【闘病】まさか「皮膚筋炎」になるなんて。副作用で「ステロイドミオパチー」になっても前だけを向く

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母の看病・介護をする立場にありながら、皮膚筋炎、間質性肺炎などを発症。そのほかにも沢山の既往歴があるというシンガー・ソングライターの森川さんに、これまでの闘病生活や生活の中での不自由などについて話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年2月取材。

体験者プロフィール:
森川 恭子

東京都在住。1971年生まれ。職業はシンガー・ソングライター。2018年春頃に皮膚筋炎、2019年に間 質性肺炎を発症した。2023年4月以降は電動車椅子を導入する生活になっている。

記事監修医師:
副島 裕太郎(横浜市立大学医学部血液・免疫・感染症内科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

皮膚筋炎、間質性肺炎の症状の始まり

ステロイドの副作用でムーンフェイスが強く出ていたころ

編集部

皮膚筋炎では身体には最初にどんな症状・違和感があったのでしょうか?

森川さん

日に当たると、顔・腕・手指・足が赤みを帯びて熱っぽくなり、皮疹が出て痛痒くなるので困っていました。また、平らな道を歩いているのにつまずいたり転んだりして、変だなと思っていました。時々、手指に痛みが走ることもあり、リウマチ科の医師から定期検診を勧められました。

編集部

はっきりとした症状はいつごろですか?

森川さん

2018 年の春頃、ライブ本番中にピアノを弾いていたら、指がもつれて上手く動かないことに気づきました。手指がこわばり、パンパンに腫れ上がって、第二関節にゴツゴツした物ができていました。手の平の皮が剥けてガサガサになると、割れて出血するので痛かったです。市販の保湿クリームを使ってみましたが改善しませんでした。

編集部

それは辛いですね。

森川さん

倦怠感・疲労感に襲われる状態が酷くなって寝込むようになりましたが、これらの症状が結びつく診断になかなか辿り着けず、モヤモヤしていました。脚に力が入らないため、自転車に乗れなくなり、階段昇降も直ぐ息が上がって苦しくなるので、「母の介護の影響で疲れているのかな?」というくらいに考えていました。

編集部

間質性肺炎の症状はいつ頃からですか?

森川さん

2019 年、空咳が止まらなくなり、気管支喘息の悪化だとばかり思っていました。しかし、今まで経験した事のない息苦しさが長期間続き、あまりの呼吸苦で耐えられず、救急搬送されるようになりました。酸素飽和度は、90%を切って 70%台前半まで悪化。喋るのが困難になりました。後日、間質性肺炎を発症していると判明しました。

編集部

医師からはどのような治療の説明がありましたか?

森川さん

酸素飽和度が下がらないよう、在宅酸素療法をすること、ステロイドなどの服薬で様子を見ながら薬の減量調整をしていくこと、独居生活の質の向上を目指してリハビリテーションを行っていくことを説明してもらいました。

編集部

ステロイドの副作用があったと聞きました。

森川さん

ステロイドミオパチーという病気を患いました。薬の副作用で手指が震えたり、つったりするようになり、箸も使えなくなりました。極端な筋力低下から、しゃがむと立てなくなり、膝がガクガク震えてしまうため、立ち続けることも困難でした。今まで普通にできていた動作ができなくなってしまったことがショックで戸惑いましたね。

病気発症後の生活状況

レイノー症で足の浮腫みが頻繁だったころ

編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

森川さん

祖母と母が関節リウマチだったので、私もいつか発症するかもという予感はありました。まさか「皮膚筋炎」になるなんて、思ってもみなかったですね。これから母の介護をどうすればいいのか途方に暮れました。仕事面でも、ステージで歌えなくなってしまうと思うと悔しくて。どうやって生きていこうか、誰にも相談できずに悩みました。

編集部

現在(取材時)の生活や身体の状態を教えてください。

森川さん

現在(取材時)も在宅酸素療法で生活しています。酸素は、安静時1.5リットル、労作時3リットルを吸入しています。気圧の変化や冷気の影響で、全身痛、レイノー現象が出やすく、脚の浮腫みも顕著です。ムーンフェイスで顔が浮腫み、瞼が赤く腫れて視界が悪いので、指で瞼を持ち上げないと、携帯も見れず、人の顔も分かりません。また、ムーンフェイスで別人のような顔になってしまって、物凄く驚かれます。

編集部

独居の中でさまざまな症状を抱えていると大変なことが多そうです。

森川さん

父は高齢、兄は遠方に住んでいるので何も頼めません。緊急時は自力で助けを呼びます。お薬ノート(お薬手帳では足りず、A5リングノートを使用)と合わせて「緊急時ノート」を持ち歩いています。個人情報、かかりつけ病院・担当医、既往症、これまでの服薬情報、アレルギー、緊急連絡先等を書いてあります。話せなくなっても、ノートを見れば一目瞭然にしてあるので、「こういう風にして下さると我々もスムーズに動けて助かります」と、救急隊の方に言われます。入院中は友人達が助けてくれています。

編集部

これまでの心の支えは何でしたか?

森川さん

入院中、リハビリ室にピアノがあったので待ち時間に弾いていたらギャラリーができて、患者さん達が涙を流して喜んで下さいました。「今の自分でもできることがあるんだ」と励みになりました。ファンの方々からも、「また歌って下さい。待ってます」と言われました。待っていてくれる人達が居るって、幸せなことです。

目標はミュージック・セラピスト

編集部

健康な時の自分に声をかけられたら、なんと言ってあげますか?

森川さん

「もっと自分を大切にしてもいいよ。自分のことを後回しにして頑張りすぎないで。睡眠はしっかりとろうね」と念を押したいです(笑)。今となっては、後ろを振り返る時間も勿体ないので前だけを向くようにしています。今後は歌だけでなく、ハープも沢山練習して、“新しい私”になって復帰を目指そうと考えています。アメリカでは医療の一つとして音楽療法にハープを取り入れていると聞いています。元気になったらミュージック・セラピストとしても活動できるようになりたいです。

編集部

医療従事者に伝えたいことはありますか?

森川さん

難病申請をお願いしていましたが、2年も申請してもらえませんでした。主治医が変わったら、「何故、申請してもらえてないの?」と言って、すぐに難病申請して下さいました。その間の経済面が本当に過酷でしたので、申請時の基準があるなら徹底して頂きたいです。身体障害や難病申請・福祉用具の申請など、手が痛くて辛い中で、何枚も書類を書かされるのはストレスでした。

編集部

読者へメッセージがあればお願いします。

森川さん

自分の体は1つしかありません。大切にしてほしいです。違和感があったら放置せず、迷わず直ぐに病院へ行きましょう。定期検診も大事です。真面目な人ほど、心身共に追いこまれがちな気がします。力を抜いて生きることと、手を抜くことは違います。周りと比べたり、振り回される必要はありません。一人で抱え込まず、役所の福祉課や地域包括支援センターなどに相談し、頼れる所は頼って、自分を幸せにしてあげて下さい。

編集部まとめ

難病に苦しんでいるとは思えないほどの元気な生命力のある声でお話されていました。ご自身の体験から患者さんの気持ちがわかるからこそ、これからのミュージック・セラピストとしての活躍に期待してしまいます。

なお、Medical DOCでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

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