「文學界3月号」(文藝春秋 編)

 地中海をはさんだヨーロッパ・ユーラシア大陸とアフリカ大陸の一帯には、みっつの大きな渡り鳥のルートがある。なかでも地形や気候の変化に富み、北部に湖と湿地帯が広がるイスラエルは、渡り鳥の大回廊と呼ばれるほど、さまざまな野鳥が飛来する世界有数の中継地となっている。その数、年間五億羽。バードウォッチングはひとつの観光資源であり、毎年三月と一〇月には世界中の愛鳥家を魅了するいくつものツアーが催行されてきた。いっぽうで、困った問題もおきる。いわば鳥と人間との制空権争いだ。

 イスラエルの空港や軍施設の航空管理システムは、高感度レーダーによるデータと気象データに基づいて、鳥の飛行経路を予測しつづける。ムクドリ、猛禽類、ガン……。種によって、群れの動きかたは異なる。地球温暖化にともなう自然環境の変化も、その変数となる。飛行機のエンジン部に鳥が不用意にぶつかるバードストライクは、最悪の場合、機体を墜落させてしまうから、高い技術力をもってそれを避けなければならない。

 また、食用や娯楽のための過剰な狩猟という脅威にさらされ、絶滅の危機が迫る種もおおくある。自然保護団体がとくにEU加盟国の各国政府に働きかけて法の整備を進めてはいるが、ハンターたちは金と美食に強欲だ。その非情さを示す例として、人工的に鳥の鳴き声を再現する装置を使って群れをおびき寄せ、無差別的に散弾銃を撃つハンターもいるという。

 野生生物と自然環境の保護を目的とし、個を識別するタグを鳥にとりつけることは一般的である。わなを仕掛けてとらえ、足首に識別タグとしてのリングをはめて、再びリリースする。どこから来たのか、種類はなにか、雌なのか雄なのか。金属製の足輪の重みによって、ごく小さな個体であれば飛行のバランスを狂わせることもあるかもしれない。だが観測と分類の徹底こそが渡り鳥の生態を把握し支配する戦術につながるのだから、容赦はしない。

 なにも、鳥の話をしたいのではなかった。

 二〇二三年一〇月七日、イスラエル占領下である、海岸線と分離壁にはさまれた細長いガザ地区が「攻撃」を受けた。この「攻撃」をなんと呼ぶのが正しいのかはまた考えよう。イスラエル軍による攻撃の対象は、奇襲を仕掛けたテロリスト集団であるハマス(や、ハマスと共闘するヒズボラ)の戦闘員であるべきはずなのに、実際には民間人、子供、女性、ジャーナリスト、医療従事者、人質たちの命が奪われ、病院までもが爆撃の対象となって、無差別殺戮の様相を呈している。死者数のうち女性と子供のそれが約七割を占めるといわれるが、無計画でやみくもな攻撃によってこうした状況が引き起こされたのではない。これは、本当の意味での無差別ではない。

 生活圏を監視するドローンとレーダー、人々が手にするスマートフォンのGPS機能などの追跡によって、個を識別する技術力はこれまでになく向上している。だれを爆撃すべきか、イスラエルはそのインパクトとコストをいまや正確に計算することができるのだ。子供は、女性は、医療従事者は、あえて狙われたのだといっていい。ハマスを匿っているというもっともらしい建前によって、病院や学校などの避難所が破壊されたのも、心理的なダメージの最大化をはかってのことだ。あるいは、図書館や公文書館、大学やラシャド・アル・シャワ文化センター(一九九八年にアメリカ大統領のクリントンとパレスチナ解放機構のアラファトによる歴史的な会談が行われた)が爆破されたのとおそらくは同じ理由で、著名なパレスチナ人詩人、レファト・アル=アレアは空爆を受けた。パレスチナの文化(現在)と歴史(過去)の命脈を、根こそぎ壊滅させるためである。

 皮肉なことながら、レファト・アル=アレアとして、つまり固有名を持つ人物として死んでいくことは、まだしも尊厳が守られたと言えるかもしれない。おおくの犠牲者は無名の存在として死ぬ。一〇月七日以降、途轍もないスピードで死者数はつみあがっている。パレスチナ人でムスリムであること、市民であること、難民であること。それらは殺されるべき理由になるはずもないのに、アイデンティティも歴史的な背景も剥奪され、ひたすら抽象化された存在として、死者数にカウントされることになる。

 避難所だった学校や、薬も燃料も切れて機能不全に陥った病院を捨てて、人々が北へ南へと逃げまどうなか、母親や父親は小さな我が子の脛や腕にその名前を書き記した。子が遺体となり果てた際に、極度に抽象化された「子供」という情報だけでラベリングされた存在から、どこの誰として生を受けた存在なのかを識別できるようにするためだ。渡り鳥に装着された足輪のタグを想起させるが、こちらは生の抽象化への抵抗の身振りである。名を記した親は、汗や土の摩擦で薄れていく名前の痕をみるとき、子がまた今日も一日生き延びたことに安堵するのだろうか、あるいは戦闘の終わらなさに絶望をより深くするのか。そしておそらくはその名前を上書きする。ガザ地区での子供の死者数が一万人を超えました、全体では二万人を超えました、というニュースの文言は、それがいかに悲愴で厳粛なトーンで読みあげられたにせよ、人々の生と死をデータ化し、数字に還元し、抽象化してしまうもうひとつの暴力への加担から逃れられない。

 レファト・アル=アレアが最後に遺した詩はこうはじまる。〈If I must die, you must live to tell my story〉。この惨劇をあなたが語り継いで、という未来を見据えたメッセージは、語り継ぐべきものを目の前にしてなにもできずに立ちすくむ、ただ中のガザの人々に宛てられたものではない。建物の残骸が土地を覆いつくすさまや、人口密集地で立ちのぼる白リン弾の煙幕や、避難経路にあって狙い撃ちされた市民たちの姿を、安心安全な場所から眺めている私たちにこそ、託されているのだろう。当事者たちはいまことばを持たない。

 でもどうやって? 歴史を垣間見たに過ぎない非当事者が、どのようにして物語を語り継げるだろうか。

 正確な最新の情報をできるだけタイムラグなしでつかみ、自分の頭で物事の善悪を判断できる主体性を磨いていくこと――。こうした態度はもちろん誠実で、非当事者がとりうる最善の方法だといえる。信頼できるメディアを見極め、そのSNSを欠かさずにチェックし、立場の異なる複数の視点から概観をおさえる。歴史を勉強する。ときに罪なき人々が流す涙に共感する。寄付をする、自分も発信する、街頭運動に参加する……。しかしそういった誠実な態度の意味自体を同時に問わなければならないと言ったのが、「反解釈」の重要さを説きつづけた批評家、スーザン・ソンタグだ。

 ソンタグは戦争写真を論じた際、戦争のニュース映像などで世界中に配信される被害者の苦痛のイメージをどこか遠い場所から見た視聴者が、その苦痛を想像的に内面化し、同情の心を寄せ、近接できたと感じること(=解釈)を、虚偽的だと指摘した。加えてそれは、われわれの特権の行使だとまで看破したのである。いわば誠実な態度の人々に冷や水を浴びせた格好となったのだが、映像に切り取られた断片的な「苦痛の身体」はポルノ的に消費されうるのだという彼女の言葉は、SNS全盛の現在においても有効に機能する。

 たとえば六、七秒ほどの短さの映像で、瀕死の子を抱えた父親の絶望の涙や、壊滅した土地で所在なく立ちすくむ子供たちの瞳が、ランダムに繰り返しネットに流れるとき、そのショックの強度に私たちはたやすく慣れてしまうだろう。麻薬的な強いイメージにやすやすと洗脳されて、ひとつのわかりやすい解釈やストーリーを固着させていく。

 こうしたソンタグの批判も理解したうえで、では、私たちがただ立ちすくむこと以外にできることはなんなのかと再度問おう。ヒントは、彼女がかつてエルサレム賞の受賞スピーチで語ったことの中に見出せるのかもしれない。〈文学という事業に献身するすべての人々への栄誉として、これを受ける。イスラエルとパレスチナで、個としての声と、複数の真実からなる文学を創造すべく格闘しているすべての作家と読者に敬意を払いつつ、これを受ける〉(「言葉たちの良心」)。社会における個人の自由をテーマにする作家に(二年に一度)おくられるイスラエル最高の文学賞は、ソンタグより以前にはフランスのシモーヌ・ド・ボーボワール、チェコのミラン・クンデラら、以降には村上春樹など、世界的な文学者に授賞されてきた(村上に関してパレスチナの文化人たちからはボイコットの要求もなされたが、彼はイスラエルでの授賞式に赴き、「壁と卵」の受賞スピーチを行なった)。ソンタグはその賞の授賞式会場で、文学を「個としての声と、複数の真実」を読む者に届ける芸術だと語ったのだ。

 あるいはその前段にはこうある。〈作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や誤った情報の共犯者になるのを拒絶することだ。文学は、単純化された声に対抗するニュアンスと矛盾の住処である。作家の職務は、精神を荒廃させる人やものごとを人々が容易に信じてしまう、その傾向を阻止すること、盲信を起こさせないことだ。作家の職務は、多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに見る眼を育てることだ〉。

 加速度的に死者数と瓦礫の山がつみあがる現在進行形の惨劇を目の前に、即応的でもインスタントでもない、文学の力について考えること。それはいかにも悠長で、的外れであるようにも感じられるが、ネットから流れるニュース映像とはべつの仕方で、事態に向き合う経路を見出しても悪くはないはずだ。そして私たちは、いまこそ読まれるべき作品にひとつ心当たりがある。アイルランド出身でニューヨークにおいて長く小説を書いてきたコラム・マッキャンの『無限角形 1001の砂漠の断章』(栩木玲子訳/早川書房)は、原著が二〇二〇年、邦訳は二三年四月の刊行の作品であるが、ガザ攻撃後のいま読めばなおさらに、小説という文芸の力がなにを成しうるのか、私たちを深い思索へといざなってくれる。

 無限角形、原語で「アペイロゴン」とは聞きなれない言葉ながら、小説のその特徴的な叙述のスタイルと密接につながるキーワードでもある。本作は、ごく短いものからすこしまとまりのあるものまで、一〇〇一の断章としての叙述が集積されてできている。1の章には、ラミという六七歳の男性が日本製のナナハンにまたがり、ベツレヘムを走行するシーンが描かれる。続いては、パレスチナ自治区の標識風の文言が、そしてベイト・ジャラの丘の上を飛ぶ鳥たちの種目が羅列されていく。昔の投石器(パチンコ)の形状の説明から、元フランス大統領のミッテランが死に際に所望した野鳥料理へと、脈絡も定かでないエピソードは断章から断章へ、延々とつらなっていくのだ。

 やがて浮かび上がるのが、イスラエル人のラミ・エルハナンとパレスチナ人であるバッサム・アラミンという、ふたりの男性の姿だ。ラミは一九九七年、一三歳の娘のスマダーをパレスチナ人による自爆テロの巻き添えで亡くした。バッサムの一〇歳の娘のアビールは、二〇〇七年、国境警備隊員の撃ったゴム弾の直撃によって頭蓋骨を粉砕され、命を落とした。

〈23 ゴム弾は走行中のジープの後部から発射された。銃口は、後ろのドアハッチについている十センチ四方の金属フラップから突き出ていた〉。〈26 アビールはトタン屋根の店から、友達二人と姉のアリーンの四人で出て来たところだった。朝の九時過ぎ。冬の日差しが斜めに差しこんでいた〉。〈32 ゴム弾を撃った国境警備隊員は一八歳だった〉。

 ラミはグラフィックデザインの仕事をしながら、バッサムは公務員としての勤務時間をいくぶんか減らして、愛する子を亡くした人が集う〈親の会〉の活動に力を注いでいる。〈親の会〉はハマスに息子を誘拐され殺されたイスラエル人が作った組織で、パレスチナ人イスラエル人ユダヤ人問わず、そこに集う人々に平等に降りかかった痛みを分け合うのだ。講演などの啓蒙活動を通じ、広く世間に平和を訴える。

〈91 ラミはときどき驚いた。心の奥深いところを探っていくうちに、同じことを言うにしてもまったく新しい表現に出くわすことがある。彼には分かっていた。そうすることでスマダーは生き続けるのだ〉。それまでの人生で接点などなかった父親ふたりは、この〈親の会〉で出あい、娘の人生について繰り返し語る喪の作業を行ない、長い時間をかけて友情をはぐくんできた。〈102 一人が語り始めた物語を、もう一人が終わらせることもできる。(中略)一言一言、沈黙し息継ぎをするところまで、二人はそっくり同じように話せるだろう〉。

 本書を構成する断章は、整えられた時系列で出来事を描き出すわけではない。スマダーとアビールのそれぞれの事件、そしてその死は、繰り返し繰り返しさまざまな角度から描写される。キャンディでできたブレスレットを店で買ったばかりだったアビール、娘が運び込まれた病院で医師から臓器提供の意思を問われたバッサム、娘が巻き添えになったエルサレムの爆弾事件を車のラジオで聞いたラミ……。彼らの癒えることのない悲劇の記憶が、日常生活のあらゆる瞬間、不意を突いて無意識の奥底からとつじょ浮上するのを模倣するように、死をめぐる断章は突如あらわれ、読者の注意を何度も呼び戻す。娘の死はトラウマだ。その傷を抱えながら、宗教でも人種でもなく人間としてのきずなでつよく結びつけられたふたりの父親の姿が活写されるのだ。

 と同時に、彼らのアイデンティティに関わる歴史的背景や土地の特殊性をめぐるディテールも、挟みこまれていく。パレスチナ人のバッサムは一七歳のときに友人たちとイスラエル軍のジープに手榴弾を投げた過去を持つ。七年もの投獄のあいだになにを失い、なにを学んだか。明確な理由なく刑期の二ケ月の延長を告げられた際の、決死のハンガーストライキと交渉のスリル。イスラエルの支配下での暮らしでは避けられない検問所の問題。理不尽に流れる検問の時間と移動の制限、そして人権にも勾配があるかのように、バッサムが娘の死因をめぐり裁判を起こしたときに圧倒的不利な条件から始まったこと……。いっぽうでイスラエル市民であるラミもまた移動は自由ではなく、とりわけガザとヨルダン川西岸地区に入ることは許されない。渡り鳥の飛行に国境は関係ないが、人間はバウンダリーに影響されるという皮肉を、鳥たちの生態を描く断章は私たちに教えてくれる。

 一〇〇一に及ぶ断章のなかには、さらにべつの次元のエピソードも多数ちりばめられる。ラミも目撃した、綱渡り芸人として知られるプティのこの地でのパフォーマンスは、比喩的に言えばイスラエルとパレスチナのバウンダリーという長いロープの上を、バランスをとるための棒を揺らしながら歩いていくものだった。ロープの途中、平和の象徴たるハトがプティの隠しポケットから放たれ大空に羽ばたくはずが、なぜか頭の上にとまってしまったのは、自由という意味が真には浸透しないこの土地の人々を象徴、もしくは嘲笑しているようでもある。

 こうしたいくつものエピソードが1から499まで、そして後半は499から1へカウントダウンしながら積み重なる流れのなか真ん中に置かれるのが、二つの500の章である。ラミとバッサムそれぞれの講演原稿と読める。ラミはそこでこう語る。〈本当のことを言いましょう。人道的な占領なんてあり得ないんです。そんなものは存在しない。存在するはずがない。すべては管理と支配の問題です。平和の値段が高騰して人々がそのことを理解し始めるまで、私たちは待たなければいけないのでしょうか〉。バッサムはこう語る。〈壁を作り検問所を作り、本から大災厄(ナクバ)を消し去って、やりたいようにやればいい。でもいいことを教えましょう。どんなに沈黙が支配しているように見えても、私たちに声がないわけではありません。私たちはこの土地でどうすれば一緒に暮らせるか、それを学ぶ必要があります。死んでから墓の中で共存し合っても仕方がないでしょう。片手で拍手できないことも分かっています〉。

 かけがえない家族、幼い娘を失うことの痛みが繰り返され、ひとりひとりの人物の過去や思想も弱さもさらけだされていく本書で、動揺も憐憫も何も感じずにいられる読者のほうがきっと珍しいのではないか。ここで描かれる死は数字でなく、抽象化された身体でもない。著者のコラム・マッキャンによればバッサムとラミは実在の人物であり、本書には現実にとられた幾葉かの写真も挟みこまれていくのだが、しかし実在かフィクションとして仮構された人物かはおそらくそれほどの違いを持たないだろう。いまガザで生きのびようとしている無数のバッサムは、アメリカに乗り込んで上院議員に対イスラエル政策の問題を説いていた無数のバッサムの精神は、どうしているだろうか。憎悪の連鎖による殺し合いに意味を見出さず、自分のバイクに「話し合わなければ、終わらない」とのステッカーを貼っていた無数のラミの精神は、どうしているだろうか。

 アペイロゴンとは、数学の用語としては可算無限の辺を持つ多角形のことで、かぎりなく円に近いが円ではない形状を意味する。〈いつまでも数え続けることになるが、それでも限りある時間内には宇宙のどこかへ必ず到達する〉。

 個々人の生の重み。ガザで起きているジェノサイドを、「暴力の連鎖の結果である」といったつきはなすような客観性を装う言説や、「ハマスはヒューマン・アニマル」とみなす単純化された図式にのっとり、無関心のままで見物していた私たちの蒙を啓くのが、本書の力である。無限に広がるバッサムやラミの物語は、ほかの何者でもなく私たちの問題となる。抽象化された数字としての死者に個々の肉体を再度取り戻させると言ってもいいだろう。文学が人文学=ヒューマニティーズであることの意味にあらためて立ち戻ることができる。

 ヒューマニティーズとしての文学。小説は娯楽として私たちを楽しませる機能を持つと同時に、文学の力を帯びて読む者の安心を揺るがすこともできるものだ。『無限角形』を読む前の「わたし」はそれまでの自分と明らかに違うと感じられる。出来事に対する解像度が上がり、パレスチナの歴史を一面的なシングルストーリーでとらえることはできなくなる。それはたとえば討論で意見を曲げるのとはまったくべつの経験だ。議論やデータによる実証がどれほどうまくても、おそらくは人の心を本当には変えられない。大金を積み、拷問にかけるのと同じで、外側だけそのふりを強制するにすぎないのだ。しかし心が変わるのは、よくできた「物語の力」が発揮されるときだ。この場合の「物語」とはなにも小説だけを意味しない。どこか対岸の火事めいた他人事だった出来事が、よくできた物語によってべつの形を与えられたとき、読者の何パーセントか、何十パーセントかに、「変節」は起きる。それまでの自分の思考が音を立てて瓦解し、そこからまたあたらしい何かが組みあがっていくたしかな揚力を感じるのだ。

 ヒューマニティーズとしての文学は、いまここに生きる「わたし」と密接に関係している。遠くのものを近くに、ぼやけたものをクリアにし、「わたし」の生の色彩をかえていくのだ。ただし固着してしまった「物語」というものもある。人々の常識に住み着き、内面化され、疑われることすらなくなったステレオタイプの認識というのがそうだ。その認識の更新にも、文学の力はおそらく効能を持つ。ソンタグならその解釈に対する抗いをも含めて「反解釈」と呼ぶだろう。レベッカ・ソルニットであれば「ブレイク・ザ・ストーリー」というかもしれない。この「わたし」をひとつのポータル(扉)として、世界に向けて開き、さまざまな物語を自己の内に流通させるとき、主体におとずれるフレームワークの変化を怯えでなく喜びで受け止めることはできないだろうか。ヒューマニティーズとしての文学を検分すること。やわらかな自己で社会的問題と向き合うこと。「わたし」をひとつのポータルにして、実際の文学作品と世界のありようをこれからいくつか見ていきたい。

〈つづく〉

(初出 「文學界」2024年3月号)