給料を得るために最低限の仕事はこなすが、それ以上はがんばらない。そんな働き方がアメリカで注目されている(写真:mjilapong/PIXTA)

最低限の仕事はこなすが、それ以上はがんばらない。そんな「静かな退職」という働き方がアメリカで注目されている。「働かないおじさん」を筆頭に、自らはアクションを起こさない働き方は、もはや日本の職場ではお馴染みの光景だが、モチベーションを研究する金沢大学の金間大介教授は、海外の研究仲間に日本人の「指示待ち気質」を説明することに苦労するという。本稿では、金間氏の著書『静かに退職する若者たち』より一部抜粋・再構成のうえ、日本とアメリカの労働文化を比較しながら、「日本の職場の問題」を浮き彫りにする。

「静かな退職」とは何か?

2022年の夏ごろに「Quiet Quittingってご存じですか?」と、知り合いの企業経営者から聞かれた。アメリカの若者を中心に反響を呼びだした概念で、ある技術者がTikTokに投稿した動画がきっかけと言われる。

実際に見てみると、わずか17秒の動画で、がむしゃらに働くことだけが人生ではない、といったナレーションが流れる。正直、特に面白いわけではない。

日本語では「静かな退職」と訳されているが、これは誤訳だ。あえて訳すなら「平穏への解放」「静かなる撤退」というところだろう。というのも、「Quiet Quitting」は実際に仕事を辞めるわけではないからだ。

職場で給料を得るために求められる最低限の仕事はこなすが、それ以上はがんばらないという状態を指す。加えて、新しい取り組みやプロジェクトへは参加せず、出世にも興味を示さない。当然、業務終了後は仕事のことは一切考えない。

HuffPost、Wall Street Journalなど、アメリカの主要オンライン・ジャーナルで2022年秋ごろから取り上げられてきたQuiet Quittingに関する記事を要約すると、以下の通りだ。

仕事において会社や顧客の期待通り、あるいは期待以上の成果を目指すことは、やりがいがある反面、多くのストレスを伴う。そのストレスさえもエネルギーに変えられる人もいるのだろうが、そうではない人も多い。

若者の中には、そうして仕事に情熱を注ぐことで、もともと偏っていた食生活がさらに偏ったり、睡眠の質あるいは量が低下するなどして、徐々に身体の不調を感じるようになる人もいる。あるいは、体調の悪化を感じることはなくても、「何のためにこんなにがんばっているんだ」と考える人は少なくない。

「とにかく、一生懸命働くことをやめる」という意味で、英語では「Escape hustle culture」というフレーズがとても多く使われている。Quiet Quittingも「がむしゃらに働くハッスル文化からの逃避」を意味している。

イーロン・マスクによる「ハッスル文化」の揺り戻し

「(意識の高い人が多そうな)アメリカ社会においても、そう感じる人は増えているのか……」というのが、多くの読者の率直な感想かもしれない。特に2022年は、日本経済の低迷ぶりが、「安い日本」、「買われる日本」を示すデータとともに一気に浸透した年だったので、余計そう感じる人も多いだろう。アメリカとの経済力の格差を、極めて身近な「所得」、「給与」という尺度で、まざまざと見せつけられたばかりだ。

それでは、実際にどのくらいアメリカの中でQuiet Quitterが増えているのか。残念ながら直接的なデータは存在しないものの、関連するデータとして頻繁に活用されるのが、アメリカの著名な調査会社ギャラップが公開しているデータだ。実際に同社を有名にした調査票の1つに、「Q12」(キュー・トゥエルブ)がある。


『静かに退職する若者たち』より引用

この調査では、広く労働市場からランダムに回答者を抽出し、12個(と、言っているが実際はQ00を含む13個)の質問をするものだ。項目は、仕事に対する満足度、生産性、ウェルビーイングなど多岐にわたる。これらの結果を総合することで、従業員のエンゲージメントを算出している。

エンゲージメントとは、簡単に言うと、労働者の組織に対する愛着心や熱意を表したもので、エンゲージメントが高い従業員ほど、労働生産性やウェルビーイングが高く、離職率が低くなるとされる。

ここでは、その結果を活用し、2023年8月にアップデートされたデータを引用しよう。データは、「Engaged」、「Not engaged」、「Actively disengaged」で100%となるよう構成されており、上記の図表には、このうち「Engaged」と「Actively disengaged」を掲載した。

これを見る限り、「Engaged」、つまり仕事に対し熱意をもって取り組もうとする人の割合は、減っているどころか、緩やかに増加傾向にある(ちなみに近年の日本の「Engaged」は5%台で推移しており、びっくりするほど低い)。

この点だけ見れば、Quiet Quitting現象の兆候は認められない。個人的にこのデータで着目したいのは「Engaged」と「Actively disengaged」のギャップだ。アメリカ社会では、ある方向への勢いが増してくると、それに対するアンチテーゼとも思える意見が強くなることがしばしば見られる。

Quiet Quittingについても、そのような解釈が可能だ。事実、先に上げた主要ジャーナルには、Quiet Quitterに対する批判的な意見が多数登場する。

「努力は若者の権利であり社会に対する義務でもある」、「がんばらない姿勢は現実逃避に過ぎず、仕事の不満や燃え尽きに対する万能薬ではない」、「ただ単に怠惰を正当化し助長するのみ」、「本当に休息を必要とする人もQuiet Quitterと思われてしまう」、といった具合だ。

そして、読者の皆さんも記憶に新しい、ツイッター社(現X社)を買収したイーロン・マスクが従業員に送ったとされる次の文も、Quiet Quitterへのアンチテーゼと言えるだろう。

「Goingforward,tobuildabreakthroughTwitter2.0andsucceedinanincreasingly competitive world, we will need to be extremely hardcore.」
(ますます激化する競争の中で成功するためには、極めてハードコアであることが必要だ)

この先、この対立した構図がどのように進むのかを予想するのは難しいが、しばらくは共存していくだろう。

すでに「静かな退職者」だらけの日本

ここまで、アメリカを中心としたQuiet Quitting VS.ハッスル文化の構造を見てきた。ここからは、これを長い前置きにして、日本社会と対比してみよう。

このQuiet Quittingという思想、日本人である我々は、わざわざ面白がって学ぶ必要などないかもしれない。すでに一定の読者の皆さんはお感じのことだろう。何のことはない、Quiet Quittingこそ日本文化になりつつある。

「いい子症候群の若者たち」の実像と、アメリカ発のQuiet Quittingという概念は、大部分において重なるところがある。特に整合性が高いのが「自らはアクションを起こさず、指示待ちに徹する」という姿勢だ。

さすが課題先進国ニッポンだ。アメリカで最近話題になった現象を、何年も前から先取りしている。

ちなみに、海外の研究仲間に、日本人の「指示待ち気質」を説明することは至難の業だ。むろん僕の拙い英語力のせいもあるわけだが、たっぷり考える時間があったとしても、やはり難しい。

「Waiting for instruction from their supervisors」

「Preferring being controlled on their jobs」

というと、いったんはわかってくれることが多い。ただし、(少なくとも僕と交流のあるアメリカ在住の研究者たちは)それを主に低賃金労働者や高齢者のことだと思うようだ。

だから、「いやいや、大卒の若者のことですよ」と、改めて説明するわけだが、ますます「Why?」「I don’t get it !」の集中放火にあい、撃沈することに……。

なので、ここはせめて日本人の皆さんと共有・共感・共鳴させていただこう。日本における「静かな退職」現象は、新しくもなんともない、「今そこにある危機」という状態だ。

日本では本当に辞めてしまう

ただし、アメリカと日本のQuiet Quitterが大きく異なる点が2つある。1つ目は「Actively disengaged」というところ。「積極的にハッスルしないことを主張する」なんて、いかにもアメリカ人らしい印象だが、日本の若者はむしろ逆だ。一定の意欲を見せつつ、与えられた仕事をそつなくこなし、それ以上の目立つ行動はしない、というのがいい子症候群であり、だからこそ先輩世代を困惑させる。

事実、「Q12」の国際比較を見ても、「Actively disengaged」の割合に大きな日米差はなく、むしろ日本が際立っているのは「Engaged」の低さと「Not engaged」の高さだ。

2つ目は日本の場合、本当に若者が辞めてしまうことだ。アメリカにおけるハッスル文化からの逃避は、別に退職まではしない。にもかかわらず、日本の若者は会社そのものに見切りをつけてしまうなんて、アメリカ人もびっくりの大胆行動だ。

日本社会はアメリカのそれのように人の流動性は高くない。それは、いわゆるジョブ型雇用ではなく、メンバーシップ型雇用が理由だが、そのメンバーシップ型の雇用環境の中で(特に若手の)退職者を出すことは、組織にとって大きな痛手となる。つまり若手の退職は、日本社会において、より大きなインパクトをもたらす。

「働かないおじさん」が、若手に与える影響

もう少し、日米の若者の労働文化の違いを見ていこう。クアルトリクス合同会社は、興味深い調査レポート「2023年従業員エクスペリエンストレンド」を公表している。この調査は、世界27の国と地域を対象にしたグローバルレポートと、日本独自に追加調査を実施した日本レポートがある。日本レポートでは、正社員として雇用されている18歳以上の就業者4157人が回答している。

この調査では、Quiet Quitterを定量的にあぶり出すべく、「自発的貢献意欲」の度合いが高・中・低のうち「低」に該当し、かつ「継続勤務意向」の度合いが高・中・低のうち「高」に該当する人を「静かな退職状態にある人」と分類している。

こうすることで、「自発的に仕事する意欲はなく」(=自発的貢献意欲の「低」に該当)、でも「辞めずに在職し続ける」(=継続勤務意向の「高」に該当)人を特定している。実に絶妙なグルーピングだ。

分類の結果、この自発貢献「低」×継続勤務「高」の割合は、40〜50代の中堅社員に多いという傾向を浮かび上がらせた。逆に20代は相対的に少なくなっている。

調査の主幹である市川幹人氏が、この調査結果から浮上した「静かな退職状態にある人」について、「管理職ではなく、最低限のことをやって給与をもらいたいという一般社員が(40〜50代該当者の)中心」と雑誌のインタビューに答えている。

この結果に鑑みると、日本では、「静かな退職」というより「働かないおじさん」と呼称される人たちに近い印象だ。

さらにこの集団を「学習意欲が低く、仕事による承認や報酬にも興味を示さない傾向にある」と評している。会社としても上司としても、実に悩ましい存在だ。


ただ、「働かないおじさん問題」は、(悪意のこもった名称は別にして)本人や一部署の問題ではなく、つまりは本人の責務ではない日本社会全体の課題だとする傾向が強い。多くの場合、本人が望んでそのポジションに収まったわけではないことを考えると、僕も同意見だ。

この問題に対する分析や論考は、すでに多くの書籍等で扱われているため、ここではこれ以上取り上げない。

むしろ、僕自身が明らかにしたいと思っているのは、「働かないおじさん」の存在が若手に与える影響だ。2022年4月に株式会社識学が、従業員300人以上の会社で働く20〜39歳の男女300人を対象に実施した調査によると、所属する会社に「働かないおじさん」がいると答えた割合は49.2%で、このうち「特に悪影響はない」と答えたのは9.0%しかいない。

別名「妖精さん」という名の通り、日々の業務に対して害があるわけではなさそうだが、生産性が低いわりに高給となると、やはり放っておけない存在となる。

(金間 大介 : 金沢大学融合研究域融合科学系教授、東京大学未来ビジョン研究センター客員教授)