救済策が待望されたように思われるのです。
■先進国のほうが有病率が高い理由
社会契約や資本主義や個人主義の進展と照らし合わせても、精神疾患の領野の拡張はやむを得ないように思われます。『分裂病と人間』には「古代ギリシアでは勤勉は猖獗をきわめていなかった」とありましたが、現代はその限りではありません。
現在のアメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5ではたった2週間の抑うつでうつ病の診断基準を満たしますが、その2週間の抑うつが社会生活を行き詰まらせるほどアメリカ社会は慌ただしく、個人の自由と自己責任が背中合わせで、勤勉で効率的な生活が絶えず求められるのでしょう。
実際、本記事で紹介した精神疾患の有病率を先進国と開発途上国で比較すると、先進国のほうが有病率が高くなっています(*10)。
人間の世代交代が遅く、(生物学的な)行動形質がなかなか変わりきらないことを考慮するなら、精神疾患の有病率の上昇は生物学的な問題の増大を示しているというより、先進国の文化や環境が私たちに課している課題の大きさや、さまざまな行動特性や状態が許されなくなっている度合いや、それらを掬い取る精神医療の普及状況、等々を反映しているとみるほうが自然でしょう。
(*10)Kessler RC, Ormel J, Petukhova M et al: Development of lifetime comorbidity in the WHO world mental health surveys. Arch Gen Psychiatry. 68(1): 90-100, 2011
■精神医療は現代社会の問題を解決しているのか
精神医療の普及は、その「勤勉が猖獗をきわめる」現代社会の問題を解決しているのでしょうか。
1人の臨床医としての私は、ある程度までは解決している、と答えたいです。早期診断・早期治療がメンタルヘルスを守り、個人を守る防波堤のひとつとして機能しているのは間違いありません。現代の精神医療や福祉が担っている役割を軽視すべきではないでしょう。
とはいえ、問題も山積しています。
第一に、精神医療が普及してきたのをいいことに、この社会は、人間にますます競争を促しますます勤勉に働かせ、ますますこき使うことに頬かむりをしていないでしょうか。また、精神疾患の生物学的側面が解明されていくなかで、精神疾患が個人の生物学的な問題へと矮小化され、職場や社会の問題とみなしにくい雰囲気が生まれてしまっていないでしょうか。
■手厚い保護と患者の自由の両立は難しい
第二に、精神医療や福祉はどこまで患者の自由に貢献しているでしょうか。自由な行動の大前提として健全なメンタルヘルスが必要なのは確かで、その点において精神医療や福祉は重要な仕事をしています。
他方、精神科病院に長期入院になる患者、退院しても限定的な社会復帰に留まらざるを得ない患者も少なくありません。拙著『人間はどこまで家畜か』でも書きましたが、日本の精神医療は米英に比べて手厚い保護を実現している反面、患者の選択に対する医療・福祉・家族・行政による介入も避けられません。
米英ではホームレスや受刑者になっていそうな患者もしっかり保護・治療されますが、保護し介入する側の考える「あなたにふさわしい仕事、あなたにふさわしい生活」に沿って退院支援や生活支援がなされる一面も否定できません。
■治療や支援に忍び寄る、排除の論理
第三に、そうした患者の社会復帰は、どこまで真正な社会復帰たり得ているでしょうか。
2023年の新聞報道によれば、障害者雇用を代行するビジネス、つまり障害者雇用の法定上の規則を充たしながら、本来の職場とは別の場所で障害者を雇って働かせるビジネスが急増しているといいます(*11)。
もし、障害者雇用や障碍者支援を実践している体裁を繕いつつ、それらを隠れ蓑にした排除の論理が働いているとしたら、それは発達障害支援法の理念を踏みにじるものではないでしょうか。
医療や福祉が充実し、ひとりひとりの患者に合わせた支援が行われるのは大切なことです。ですが私たちは人間であって、ただ飼育されるばかりの家畜でも、ただ選別されるばかりの農作物でもありません。
ますます社会が高度化し、医療や福祉のニーズが高まっていくなかで、いかにひとりひとりの自由を尊重し、インクルーシブな体制を目指していくかが問われているよう思います。
(*11)47NEWS「『障害者は喜んで農園で働いている』はずが…国会がNGを出した障害者雇用“代行”ビジネス 大手有名企業を含め800社が利用」(2023年1月28日)
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熊代 亨(くましろ・とおる)
精神科医、ブロガー
1975年生まれ、信州大学医学部卒業。ブログ「シロクマの屑籠」にて現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信し続けている。著書に『ロスジェネ心理学』『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』『「若作りうつ」社会』『認められたい』『「若者」をやめて、「大人」を始める』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』『何者かになりたい』『「推し」で心はみたされる?』など多数。
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(精神科医、ブロガー 熊代 亨)